転章 ある日の教室

 朝、教室に入ると、園田君が寄ってきた。


「ちぃーっす、おはよ浩美ちゃん」

「園田君……おはよう」

「んー? 今日も正義君いないの?」

「……」


 私は黙ってうなずいた。

 私は鞄を机に掛けると、ゆっくりと教室を見回した。やっぱり、マサ君の姿はなかった。

 この所、マサ君の様子がおかしい。

 マサ君の家の前に姫川さんが立っていた時から、あんまり学校に来なくなったのだ。

 ううん、訂正。学校には来てるよ。でも、前みたいに私と一緒に学校に行く事がなくなっちゃったのだ。いつも、姫川さんと一緒にいる。私は……何でだろう。ずっと避けられているような気がする。

 私がぼんやりと考え込んで俯いていると、パフッと抱きつかれた。

 私に抱きついてくるのは1人しかいない。

 陽菜ちゃんだ。


「はよー、浩美」

「陽菜ちゃん……おはよう」

「どうしたどうしたー? あんた全然元気ないよー?」

「え……そんな事ないよ?」

「もーう、無理しない無理しない」


 抱きついたまま、陽菜ちゃんは私の頭を撫でくり回した。

 私は頭を撫でられるがままになりつつ、思い浮かべる。

 前は……前は楽しかったのにな。

 園田君がいて、陽菜ちゃんがいて、そして……。

 マサ君がいて。

 そう考えている間に、私に抱きついたまま陽菜ちゃんは呟いた。


「でも最近、本当小野どうかしたの? Bクラスの姫川って言う子とずっと一緒にいるんでしょう?」

「陽菜ちゃん……姫川さん知ってるの?」

「ああ。こいつが言ってた」


 陽菜ちゃんが指差したのは、いつものようににこにこ笑っている園田君だ。


「まあまあ。俺は全女性の味方だから」

「乳母車から棺桶までかよ」


 陽菜ちゃんは「ケッ」と言いながら私に抱きつく力を強めた。陽菜ちゃん、苦しいよ……。

 その様子を見ながら園田君は「あはははは」と笑い、私を見た。

 そのまま私に笑いかける。


「姫川広。図書委員やってる不思議ちゃんだねえ。マンガから飛び出てきたような美少女で、撃墜された男は数知れず。その内、告白した男も多いものの、こてんぱんに振られて、その半数以上は「もう恋なんてしないー」と二次元世界へと旅立ったとか旅立たなかったとか」

「何それ。つうか二次元って何よ」

「まあ世の中には色んな趣味趣向の人間がいるんだよ。俺は恋は人生、人生は恋。二次元だけに閉じ込めてしまうのはもったいないと思うんだけどねえ」

「あんたの意見なんて聞いてないわよ! で、何? そのモテ女と小野、付き合ってるの?」

「いーや? 頑張って追跡したけどねえ。付き合ってるような甘酸っぱい関係ではなさそうなんだよねえ。まあ男と女は分からないって言うけど……」

「……」


 私は園田君の話を聞きながら考え込んでいた。

 マサ君は、本人は面倒くさいばっかり言っているけど、実際の所面倒見がいい。

 困っている人がいたら、放っておけない所があるのを、私は知っている。

 おまけにマサ君、要領はいい方だから学校をさぼる時も日数を計算して休むから、必要以上に学校に来ない事なんて全くないのに、いくら何でも休み過ぎだし……。

 私が考え込んでいるのを見たせいか、陽菜ちゃんは私に抱きつくのを止めて、園田君の脇腹に思いっきり肘鉄を打ち込んだ。


「グッハー! 陽菜ちゃん、ひどい……」


 園田君はオーバーリアクションでもんどりうった。


「ごめんね、浩美。私が小野の事言い出したばっかりに。

 あと園田! あんんたも人の不安を煽るな! 小野も小野よ。浩美はキープかってえの。浩美も、あんないい加減な奴、振っても構わないんだよ?」

「陽菜ちゃん……私もマサ君も、ただの幼馴染で、別に付き合ってる訳じゃないんだよ……」


 私はできる限り笑って見せる。

 違うの、私は別にマサ君が誰かと付き合っている事を心配しているんじゃないの。マサ君が……マサ君が何かに巻き込まれているんじゃないかって、それが気になるだけなの……。私はうまく説明する事ができず、口をもごもごさせる事しかできなかった。

 私がもごもごさせているのを分かっているのか分かっていないのか、陽菜ちゃんは畳み掛けるように言葉を続けた。


「でも、一緒にいるじゃん。好きでもない奴とは、ずっと一緒にはいられないわよ」

「そりゃそうかもしれないけど……」


 そりゃ、一緒にいるのが当たり前にはなっていたけど、でも……。

 私がなおも考え込もうとしていると、いきなり陽菜ちゃんに腕を掴まれた。その力は強い。


「!? いった……。陽菜ちゃん、痛いよ……」

「あっ……ごめん」


 陽菜ちゃんは困ったような顔で、私の腕を掴んだ手を離してくれた。


「何なに? どったの陽菜ちゃん」

「うっさいわよ、園田」


 陽菜ちゃんは床に伸びている園田君を一瞥した後、私の方をじっと見た。えっ? 私に何かついてる?

 私は思わず制服のジャンパスカートがまくり上がってないとか、ブラウスを反対に着てないかとかを確認したけど、特に自分だと変な所は見つけられない。いつも通りだ。

 私は困り果てた顔で、陽菜ちゃんと顔を見合わせた。


「……陽菜ちゃん?」

「いや、あのさ。ごめん。多分見間違いだから」


 いつもは竹を割ったような口調なのに、何故か歯切れが悪い。


「いや、浩美が一瞬だけ、ほんの一瞬だけだよ?」

「えっ? なあに?」

「……いや、一瞬だけさ、浩美が透けて見えたんだよ。教室が全部あんた通して見えたから、驚いただけ」

「えっ?」


 私は、思わず自分の手を見た。

 別に、自分だと透けてなんて、見えないけど……。


「何それ陽菜ちゃん。眼科行く?」

「あんたはイチイチ混ぜっ返すなぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 園田君の頬に、陽菜ちゃんの張り手が入った。

 クラスの皆がいつもの漫才が始まったとクスクス笑う中、私はつられ笑いを浮かべたまま、いつも「よく懲りねえなあ」と呆れた声を上げる人がいないか目で探していた。

 ……今日も、来ないのかな。


「マサ君……」


 時計塔から、ホームルームを告げる鐘が鳴ったけど、いつも見ていたはずの彼は、今日も来る事がなかった。

 私は、気付かなかった。

 その時、私が教室からいなくなっていたと言う事に。

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