「作品」とイデオロギーの表出

 トゥゲッターのまとめ記事なんかでよく、反戦だの反原発だのポリコレだのといった言葉で喧々諤々やってんのを見かけます。(見かけるというか野次馬しに行ってます、の間違いというか)


 皆さん実に喋くりボーイに喋りたガールだなぁと思うんですけども、ネットで「わしはこう思うんじゃ!」を書くのはとにかく気持ちいいわけですから解かります。


 で、イデオロギーに感化されちゃって、「戦争反対!」「原発反対!」とか逆方向からの「主張押し付け反対!」「思想統制反対!」とかが沸き起こっていて、実に賑やかな毎日ですよね。(イイゾモットヤレー)


 ああいうのを眺めていると創作意欲が刺激されてこっちも心地良いのです。


 で、こないだ小説の競作企画に参加しまして、『各種イデオロギーを纏めて全部ぶん殴ってやろう』と企図した作品を考えてプロットまで練ったんですよね。だけど、前半部分を書き上げてみたところ、なんかそこだけでキチッと型に嵌まって綺麗に収まりが付いた作品になってしまいまして。

 あれー? これ、後半くっ付けたら蛇足もいいトコだな、と思ってしまって結局後半は丸々ボツにしてしまったんですよね。

 元々が、イデオロギーぶん殴ってやる程度の軽い意図ですから。そんなしょーもない思いつきなんかでせっかくの完成度を下げるのも勿体無いなと思いまして。偶然の産物ではあれ何かの断片を奇しくも掴んだわけなので、そっちを大事にした方がよほど有意義だと思ったんですよ。


 で、イデオロギーは創作物の卵の殻だなぁと思ったんですよね。中身の雛はすくすくと成長するだろうけども、孵化する時には邪魔っけだ、と。カケラでもくっついたままだと、割と汚点に数えられやすいのかも知れません、現代の世相では。


 小説でも漫画でも映画でも音楽でも、エッセイとか論文とかと違って、作中に突っ込むものは混沌としてていいんですよね。形が定まらないままで突っ込んでおいてもいい。だからこそ私は「全部ひっくるめて殴ってやる」が可能だと判断したし、半分までは企画した通りに進んだんです。

 でも、せっかく混沌としてるその濁りをあえてすっきりとクリーンしてみせる必要はない。それは複雑さを廃して単純にするということで、創作物においてはあんまり良いとは思わないんです。一部の読者にはそっちの方が白黒はっきりしてて気持ちいいかも知れないけど。

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