「マーケティング」ざっと説明

 小説そのものは、何も基準がないものです。何を書いてもいいし、どう書いても構いません。よく聞かれる「小説の書き方」といったハウツーは、つまり小説の為でも、それを書く作者の為でもない存在なのです。


 小説の書き方というマニュアル化の需要は、読者が求めているものだからです。


 作者は何をどう書いてもいいんですが、読者はそれを読み解かねばなりません。作者が個々勝手にそれぞれ独自ルールを生み出して、となれば読者の読み解き労力はとんでもない桁に達してしまいます。


 作者は「読んでもらいたい」という一念の為に、読者の要求に譲歩するのです。


 つまり、書き方ハウツーにある、例えば「行頭一字下げ」だの「鍵括弧最後の句読点は不要」だのというルールは、作者以外の者の要求、需要なのです。


 もっと言うと、ラノベのラノベらしい文体だの、文学の格調高さだのといった事柄も、すべては読者の求めです。そういうのを求める読者が、ラノベだの文学だの格調だの低俗だのを決めているのですね。


 作者は、読者がそういうのを求めるから、読んでもらうために受け入れてるだけ。


 俺TUEEEとかハーレムとか、異世界転移モノだとか、あれこれと言われるわけですけども、それは読者による、読者のための、読者だけの都合です。

 作者はノータッチ。


 読んでもらいたい、と思ったなら、途端にマーケティングが立ち上がってくるわけです。読者の嗜好を読み、今現在の流行を読み、市場の動向を読み、となります。


 別に読者などどーでもよい、となったら、これは無関係になります。



 例えばパソコンでも、おおまか三つのグループに分けられます。マック派、ウィンドウズ派、パソコン自体を触らないグループです。パソコンは触らない人が少数派ですけど、例えばスキーならどうでしょう。やらない人が大勢を占めるでしょう。せいぜい学校行事で1~2度やったという程度ではないでしょうか。


 かように、マーケティングの基本は全体から見ての趨勢にあります。


 それで言うと、小説を読む人々の数っていうのも少し微妙です。ましてや、ラノベに限定されるとどうなんだろうと思ってしまいます。ネットの賑わいが実は虚実に過ぎず、リアルではまるで流行ってなどいない、なんてのはあるある過ぎますね。


 ネットでは、うかうかしていると見えるものを自身で制限してしまうので、自分の趣向に傾いた狭い世界を大洋だと誤解しやすいので。

 ネットではラノベ作品は溢れかえっていますから、ラノベがものすごく流行っているかのように見えますが、リアルの本屋へ行けば本当のところがよく見えます。


 馴染みの古本屋さんから聞いたのですが、古本屋という商売は、その時に売れているモノしか棚に置かないのだそうですよ。だから、本屋の棚を見れば現実が見えるわけです。

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