立っている「キャラクター」

 前ページを受けての続きです。ラノベと違って、特に文学では冒頭から読者サービス的な事はしないでヨロシイ、というお約束があるんじゃないかという話を書きました。読者が興味を引くようなエピソードとかキャラクター性を押し出す必要はなくって、文学の読者たちはそこで判断したりはしないんじゃないか、と。


 講評グループで、私のように1ページほどしか読まずに判断を下すという構成員は少数派です。(構成員とかいうと組みたいだな)いや、グループ参加者、ですね。

 皆さん、ある程度は最低でも読み込んでから、内容がちょっとでも見えてきてから判断を下すという感じなんですね、伺っていると。

 私は冒頭部しか読みません、だいたいにおいて。冒頭で興味を惹かれるなら続きを読むけれど、内容とかがまだ解からない状態であっても切る時は切ります。それを注意された事もあるんですよね、内容の判断はしないのですか、と。


 講評のグループで、私と同じく講評の書き手にも回ってくださる方々というのは、皆さん読書家だなという印象です。その方たちが総じて、内容で判断しないのですか、とくるわけです。内容で判断って、ある意味、私の冒頭だけで判断より手厳しいんですよ……? それが、文学文芸読者のスタンスかも知れない、という事を言いたかったんです。


 例えば、キャラクター。


 単に言動が面白いだの興味を惹かれるだのという、面白そうなキャラ造形だなというだけでは、彼らは「魅力あるキャラ」とは認めてくれないだろうという事です。

 ちょっと好感が持てるという程度では、成功とは言えない。キャラが立っているとは認めてくれないと思うんですよ。面白い文章表現がされているという事がイコールでそのキャラの魅力だとはならない。すらすらと読み通せる文章がキャラの印象付けに貢献するわけではない、というか。


 その人物の出番が終わってもまだ、もう一度登場しないかなと期待してしまう、それが「立っているキャラ」の定義だと思います。そのキャラが出て来ることを期待して続きを読むことが、「そのキャラは求心力がある」という事でしょう。


 文学読み読者の、「内容で判断しないのですか?」には、実はそれが隠されているのではないか、と思ったんです。キャラが魅力的であるか物語そのものが非常に心への浸透力がある、というか、そういうトコロを判断しないのか、と聞かれている。


「面白そう」を見ているわけではない、という事ではないのか、と思ったんですよね。アイデアなどの期待値で、「面白くなりそう」という点での評価を下すのではなく、実際に物語の骨子が出てきて「興味深い内容だ」と思えたら評価される。だから文学は冒頭が地味で冗長でも読まれるのかも知れない、と。から。


 文学読みの方がたは、ラノベとか文学とか文芸とか分け隔てもしないんですよね。ただ、最初の関門であろう「数ある作品の中から一つのタイトルを選び出す時の基準」ってのには興味がありますね。……割と総当り的なのかな……?

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