「文学文芸」と「ラノベ」観点の違い
批評を貰ったり、他人さまの作品に付いた批評を閲覧させていただくと気付く点が多々あります。私がピクシブで参加している批評講評グループでは、文芸系か文芸寄りのライト作品が多く出品されるのですが、批評する際の観点が違ってきます。
正規の意味でのラノベ作品が来た時などは、あまり参考にならないのではと疑念を抱く場面も多かったりします。ラノベを文学文芸の物差しで測るきらいがあるのです。
例えば、ヘミングウェイの作品の中に、主人公が安い食堂で安いワインを注文するシーンが出てきます。ワイングラスは皿の上に乗せられており、主人公は給仕に「溢れるまで注いでくれ、」と細かな注文をつけるのです。給仕は嫌そうな顔をしつつも注文の通りにします。主人公はワインを呑んで、最後にその皿にこぼれた分まで啜るのですが、ここまでの描写で色々を読み取るのが文学文芸の読み方なのです。
この主人公は安い食堂を利用するのも精一杯のひどく貧しい人間です。貧しいということを書かれていなくても、脳裏に浮かぶ絵面ではひどく貧しい老人に近い男が出てきます。その為の描写として書かれたと捉えるのが、文学文芸の読み解き方のようなのです。無駄な文は一文もない、と。
なので、講評グループでもそのような観点での講評が多くなります。異世界転生を書けば、「どうして死んでしまった事をこんなにサラッと流せるの?」という質問がきますし、冒頭のエピソードが主題にどう絡んでくるのかという事を問われます。異世界に行ったこと、主人公が成すであろう事柄と現世での死はどうリンクするのかと、物語の何を指し示すエピソードであるのかという事を問われたりします。
あるいはもっと細かく、まったく正反対の解釈が成り立つ描写であると指摘を受けたり、矛盾が発生している事を教えられたりします。
こちらに持ってきた新作『神の名の許に』
私はこれを、タイトルと物語の主題が微妙にそぐわないと指摘されました。そういう読み方をしている人が多数派なのだろうと思うのですよ、文学文芸の読者は。
もちろん、ジャンルによって器用に読み方を変える読者も多いとは思います。ラノベと文芸との融合を難しくしているのは、両者の読み解きの違いにあるような気がするのです。
今、新しい物語が浮かんでいます。あるエッセイに書かれていたアドバイスに従い、なんとか14万文字程度に収めるべくプロットを練っています。素材がラノベ寄りのこの物語、どのレーベルに相応しいのかも悩んでいる感じです。
ライト文芸というジャンルは本当に難しいものだと思います。
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