第12話 はる菜

 哲治郎に言われたとおり、その行李こうりを持って新吉が実家に帰ると、昼間の支度中の遊女達は、やはりはる菜が身請けされる話で持ちきりだった。


「ちわ、大黒屋です」

「きゃあ! 新様~~」

 新吉が実家に入ると、新吉の廻りを遊女達が取り囲む。自分を慕う遊女をはねのけつつ、新吉は父親の部屋に向かった。

「親父様、大黒屋です、ご注文の品をお届けに上がりました」

「ああ、新吉かい。そこにおいといて。こっちに来な」

 次の間から、父親の声がする。

「なんです」

 ふすまを開けると、善吉が目に入った。

「なんでお前が」

「兄ちゃん」

 善吉が、新吉に抱きついた。

「な、なんだよ」

「はる菜が……」

 ふと下を見ると。はる菜が、布団に寝かされている。

「親父さまの布団じゃねえか。なんでこんな良い布団でねてんだよ」

 そう呟きながら、はる菜の寝かされた布団の横に座る。顔を覗くと、おしろいをしていないのに、顔がひどく白い。

「風邪でも引いたのかい?」

 軽く、頬を叩いてみた。ひどく冷たい。

「はる? はる菜?」

 返事がない。

「おい、はる菜ってば! 返事しろ」

「動かすんじゃありませんよ」

 父の言葉に、新吉ははる菜を揺することを辞め、そっと布団の中に手を入れる。白い細い手首に巻き付けられた包帯を見て、新吉は目を見開いた。

「なんで? 徳田様のお身請けが決まったんじぇねえのかよ」

「お引き受けが、徳田様じゃなかった」

 善吉が呟く。新吉が、善吉を振り返った。

「はる菜のお身請け先は……お武家のご老公様だったよ。徳田様は、そのご老公のお付きの人でね。気立てが良くて、腕っ節の強そうな遊女を探していたんだそうだ。ご老公の、お世話をさせるために」

「なんだよ。それ、だからって、なんではる菜がこんなことになってんだよ」

 新吉がはる菜の肩をつかんで、強く揺らす。

「兄ちゃん!揺らしちゃダメだ!」

 善吉が新吉の腕を掴んだ。

「じゃあ、最初からそう言って探せよ。二百両もいただけるんだ。実家にもちゃんと、最後の仕送りが出来る。はる菜だったら、そのご老公の介護のために喜んで身請けされていくだろうさ。なんで、その徳田様、なんだってはる菜に気を持たせるようなこと……」

「わかんないよ、そんなこと」

 善吉も、新吉にあわせて、どんどん声が大きくなる。その声に釣られて、遊女達がわらわらと信五郎の部屋の前に寄り集まった。

「好いた男の妾になれると思ったのに、引受先はご老公じゃあ……。はる菜だって、一時の気落ちはしたんだろう」

 信五郎が溜息をついた。

「お身請けは白紙に戻したよ」

「当たり前だ」

 新吉が立ち上がる。

「どこ行くの」

「徳田様、一発殴ってくる」

「お待ち」

 信五郎が、新吉の手を握って、止めた。

「これは吉原の問題だ。が、出しゃばるんじゃないよ」

 いつになく強い口調で、信五郎が新吉を制止する。

「手代風情だ?」

 新吉の眉がぴくりと動く。

「そうじゃないかい。お前、うちを継ぐ気はないんだろう。手伝いはありがたいが、店の経営方針に逆らわないでいただきたいね」

 信五郎がぷいとそっぽを向いた。

「ああ? 経営方針だ? てめえんとこの遊女一人守れねえで、なにが遊郭だ、何が親父様だ、馬鹿やろう」

 信五郎の胸ぐらをぐっとつかんで、新吉が目を剥く。

「大黒屋、今日を限りで辞めてやらあ! 俺が今日からここの主だ、遊女一人ダメにされて、黙ってられっか! このクソジジイ!」

 そう叫んで、掴んでいた信五郎の胸ぐらをぱっと離す。

「言ったね?」

 新吉に開放された信五郎が、咳き込みながら息子を睨み上げた。

「あ?」

「うちを継ぐと、こういったね?」

 父の剣幕に、今度は逆に、新吉の方が後ずさる。

「い、言ったがどうした」

「善吉、聞いたね?」

 急に話を振られた善吉は父の意図が分からず、兄の剣幕に驚いて目を見開きながらも、小さく何度も頷く。

「おかあさん、新ちゃんが、ウチを継いでくれるそうですよ」

「あら、嬉しい」

 のんびりとした声で、女将のおりくが、三男の大吉をつれて出てきた。

「……なんでそんなにのんびりと……はる菜が……」

「見て分からないのかい? はる菜は、快方にむかってるじゃないか」

 おりくが新吉の顔を覗き込む。新吉が、驚いたように善吉を見た。そんな新吉の顔を逆に善吉が見つめる。

「死んだんじゃ……ねえのかい?」

 はる菜を指さして、新吉が善吉に訊ねた。

「いや? 幸い、花魁きよ菊が早く見つけてくれて。応急処置をしてから俺を呼んだのも、花魁きよ菊だよ。はる菜は命に別状はないけど?」

「でも、肌の色が……。顔も冷たくて……」

「はる菜は冷え性だからねえ。良い布団で寝かせてやってるんだけど」

 おりくが、のんびりと欠伸をする。

「先ほど女将と二人で、ご老公の所にお訪ねしてきたよ。この一件、どうやらご老公のお世話を申しつけられたお妾さまの御一存だったようで。ご老公は何もご存じなかった。事情もお話しさせていただいた。徳田様とお妾さまには、お屋敷を出ていただくことになったよ」

「イヤに落ち着いてると思ったら……もう、解決済みだったのかよ」

 新吉が、恥ずかしそうに顔を赤くしてぷいっと横を向くと、信五郎が笑った。

「あの美丈夫だ、妾もはる菜も惚れちまうのは分かりますがね。主の妾にしようってぇ女を二人もつまみ食いたぁ……あたしも男ですからね。そういうお行儀の悪いヒトは、どうにもこうにもいただけませんでねえ」

 信五郎がそう呟くと、若衆の「まつり」が静かに顔を上げた。その鋭い眼光に、新吉は思わず腰を引く。

「いや、でも、えらい剣幕だったねえ。お前。もしかして」

 信五郎は、新吉の顔を覗き込む。

「ちがう! 俺の好きな方は、大黒屋の……」

 言いかけて、新吉は口を塞いだ。

「大黒屋って……あ、アレはやめときな! テツジの旦那に殺される! それにあんなわがままなお姫様、お前なんかの手に負えるお方じゃないよ。毎日の衣装代だけで、桃源楼の身上がつぶれちまう!」

大黒屋と聞いて、りさと勘違いした信五郎とおりくが大きく手を振って、新吉を止めた。

「じゃなくて……妹の……ほう」

 妹の方と聞いて、お華のことを思い出し、信五郎は「ああ」と呟いて気を落ち着けた。

「あの方なら、お前が好みそうなお嬢様だがねえ。あの方は正真正銘、武家のお姫様だ。お前なんかの相手になるようなお方じゃないね」

「言われなくたって……わかってらあ」

 恥ずかしげに悪態をついて、新吉は立ち上がる。

「あれ、新吉。どこに行くんだい」

「大黒屋、辞めるって今言ったじゃねえか。辞表出してくる」

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