第2話.見知らぬ場所、見知らぬ人
いっそ、一思いに死んでしまえば良かった。
死のうと思ったことは、何度かあった。
リストカット、首吊り、投身、入水、飛び出し、飛び込み……方法はいくらでもあったし、いくらでも思いついた。
でも、結局こうして生きている。
私には、死ぬ勇気すらなかった。
両親がずっと私を邪魔だと思われていたのかと思うと、悲しかった。
でも、「ああ」と妙に納得もできた。
こんな面倒な存在、いなくなってくれた方が清々する。
それでも16年間育ててくれた両親を恨むことは出来なかった。
これが子供の悲しい性なのかもしれない。
着のみ、着のままな私を乗せたワゴンは、何処かへと向かっている。
目的地が何処なのかは、聞かされていない。
右折や左折、カーブ、停車、発車での揺れを感じるが、それで車の向かう目的地を特定する能力なんて、一般人の私には備わっていない。
何とか対策機構から来たと言う女性――、橘さんの隣に座らされた私は目隠しをされている。
視界を遮断するワケは橘さんが勝手に説明してくれた。
「目的地到着まで目隠しをします。これは被験者が移動経路を記憶し、万が一の脱走を防ぐ為の措置です」
私の場合、そんなことをしなくても大丈夫だと言いたかった。
だって、逃げ帰る場所なんて何処にもないのだから。
杞憂と言うか、取り越し苦労だと言ってやりたかった。
車内での会話は一切ない。
こんなに時間を持て余すのなら、せめて画集の一冊でも持ち込ませて欲しかった。
自宅を出発して、かなりの時間が経過した。
随分遠い所まで来た気がするが、ワゴンが止まる気配はない。
慣れない緊張状態が数時間続けば、老若男女関係なく疲労する。
だんだん息苦しさと倦怠感を感じ始めていた。
体が我慢の限界を訴えてきた頃、ワゴンが停車した。
ホッと安堵の息が漏れる。
とても、安堵できる状況ではないはずなのに……。
安堵も束の間、ワゴンから降ろされた私は、まだ目隠しは外してもらえない。
すると何者かが私の両脇に手を通してきた。声かけもなしにいきなり触られたせいで、体がビクッと震える。
つまり、2人の人間に挟まれた状態だと推測できる。
そのまま、引き摺られる様にたどたどしく歩くと、何やら台らしきものに寝せられた。
台と言うと語弊がある。触れた感触や頭の下にある枕から想像するに、救急車のキャスターや救護用の担架に近いものだろう。
いや、待て。何故、私はこんなものに寝せられているのだろう?
「移送して」
頭を上下左右に動かしていると、橘さんの冷めた声が聞こえた。
と、同時に腕にチクリと痛みが走る。
薬を注射されたのだと気づいた直後、私の意識は強制的に途切れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は教室に立っていた――
ラクガキされた自分の机の前に立っていた。
右足に上履きを履いていない。左足の靴下には画鋲が刺さっていて、血が滲み出ている。制服は濡れていて、酷い悪臭を放っている。
項垂れる私をクラスメイト達が私を取り囲んでいる。
その姿は何処となくマネキンの様で、生気を感じなかった。
ケタケタとその中の一体が笑い出した。笑いの波がマネキン達に伝わって行く。
ケタケタ笑いの大合唱だ。
合唱の渦中にいる私は、ふと机に視線を落とした。
無秩序な文字の中に、はっきりと読み取れる一文がある。
無意識に口が動く。
「己の
私が呟いた途端、瞬きより早く場面が切り替わる。
教室は消え、真っ暗な空間に私が立っている。
その周りには、バラバラになったマネキンが折り重なって散らばっている。
静かに両目を閉じた。
これは悪夢だ――、現実の延長線上で見るただの明晰夢だ。
簡単に打ち勝てるのなら、とうの前にそうしていたのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
瞼の裏側に微ではあるが、光を感じる。
閉じた瞼がピクリトと震えて、ゆっくりと開く。
ぼやけた視界に見覚えのない白い天井と照明が見える。
私は見知らぬ部屋いる。
かつて入院した祖母をお見舞いした時を思い出す。
祖母や他の患者達が寝ていたのと同じベッドに寝かされている。
体には薄い上掛けをかけられているが、拘束はされていない。
すぐに起き上がろうとするが、クラリと眩暈がした。
持ち上げた頭が再び、枕の上に落ちる。風邪で寝込んだときの様に体が重い。
恐らく、あの注射は麻酔だったのだろう。
一旦、呼吸を整えてから再度挑戦する。
ベッド脇の手摺に捕まって、上体を起こすことに成功した。
その頃には、ぼやけていた視界もはっきりしていた。
ベッドの縁に腰掛けて、キョロキョロと周囲を見回す。
何もない部屋だ。でも、普通の部屋でもない。
壁、天井、床と全てがクッションで覆われている。
あまりにも異様な光景に、不安と恐怖を覚える。
床にソロリと下ろしてみる。足の裏に柔らかさと、適度な反発を感じた。
両足で立ち上がってから、自分の服装が変わってることに初めて気づいた。
手術をする患者が着用する手術衣と言う服だと記憶している。
なぜ、私はこんな服を着ているのか。私が眠っている間に何が行われたのか?
想像すればするほど、恐怖が加速していく。
今、私が出来ること――自分の置かれた状況を把握するための情報収集。
部屋の出入り口であるドアが施錠されているか、否か。
眠らされていただけなのか。それとも……どっちにしろ、調べるべきだ。
物音を立てないように細心の注意を払って、ドアへ向かう。
ドア越しに聞き耳を立てる。物音は聞こえない。
ドアノブに触れるか、触れないかの曖昧な瞬間、
「おはよう! 気分はどう?」
「ッ!?」
いきなり外側から部屋側にドアが開いたかと思うと、見知らぬ男性がひょっこりと顔を覗かせる。顔面すれすれまでドアが迫ってきたことと、男性の登場で、私の頭はパニックを起こした。
すぐさまベッドまで逃げ戻り、男性から距離をとる。
身構える私を見て、笑顔を浮かべていた男の顔が、酷く傷ついたと言いたげな表情に替わる。
「あはは、驚かせるつもりはなかったんだけどな」
男性は項垂れつつそう呟くと一旦、顔を引っ込めた。
ドアが閉まって、数秒の間を置いてからノックが3回、控えめに響く。
思わず、『はい』と返事をしようとするも、喉から漏れたのは掠れた「エ゛ッ」と言う音だけだった。
あれ? と違和感を感じたが、半年間のブランクのせいだろうと、無理やり結論付けた。
私の無反応を肯定と捉えたのか、先ほどの男性が今度こそドアを開けて入ってきた。
痩せた長身、手入れを怠っているボサボサの黒髪。
鬱陶しく伸びた前髪がかかる目に、締りのない表情。
年齢は比較的、若そうだ。でも、服装が良くない。
シワだらけで型崩れした白衣、その下には上着との組み合わせに相応しくないツナギを着ている。
研究員なのか、医者なのか、土木作業員なのか、塗装屋なのか、どれでもないのか、ハッキリして欲しい。
夜道を歩いていたら、確実に職質か通報されるレベルで怪しい外見。
危険人物かもしれないと、警戒するのはごく当たり前の行為だ。
眉間にシワを寄せる私を見て、バツの悪そうな苦笑いを浮かべてる。
後ろ手にドアを閉めようとするが、開けたままにして両手の平を私に見せた。
自分は何も持っていない。危害を加える気もないと言う意思表示なのだろう。
「僕は、別に怪しい者じゃなくて……この格好は、僕なりのファッションであってだね」
「……」
別に男性の感性が知りたいのではない。
男性が何者で、なぜ私に会いに来たのか?
ついでに欲を言えば、ここが何処なのかも知りたい。
「僕は
へへへと、伊狗児と名乗った私の担当官は、しまりのない顔で笑った。
それにしても『伊狗児』とは、随分と変わった名前だ。
担当官が具体的にどんな役職なのかは分からないが、私をここへ連れてきた張本人である橘さんが今後を説明してくれる訳ではないらしい。
私が首を傾げると、室内に重苦しい沈黙が流れる。
「あー、近くに行ってもいいかな?」
「……」
私は伊狗児をじっと窺う。
伊狗児の方は居所悪そうに、目を泳がせている。
信用には値しないが、危害を加える気はなさそうなので、コクリと浅く頷いて見せた。
伊狗児は「良かった」と呟き、ホッと胸を撫で下ろした。
私を驚かさないように。ゆっくりした足取りで私に近づく。
まるで、人馴れしていない野良猫を扱うような行動だ。
「あーっと、その……体調はどう?」
「……」
「何処か痛いとか、気分が悪いとか、脱水気味だとか……ない?」
「……」
「もしかして、男性が苦手だったりする? 僕とは、お話したくない感じかな?」
「……エ゛」
会話が滞ることを危惧して、『そうじゃないです』と否定の言葉を発そうとするも、私の喉から搾り出されたのは、微かに漏れる嘔吐きに似た音。
本当に蚊の羽音程度の小さな音だったが、目の前の伊狗児はそれを聞き逃さなかった。
私の右手は無意識に喉を撫で、それを見ていた伊狗児は表情を一瞬にして硬くした。
「ややこしい話は後にしよう。とにかく、君はそこに座って」
「……エ゛」
「無理に話さなくていいから」
真剣な声色で私にベッドに座るよう指示すると、白衣のポケットからスマホを取り出し、誰かに連絡を取り始める。
程なくして、しっかり白衣を着込んだ3人組がノックも無しに部屋に入ってきた。
その3人組の1人に、伊狗児が何やら耳打ちする。
1人状況が飲み込ていない私は、問答無用で3人組が運んできたストレッチャーに乗せられ、パッドに囲われた異質な部屋を後にする。
またストレッチャーで移動かと、深い溜息をついた。
初対面の伊狗児に付き添われ、連れて行かれた先は医療器具や装置が設置された大部屋で、あれこれ様々な検査を受けさせられた。
長時間に及ぶ検査の後、検査を担当した医師から、私と伊狗児に検査結果を報告した。
心的外傷による『心因性失声症』――
驚きはなかった。むしろ、病気だと分かって安堵する自分がいた。
私よりも隣に立っていた伊狗児が、検査結果を聞いて面食らったのか口元を押さえて押し黙ってしまった。
他人事にどうして大袈裟な反応ができるのか、不思議だった。
医師に治療法を何度も聞き返す伊狗児。
その横顔を私は酷く冷めた目で見つめていた。
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