第3話 新吉

 信五郎と妻のおりくの間には、三人の息子がいる。それぞれ、新吉、善吉、大吉という。

 長男の新吉は十六歳。

 これがまた、上手いこと外見が信五郎には似ずに美人のおりくにだけ似て出てきた子で、頭の方も気立てもすこぶる良く、他所の郭の遊女達からなまめいた誘いを受けることも少なくない。

 そんな新吉が心配で、信五郎は去年の夏頃から大黒屋に頼んで手代として奉公に上がらせてもらっている。期間は二年という約束だが、いずれは天下吉原の遊郭の一つを引き継ぐお坊ちゃま。新吉を引き受けた大黒屋の跡取り婿である哲治郎は、そんな新吉の事情を鑑みてか、自分の養子という名目で商家の子息が通う学問所にも通わせてくれているという。


 善吉は、新吉と年子の十五歳。こちらも気立てが良くて優しい子で、瘡毒をもった遊女を救ってやりたいと医学の道を志し、小石川の佐久間なんとか言う先生の元で住み込みで医術の勉強をしている。


 年の離れた三男の大吉。こちらはまた、可哀想なほど信五郎によく似た子狸のような丸い顔立ちで、まだ六歳の腕白盛り。奉公修行と学問修行にでた兄達ほど勉学の道に興味がなく、日々同じ年頃の禿達とままごとや相撲に明け暮れている。

 まだ幼い下の子はともかく、上の二人は立派に育っているから、信五郎もりくも、安心して遊女達の世話が出来た。



 だが、そんなときに、長男の新吉が遊郭は継がぬと申し出てきた。

 なんでも、大黒屋で勉強をさせてもらっているうちに、商いについてもっと勉強がしたいと思うようになった。できれば二年と言わずこのまま大黒屋で奉公し続け、末は番頭、もしくはのれん分けで小さな呉服屋を営みたいという。

 新吉の主である哲治郎は、新吉の父親である信五郎はまだ若いし、今は跡継ぎの心配は要らない。新吉が三十路を迎えてから、家業を継ぐ継がぬの問題を話し合えば良いと言ってはくれたが、新吉自身がいい顔をしない。元々独立心の強い子で、奉公修行に上がることになったとき、武家屋敷でないと行かぬと駄々をこねていた。そんな新吉が商家である大黒屋に修行に出ることを了承したのは、この大黒屋の若旦那である哲治郎が、元々はお武家様だったという、ちょっと変わった経歴を持っていたのに新吉自身が興味を抱いたからだ。



 とにもかくにも、新吉の真意を確かめねばと、信五郎は新吉を一度家に呼び戻した。

「あんたね。嫌でもなんでも、仮にもウチの長男でしょう」

 ぷん、とそっぽを向いたままの新吉に向かって、信五郎は小言を始める。

「こちらは善吉が継げばよろしい」

「善吉は小石川の療養所の、佐久間先生の所で雇っていただくことになりましたよ」

「じゃあ、大吉が丁度良い」

「まだ六歳でしょう」

「親父様がお亡くなりになる頃には丁度三十路のいい頃合いでしょうよ」

 新吉の言葉に、信五郎はきょとんとして、しばらく指折り年を考える。

「アンタね。そんなに早くあたしを殺さないでくださいな。大吉が三十路の頃、あたしは古希もまだですよ」

 父親の言葉に、今度は新吉が少しあきれた。古希は、七十歳の祝い。還暦を迎えれば重畳と言われたこの時代に、いったいいつまで生きるつもりか。それこそ、跡取りなどその時に話し合えば良い。

「とりあえず、俺の意思はお伝えしましたからね」

 新吉は少し溜息をついて、それから腰を浮かせた。信五郎が止めるのも聞かず、信五郎の部屋のふすまを開ける。と。そこに、遊女が一人。新吉はその遊女の姿に、思わず顔を赤らめた。

「あら、新吉坊ちゃん」

 丁度お客を取り終えたばかりのはる菜が、少しはだけた赤い襦袢をこちらに向けて、にこりと微笑みかける。

「はる菜、お前!! 十八にもなって、少しは恥ずかしげというものを身に付けろ!」

 新吉が、はだけたはる菜の襦袢を乱暴に着付け直した。遣手に着せてもらうより、はる菜の肌にぴったりとあっている。

「遊女に恥ずかしげって」

 はる菜はケラケラ笑うが、新吉は顔を真っ赤にしたままで、ちっと嫌そうに舌を打つ。

「はる菜や。今日のご指名はちゃんと付いているのかい」

 信五郎の問いに、はる菜が頷く。

「夕刻から、二件ご指名をいただいていておりんす」

「そう。じゃあ、表に出なくて良いからね。お部屋で休んでいなさい」

 満足げに、信五郎が頷いた。そんな二人のやりとりを、新吉は眉をひそめて聞きながし、玄関に出て草履を履いた。

「花魁の打ち掛け、できあがっておりますが。明日、龍之介坊ちゃんと一緒にお持ちしてよろしいですか」

 大黒屋の手代の顔になって、新吉は信五郎に訊ねる。

「ああ、頼むよ」

 信五郎が頷くので、新吉はぺこりと頭を下げて、大黒屋に帰っていった。

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