第15話 愛別離


九十九に引導を渡しドリル獣の脅威は去ったが、穿地研究所はなおも連日慌しい。


ひとつは戦闘により破壊された各地の復旧作業。

更に、穿地が秘密裏に準備していた切り札『百鬼夜行プログラム』に関して採掘都市の広報部や一般市民からの問い合わせが殺到しているのだ。


「旭、もう昼ヨ!いい加減起きなさい。そして“働き”なさい」

いつも通りノックをせず扉を開けた彰吾は、部屋に踏み入ると同時にベッドで横になる家主に言い放つ。


「今日は体調がすぐれないんだ」

「アンタは“風邪”ひかないわよ」


これこそ我らが戦場と言うほどに多忙を極める研究所職員とは対照的に、旭は連日空虚そのものと言って良い。

作業を休み居室に篭ることもしばしばあるが、旭は敵の首魁を討ち果たした功労者の一角である。少なくとも表向きは、所員からの風当たりは弱まっている。


「しかしまぁ、しけた顔してるわね」

それは彰吾にとって見慣れた顔。ドリル獣との戦いを終えた彼は、いつもこの顔をしていた。


「…なんか言いなさいヨ」

続けざまに浴びせる軽口にも無反応な旭に、彰吾はいよいよ決意をした。


「あのさ、前から思ってたけど。アンタ虎珠皇と“暴れ”終わるといつもそうだったわよね」


一拍置き、落ち着いたトーンで次の句を告げる。


「“仇”が討てたんでしょ。喜ぶってのもちょっと違うかもしれないけど……アンタも、ようやく“前”に進めるンじゃないの?」


旭が寝床から身を起こす。

ベッドの端に座った格好で一度だけ彰吾を見上げ視線を合わせ、すぐに視線を床に落とす。

独り言のように、或いは懺悔をするように、旭が口を開いた。


「最初から最後まで、そうだった。手応えがないんだ……」

「“手応え”?」

「家族が殺された日から、頭ン中にドス黒いモヤがかかって晴れねえ。ドリル獣を潰していけば、いつかは晴れると思ってた」


虎珠皇を駆っている時の旭は、さながら獣の化身であった。

彰吾が今見下ろしているのは、たった独りの青年だ。


「どれだけ連中を叩き潰しても……何も、何も変わらない。いつだって、今度こそは、って我武者羅に突っ走ったんだ。最後には、連中の親玉をこの手で八つ裂きにした」


「それでも、何も変わらなかったのね」

無言で頷き、旭は述懐を続ける。

「いま思えば最初に虎珠皇に乗った時、既に仇討ちは終わっていたんだ。俺の家族を殺したドリル獣が最初にブッ殺した相手さ。あとはよ、八つ当たりみたいなモンだったんだ」


彼にとって、復讐こそが生の全てであった。それが成った今、何一つ充たされず、渇く事もできず、耐え難い空虚だけが残っている。


「なあ彰吾、わかるか……?今の俺には、何が残っている?」


旭の問いを受け、暫しの沈黙の後、彰吾が答える。

「……わかんないわ。それに、そういうことって他人に何か言われてどうにかなる事じゃないわよ」

それは彰吾の本音である。彼もまた、旭の言うに苛まれているのだ。


「一つわかることは、アンタは理屈で動くタイプじゃない。だから虎珠皇もアンタを選んだ」

「虎珠皇……俺は、どうしてあいつに選ばれたんだ……」

「ホラ!休むに似たりよ!何か行動なさい。例えば……そう、ご家族に、“報告”はした?」


「家族に報告……?」


まったく意を得ない面持ちで顔を覗き込んでくる旭に、彰吾はため息をつく。

「 “墓参り”よ。それも生きてる奴の“務め”よ」


「墓……」

「そういえばアンタ、その辺のこと一向に進めてる感じが無かったわね」

「……それも、そうだな」

本当に思い至っていなかったようで、旭の視線が再び床に落ちる。


「遺骨はウチで預かってるワ。ウダウダ考えてないで、まずはきちんと“ご挨拶”してきたら?」

「ああ……そう、だな……案内してくれねえか」

彰吾が頷くのを確認し、ゆっくりと立ち上がる旭。顔には虚脱の色をたたえていたが、そこに微かな笑みを浮かべ彰吾を見た。

「ありがとな、彰吾」

「……何もしてないわヨ」


ドリル獣により惨殺された旭の家族の遺体は、研究所の捜査班が回収していた。

後に荼毘に付され研究所が遺骨を保管していたのだが、唯一の肉親である旭による意思表示が保留されていた為、そのまま特別室に安置されていたのである。


「この先が特別安置室よ。いってらっしゃい」


付き添った彰吾が、旭に声をかけ立ち去った。

扉を開くと、薄暗い室内の棚にいくつかの白い壺が整然と並べられているのがすぐ目に入る。

並べられているのは骨壷である。身元が判っているものだけに、名札がつけられているようであった。


「……あった」


旭の父、母、そして妹・明の遺骨は並んで棚の中ほどに安置されていた。

ひとつずつ、そっと手に取り部屋の片隅にあった台へ移動する。


三つの骨壷の蓋を開けると、収められた骨の白が吸い込まれるように視界に染み入る。

旭は、一つ一つの遺骨に指を触れていった。指が白骨に触れる度に、父、母、妹、家族一人ひとりの姿が脳裏に浮かぶ。


――元気だった頃の逞しい父の背中、病気がちになっても変わらなかった優しさと力強さを内包した眼差し。


――聴くだけで心の底から安心できた母の柔らかな声。いつも家に帰れば感じられた暖かな気配。


――いつも自分を見上げていた瞳。見ている自分もつられて幸福な気持ちになる、妹の笑顔。


遺骨に触れることで、脳裏に浮かんだ紅顔の家族達は、白骨となった現実に結びついた。


「親父、お袋……明……!」


その時、青年・天原旭は本当の意味で愛する者達との『別れ』を経験した。


安置室に男の慟哭が響く。

獣の咆哮でも、修羅の鬨でもない、ただ一人の家族を喪った男の慟哭である。



次の日、旭は格納庫へ赴き、修理を終え佇む虎珠皇を見上げていた。


「虎珠皇。お前が居なかったら、家族の仇は討てなかった」


虎珠皇が喉を鳴らし応える。


「これからか?これから先は……ただ生きていくさ」


旭の目にはかつての虚ろさとは異なるくうの色があった。

すべてを喪った彼は、今、たった一つのを掴んでいる。


「虎珠皇。お前も、生きているんだよな――どんな奴だって意味も無く死ぬ。生きてる意味なんてのも無えんだ。だから、俺はただ生きるだけだ」


虎珠皇が再び吼える。

橙色の暖かみを帯びた、優しい呼応であった。

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