玖(く)の章 猛り狂う式神

 楓は草薙剣を下段に構え、晴信を見据える。

(建内宿禰と言葉を交わしていたようだが……)

 楓は警戒していた。建内宿禰が何か企んでいるのが感じられたのだ。

『式神を放て、晴信よ。さすれば勝負はつく』

 建内宿禰が囁く。晴信は不審に思いながらも、袂から呪符を取り出す。

(式神は先程あっさりと退けられた。如何なる事か?)

 それでも、今は建内宿禰を信じるしかないと考え、晴信は呪符を投げた。

『黄泉路古神道奥義、黄泉醜女合わせ身!』

 建内宿禰の声が言った。すると、黒い塊が飛び、呪符に宿った。

「何?」

 楓はそれが黄泉路古神道によるものだと直感し、後方へ飛んだ。

「これは?」

 晴信もその奇怪な現象に驚いていた。

(呪符に何かが取り憑いた。あれは?)

 やがて呪符が具現化する。しかしそれは式神ではなかった。黄泉醜女が入り混じった、魔物である。

「ぐがああ!」

 黄泉醜女に支配された式神は雄叫びを上げ、楓に向かって飛翔する。

「く!」

 楓は剣を中段に構え、走った。式神と楓が交錯した。

「きゃっ!」

 楓の剣が弾かれた。

「……」

 楓はキッとして式神を睨んだ。式神は口を大きく開き、笑ったようだ。

(建内宿禰の妖気を纏っている。尋常な強さではない)

「十拳剣!」

 楓は左手にもう一つの神剣を出した。

(二つの剣を使いこなすには、もう一人の天照大神あまてらすおおみかみをお呼びしなければならぬと聞いた。しかし……)

 楓は、その術を知らなかった。一人目の倭の女王の召喚方法は、父栄斎から聞いていたが、二人目の召喚方法を聞く前に父は源斎に殺されて、身体を乗っ取られてしまったのだ。

『大事ない、楓。己の力を信じよ』

 倭の女王が楓に語りかける。

「皇祖神様」

 楓は驚いた。今まで幾度となく姫巫女合わせ身の術をなして来たが、女王が語りかけて来たのは初めてだったのだ。

『剣を合わせよ、楓』

「はい」

 楓は言われるがままに二つの剣を重ね合わせた。すると、輝きが強くなった。

「ぬ?」

 晴信は何が起こっているのかわからない。式神も、その異変に驚いたのか、仕掛けて来ない。

『晴信、もう一体式神を放て』

 建内宿禰が言った。晴信は我に返り、

「はい」

と応じると、呪符を投げた。それに建内宿禰がまた妖気を纏わせる。

「がああ!」

 再び猛り狂う式神が現れ、楓に向かった。

「はあ!」

 楓は一つになった剣を振るい、先に出ていた式神を両断した。

「ぐええ!」

 式神は光に焼かれるように消滅した。そこへ二番手が迫る。

「はあ!」

 楓の左袈裟斬りを交わした式神は、宙を舞った。

ぬるい! 次を放て!』

 建内宿禰が怒鳴る。晴信は今度は二枚の呪符を放った。それに建内宿禰は妖気を纏わせる。

「ふおお!」

 二体の魔物が更に楓を襲う。

「く!」

 いくら楓が強くても、三体の魔物を相手では苦戦する。彼女は後退した。すると魔物の一体が背後に回った。

「おのれ!」

 楓はそれを察知して剣を振るった。すると二体目がまた背後に着き、楓の背中を鋭い爪で切り裂こうとした。

「えい!」

 楓の裏拳が魔物の顔面に炸裂し、後ろに飛んだ。その間隙を縫うように、三体目と一体目が仕掛ける。

「はああ!」

 楓は回転して二体を吹き飛ばす。

「強い……」

 晴信は楓の対応の早さに驚嘆していた。

『晴信、行くぞ。小娘はそやつらに相手をさせておけ』

 建内宿禰が囁く。晴信はハッとして、

「どちらにです?」

『小野宗家にだ。あそこにある黄泉の井戸を解き放てば、我はこの世に甦る事ができる』

 建内宿禰の言葉に晴信はぞっとした。

(これほどの術者をこの世に放つのは……)

 彼は建内宿禰に少しずつ恐怖を感じて来ていた。

(しかし、今は従うのが得策)

 晴信は小野宗家を滅ぼし、神道全てを滅する足がかりにしようと考えた。

「わかり申した」

『ならば力を貸そう、晴信』

 建内宿禰の声が聞こえたかと思った時、晴信は現世から根の堅州国に入っていた。


「うわあ!」

 晴信は驚きのあまり叫んだ。そこには得体の知れぬ魔物がお互い溶け合うようにして蠢いている。

「ここは?」

『根の堅州国。我のおる所じゃ。ここを通れば、小野宗家までたちどころに着く』

 建内宿禰の声が答えた。晴信はその壮絶な光景に嘔吐した。


 楓は、戦いながら、晴信の姿が消えたのに気づいた。

「どこへ?」

 気を探ってみたが、どこにもいない。

「まさか……」

 楓は晴信がどこへ行き、何をしようとしているのか、悟った。

「建内宿禰め!」

 楓は剣を素早く動かし、一体を斬り捨てた。

「く……」

 姫巫女合わせ身をこれほど長く続けた事がない楓は、限界を感じていた。

『楓よ、今少しぞ。堪えよ』

 倭の女王の声が聞こえる。楓は遠のきそうな意識を何とか持ち直させ、魔物を見た。


 その頃、出雲を目指している耀斎と亮斎は、相模に入ったところだった。

「如何なさいました、耀斎様?」

 不意に立ち止まった耀斎に、亮斎が声をかけた。耀斎は高尾山の方角を見て、

「楓様が危うき様子です」

「え?」

 亮斎は何も感じていない。

「このまま出雲に行く事はできませぬ。私は戻ります」

「ですが、耀斎様、楓お姉様は……」

 亮斎には、耀斎の気持ちもよくわかるのだが、楓の言いつけを守らないと後でどうなるのかもよくわかっていたので、同意しかねた。耀斎は微笑んで亮斎を見た。

「確かに、楓様は宗家の事をお考えになり、貴方と私に出雲に行くようにおっしゃいました。ですが、今はそのお言葉には従えませぬ」

「耀斎様……」

 亮斎は、耀斎がどれほど楓の事を愛しいと思っているのか感じ、何も言えない。

「私は確かに、宗家に事ありし時、宗家に代わって小野一門をまとめる第一分家の跡取りです。しかし、それ以前に、私は楓様の許婚。楓様を見捨てて、出雲に戻る事などできませぬ」

 耀斎は力強く語り、来た道を戻り始めた。亮斎はクスッと笑い、

「では、私も」

「いや、亮斎様は……」

 耀斎が驚いて振り返る。すると亮斎は、

「楓お姉様が危うき時こそ、ご恩返しをする時にございます。それにもし仮にお姉様が倒れ、私がおめおめと逃げ延びたところで、勝ち目はありませぬ。お姉様をお助けする事こそ、宗家のためになりましょう」

「亮斎様」

 二人の男は微笑み合い、東京へと戻り始めた。

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