第5話 紅騎士、推参

「ディヤァーッ!」


アイエンのとび蹴りが毛羽毛現の正中線を捉えた。

巨大な毛束が燐粉を撒き散らしながら吹き飛び、地響きを立てて路上に倒れる。


(打撃系はまずい!)


倒れた毛羽毛現を正面に捉えながら、アイエンは状況を分析する。

徒に衝撃を与えれば、精命力を吸収する粉を市街地に撒き散らしてしまう。

足元、背にした建造物、至る所に、逃げ遅れた一般人。


(奴の体は可燃性。炎で焼き尽くすのが定石だが……)


毛羽毛現のような魔族を相手取るのは初めてではない。

精命力を熱量に変換して放つ光撃を得意とするアイエンにとって、本来であれば弱敵中の弱敵。


敵は燃え易過ぎる。それが問題だ。

火炎を用いれば、既に市街地に撒き散らされた粉塵が大爆発を引き起こすであろう。


起き上がった毛羽毛現から毛束の一房が急激に伸び、鞭のように振り回される。

不規則にしなる攻撃を紙一重で見切り、鞭毛の先に路面を打たせながら光鉄機アイエンは一撃必殺を決心する。


両腕の銀の篭手に閃光が迸る。オーラ・フラッシャーの構えである。

超圧縮した精命力を光線として放つオーラ・フラッシャーは、対象に直接破壊をもたらす。

その威力の代償として、経絡に存在する精命力を一瞬で使い果たすハイリスクな切り札だ。


鞭毛攻撃をかわされた毛羽毛現が全身から粉塵を巻き上げる。粉塵は視界を遮るほどの煙幕となり、毛羽毛現の姿を眩ませる。

精命力の気配を探ろうとするも、精命力を帯びた粉が探知を妨害。

それでも、歴戦の光鉄機はうろたえない。


「姿を隠した程度で俺からは逃げられんぞ!」

千里眼による超視力。精命力の流れを視る心眼。戦士の眼はそれだけではない。

最も重要な第三の目。それは直勘だ。


両腕の閃光が解き放たれ、オーラ・フラッシャーの軌跡が煙幕に大穴を開ける。

一拍置いて晴れた煙幕。視界に入った光景に、アイエンが歯噛みする。

敵の姿はそこに無く、代わりにアスファルトの路上には大穴である。


「地中に潜った……!」


基達と共に戦況を見守っていた夕が息を呑み、バッグの中の端末を見る。

嵐剣皇の端末から超小型のマジックハンドが伸び、無線のイヤホンを夕に渡した。


「夕、古今東西、地中をあれだけ自在に移動できる者はドリル以外には存在しない」

すぐ傍に居る少年達に気付かれぬよう、イヤホン越しに嵐剣皇が告げる。


「それって……」

「私は既に、君の足元に待機している。“心積もり”をしておいてくれ、夕」


突然の強い振動と同時に足元の地面が裂ける。飛び出してきた殺気の先端を、体捌きで辛うじてかわすアイエン。銀の胸板に一筋の裂傷が刻まれる。

削撃刃ドリルだと!?」

刮目の先には、毛羽毛現。その黒毛の間から、螺旋の円錐が突き出していた。


魔族がドリルを備えている。

千年余の戦歴において、斯様な敵とは相対したことがない。

初撃をかわされた毛羽毛現――今やドリル毛羽毛現と呼ぶべきであろう――が次なる回転刺突を繰り出した。


初見の敵に怯む光鉄機ではない。

二撃目をかわし、尽きかけている精命力を振り絞り今度こそ必殺の反撃を叩き込む……筈であった。


光鉄機アイエンの両脚は、地表の裂け目から延び来た毛束に拘束されていた。

暗闇の向こうには、もう一つの禍気。ドリル毛羽毛現はもう一体居たのだ。


「ふ、不覚……!」

真正面からのドリル。そして、周到に両腕の自由を奪う毛束触手。

立ちながら磔の体となり、銀の戦士は遂に胴の中心を深々と貫かれた。


「ひ、ヒカル!!」

「逃げて……逃げてぇ!ヒカル!」


腹に風穴を空けられ膝をつく巨人の姿に、少年少女が悲痛な叫びを上げる。

二体のドリル毛羽毛現が、前後から無慈悲な追撃を加えんと突進する。


巨体を流れる精命力は底を尽き、致命的な深手を負った銀鉄の戦士は、それでもなお、闘志を滾らせ敵を睨む。


ドリル毛羽毛現の狭撃が光鉄機に達する。

その時、再び戦場を煙幕が覆った。

包んだ物の感覚を完全に遮断する黒色の煙である。


「何このケムリ……見えない見えない!」


両手をばたばたと振り回してみる舞だが、勿論視界が晴れる筈も無い。

辺り一面に広がった煙幕は、すぐ傍に居るはずのお互いの姿も覆い隠している。

「舞、落ち着いて!ヘタに動かない方がいいよ!夕さんも大丈夫ですか!?」

同じく近くに居るであろう夕に声をかける基だが、返事が無い。


「……どこに居るんですか、夕さん?」



煙の幕が開く。


ドリル毛羽毛現のうち一体が、表情の伺えぬ黒毛の束に狼狽の色を浮かべる。

のドリルが貫いていたのは、仲間であるもう一体のドリル毛羽毛現であった。

こと切れた仲間からドリルを引き抜き、本来の標的たる光鉄機の姿を探す。


「そこまでよ」

頭上から響く凛とした女の声に、毛束の魔族が向き直る。

4階建てのビルの屋上には、陽光に映える紅の装甲。

満身創痍の光鉄機を抱きかかえ、嵐剣皇が立っていた。


嵐剣皇は高台から路上に着地し、傷ついた戦士をそっと腕から降ろす。


「あとは私たちに任せて」

「その声、薙瀬夕か……」


嵐剣皇は何も言わず頷いてみせ、横たわる光の戦士を背に庇い魔族に対峙。

両腕のドリルは既に展開している。


「あの『粉』が厄介ね。どうにかできない?」

「問題ない」


同士討ちをさせられ怒っているのか、全身を震わせ猛烈に白粉を吐き出すドリル毛羽毛現。

紅の騎士は泰然と腰を落とし、臨戦の構えをとった。


嵐剣皇が音も無く地を蹴ると、その姿が消え失せる。

最初に現れたのは敵の眼前。

すぐに消えて、今度は二時の方向に現れる。消えて、六時。九時。再び二時。

嵐剣皇の軌道は、敵を中心に目にも留まらぬ速度で円を描いている。

速度は風を起こし、粉塵は天高く巻き上げられていった。


「退魔戦術・旋風つむじ駆け!」


制動した嵐剣皇は、ドリル毛羽毛現から数歩分離れた真正面。

毛羽毛現の姿は先ほどまでとは大きく異なる。

嵐剣皇の旋風は粉塵を取り除いただけではない。巻き起こした気流を巧みに操作することで全身の毛が複雑に編み込まれ、行動の自由を奪っていたのである。


「あなた本当に器用よね……」

悶える黒毛の塊をコクピットから眺め、夕は思わず感心した。


ただの毛羽毛現であれば、この時点で行動不能。

しかし敵はドリル毛羽毛現である。毛は無くとも、ドリルは残っている。


「嵐剣皇、早くしないと動き出すわ」

夕の言葉通り、ドリル毛羽毛現は絡まった自らの毛を回転するドリルに当てて千切り、徐々に身体の自由を取り戻し始めた。


対して、嵐剣皇は両腕のドリルを収納。後ろ手に隠す。

瞬速の踏み込みと共に、嵐剣皇の影は三つの分身となる。

そのうちの一つ、頭上に跳躍した影へ向けてドリル毛羽毛現の刺突が繰り出された。


天上に輝く太陽に螺旋の牙を掲げ、魔族・毛羽毛現は絶命。抜け落ちた黒毛が風にさらわれ散ってゆく。

残った毛塊には、足元から頭上へ向かって無数の孔が穿たれている。


「名付けて……三次元霞突き」


地中から姿を現した嵐剣皇の言葉と同時に、残った毛も散り去った。



倒れたアイエンの光が収束し、裸身の少年となる。

嵐剣皇から降りた夕がいち早く駆け寄り、思わず青ざめ短く呻いた。

毛羽毛現との戦いで貫かれた腹部には、そのまま大穴が空いていたのである。


背後から駆け寄る基と舞の足音が耳に入り、夕は咄嗟に羽織っていた上着を少年の身体にかけ、せめて無惨な姿を覆い隠した。

一方で、嵐剣皇は冷徹なほど落ち着いて『礼座光』を分析する。


(これほどの深手を負いながら血も臓腑も漏れていない……やはり、この少年は人間ではない)


「ヒカル!」


名を呼ぶ基と目に涙を溜める舞に、ビルの壁にもたれかかった光が目を開け口元に笑みを作ってみせる。

「ハジメ、マイ……みっともない所を、見せてしまったな」

「無理して喋っちゃダメよ!」

光の傍らで夕が血相を変えて叫ぶ。光の身体にかけられた夕の上着を見て、感付いた基は恐る恐る問うた。


「怪我……してるのかい?」

「一緒に見ていたでしょう、基くん。かなりの重傷よ」


夕の声色は、少年達には酷な覚悟を促すものだ。

「やだ、ダメだよ……友達になったばかりじゃない。そんなのイヤ、イヤだよ……!」

耐え切れず、少女の瞳から涙がこぼれる。

基も夕も、悲痛な面持ちで泣きじゃくる舞と衰弱した光を見つめるしかない。


「泣くな、マイ。じゃ、俺は死なない」


その言葉に、舞だけでなく基も、夕も、そして端末越しの嵐剣皇も耳を傾ける。

「見ての通り、俺はじゃない。いずれ傷は塞がり、力も戻る」


「じゃあ、じゃあ、じっとしてれば治るの!?よ、良かった……良かったよぉ」

「ああ、そうだ。だからそんな風に泣かなくていいんだ、マイ」

だが……と続ける光は、何の意図か夕に視線を向けた。

「この傷は『削撃』で受けたから、回復にはかなり時間がかかる」

その言葉。充分に意味を理解できたのは、嵐剣皇だけであった。


礼座光このすがたで居ることも、暫くは難しい」

光が微笑む。その顔は、心底寂しそうな、儚げな色を湛えている。

そんな光の碧い眼をまっすぐ見つめ、再び基が問う。


「ヒカル。僕達は、何か力になれない?」


その問いには、少年の確信が込められていた。

「あの時、君が言ったことの意味をずっと考えてたんだ」


顔立ちにまだ幼さの残る少年の背中が、舞には大きく見えた。

辰間基の決めた覚悟が、彼自身の背中を大きく見せたのだ。


「僕は、。そうすれば、君の力になれるんだろう?」

「わ、私も!ヒカルは大切な友達だもん!」


途方も無い年月を経て、再び結ばれた人間ヒトとの友情。

「やはり人間は……暖かい。あの陽光ひかりのように――」


ともすれば、陽だまりの優しさは己を弱くする。

恐ろしさと裏腹の優しさに触れるには、それに応える意思が必要だ。


「ハジメ。マイ。君たちに、頼みが、ある」


二人の答えは既に聞いている。

言い終わると同時に礼座光の肉体が輝く粒子の塊となり、二手に分離。

一方は基の左手首へ。もう一方は舞の胸元へと吸い込まれた。


基は驚きで声をあげるのも忘れ、微かな熱を帯びる左腕を見る。


「これ…僕のブレスレット?」


肌身離さず身に着けている腕輪は、金属の環に透明な珠が収まっただけの簡素な意匠であった。

いま基の腕に収まっているのは、細身の龍を象った銀環である。龍の口が咥えた珠が辛うじての名残だ。


「私の指輪も!ホラ!」


舞がペンダントにしている指輪も、根元に珠が嵌められた銀の羽根のような外見に変化していた。


「「力が戻るまでの間、ほんの少しずつ君達の精命力を俺に分けてほしいんだ」」


どこからか聞こえてくる光の声は、かすかに残響している。

「あれ、ヒカル、どこへ行ったの?」

「もしかして、『ここ』から?」


基が自分の左手首…龍のブレスレットを覗き込む。

「「ああ。俺の肉体を二つの欠片にした。暫くの間、身につけていてくれ」」

「ヒカルは基のブレスレットと私のペンダントになったってこと!?」

「「そうだ。俺の欠片同士が近くにあれば、こうして話をすることもできる」」


「不思議ね。私にもあなたの声が聞こえるわ」

少年達の会話を聞いていた夕が、上着を羽織りながら言う。

「「一種の念話テレパシーのようなものと考えてくれ」」

「ええ。最近は精神衛生上、その辺り深く考えないようにしてるわ」


「「ハジメ、マイ、改めて言おう……ありがとう。そして、本当にすまない」」

今度は光の方が二人に謝罪した。


「「君達を守る筈が、魔族との戦いに巻き込んでしまった。挙句に、この有様だ」」

「そんな事言わないでよ。ヒカルは命がけで戦ってくれたじゃないか」

「そうだよ。お礼言ったり謝ったりなんて、いいよ」

「「だが、これでは当分戦うことも出来ない。すまな」」

「いい加減、謝るのよしなさい」


割って入ったのは夕である。

嵐剣皇の謝り癖にそろそろ辟易してきていた彼女は、同じように謝罪を続ける光に実際苛立ち始めていたのだ。

そのため、制した言葉にも言い知れぬ迫力が篭っており、舞が少し怯えた。


「あなたが戦えない間、この子達は私が守るわ」

「夕さん!?」

「ど、どうしてそうなるの?」

「二人とも、さっきの紅いロボット見たでしょう?あれに乗っていたの、私よ」


驚きの声をあげる少年少女を置き去りに、夕は話を進める。

「さっきの怪物、もしかしたら私も無関係じゃないかもしれないの。私にも、真相を突き止める『目的』があるわ」


この地上で生き延び、目指す地へ辿り着くには逃げるばかりではいられない。

時として障害たる敵に立ち向かわなくてはならないことを、夕は知ったのだ。

夕にとって、既にこの旅の目的は単なる逃亡の達成ではない。

想い人のルーツを辿る旅…明彦の想いと添い遂げる旅なのだ。


「それともう一つ、あなたの力が戻ったら今度は私に力を貸して欲しい」


「「俺の力を?」」

「ええ。私の目的地までとして同行してもらいたいの。地上の現状に詳しくて、腕の立つ人じゃなきゃ頼めない事よ」

待ち受けているのが如何なる険しい道であったとしても厭わないと決めている。

先刻斃したドリルを持つ魔族の存在が、彼女の前途が多難であることを示唆している。

協力者を得られるならば、得ておきたい。


「「わかった。約束しよう」」

「決まりね」


光の返答を確認すると、夕は少し深めに息を吐き表情を緩めた。

眼鏡の奥の眼差しが、優しく少年少女に合わせられる。


「改めて、自己紹介。ドリルロボ『嵐剣皇』の搭乗者ナビゲーター、薙瀬夕です。よろしくね、基くん、舞ちゃん」

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