書き手と読み手はマッチングされる

 昨日、ピクシブで1000人以上のフォロワーを持つ二次小説をちらりと読みました。正直に申し上げると、文章力は小学生の作文程度でした。小説の醍醐味である、文章で酔わせられるという所にはほど遠い文章です。

 それでも大絶賛。なぜだろうと思いましたね。


 で、思い出したのが、トゥゲッターで纏め記事になっていたある事柄です。文章の読み方にはどうやら二通りがあるらしい、という話。

 斜めにざーっと読み込んで、足りない部分を補足で読み込む「速読」に近い形態の読み方をする人と、一行目から順番に読み込んでいく人とがいる、という事でした。


 私は一行目から順番に派なので、もう一方の読み方というのはイマイチ解からなかったんですが、もしかしたら、この「小学生並みの文章だが大絶賛」という事象に関係するのかも知れません。


 中身は確かに、そこらの二次小説とは違ってよく下調べの出来た面白そうなストーリーだったんですよ。構成も良かった。問題は文章力だけといっていい。

 だから、なんとか読もうと思いました。じっくり読もうと思うとどうしても文章で引っかかりますし、ストレスが掛かりますから、やる事にしました。


 それでふと、思ったんですよ。

『あれ? これって、トゥゲッターの記事で言ってた斜めに読むヤツじゃないか? 段落の塊で認識して、要点だけ拾って、手早く読み込むって方法……』


 なるほど、文章に酔うもへったくれもないわけです。(笑


 この方式でしか文章を読めない人は不幸ですね。いや、書き手が不幸なのか。小説を読むつもりで読んでるとはとても言えないような読み方ですから。書き手がその事を知らされる日は来ないでしょうから、知らねば幸せという奴かも知れません。

 


 まぁ、大抵で皆さん読み方を変えておられる事でしょう。私は読者のレベルをひと纏めに論じても、それが偏差値表に過ぎない事は解かっているつもりです。

 読者は、対象によって読み方を変えるわけですよね。そして、その対象を自身の判断でカテゴリに放り込み、そのカテゴリの評価基準に照らして評価を下すわけです。


 文芸のつもりで書いた小説を、読み手が文芸と受け止めてくれるかどうかは解からない。読み手がどのカテゴリに放り込んでどう評価を下すのかも、書き手が何を選んでどう書くかを好きに選べるのと同等の、「自由」というわけです。

 読み手がどのジャンルと思い、どう読んだかは、一人ひとりに講評を貰ってみない事には解からない事柄です。


 ……うん。

 皆さん、まさかと思うんだけども、まさか、文章で酔わされた経験がないという人ばかりですか? 文章を読んで景色が浮かぶとか、匂いたつとか、本当に酔える文章って、ですよ。

 あれは経験しないことにはとても説明なんか出来ないけども。読書家が読書をする理由は、その経験があって、銘酒を探しているせいだろうと思うくらいです。


 マニアが求めるものは、酒でも本でもそういうものだと思います。語りつくせぬ魅力が備わっている、小説でいうなら、他の媒体であるアニメや漫画にしても同じ価値にしかならないなら、小説の方はただの台本という事になってしまいます。


 小説の、他の媒体にない武器はです。


 読み手は読み方を変える、すなわち、小説用の読み方とその他の読み方で使い分けている。多くの読者はそれを意識せずにやっているから、気づかない。小説用の読み方では読みづらいものには、「面白い」は冠することが出来ないはずです。


 他の媒体と判ずれば面白いだろうが、小説としての体は為していない、という評価になります。

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