九幕:運天之選択者

「次はたぶん、師央が死ぬ」

 海牙が兄貴を追って駆け出した。オレは鈴蘭と師央をカルマの店内に押し込んだ。


「ここにいろ。オレが迎えに来るまで、絶対に出るな。誰も立ち入らせるな」


 鈴蘭がオレにすがりついた。青い目に涙が浮かんでいる。


「イヤだ! 先輩、またケガしちゃう。わたし、待ってるだけなんて!」


 オレは鈴蘭を引き剥がした。


「ここにいろ。師央、鈴蘭を任せる。身を守るときは号令commandを使え。下手に戦おうとしなくていい」

あきらさん、でも、ぼく……」

「これから先は、オレたちのケンカだ。暴走族だなんて肩書をほったらかしにしてたツケが回ってきた。おまえたちには関係ない。巻き込んで、すまない」


 師央がうなずくのを見届けて、オレは二人のもとを離れた。


 怒号の飛び交う戦場へと走りながら、自分の言葉と心境の意味を考える。本気で思ったんだ。鈴蘭と師央をオレたちの私闘に巻き込んで、そんな事態を作った自分に腹が立った。


   ――合わせる顔もない――

   守り通す力も持ち合わせないのに。


   ――平穏に生きられたら――

   そのために今、何ができる?


 混ざってる。この気持ち、今のオレのものじゃなくて。


 これは、遠くない未来。


 痛みが麻痺した意識。薄れる視界、音。冷えていく体。絶望に沈みながら、オレは願う。


   ――愛してる――

   一緒に生きたい。


 未来が見える。運命の一枝に異変が起きてるのか? 正木が未来の白獣珠を奪って行ったから?


 思考が迷走しかける。でも、考えても仕方ない。目の前には戦場。意識を切り替えなきゃいけない。オレは混戦の集団に向けて吠えた。


「緋炎、テメェら! オレの仲間にナメたことしてんじゃねぇよ! 瑪都流を潰したけりゃ、オレを倒せ! やれるもんならな!」


 だてにヴォーカルやってるわけじゃない。オレの声は空気を震わして響き渡る。そこここのケンカが一瞬、止まる。その隙を突いて響き渡る別の声。


【緋炎の臆病者は逃げていいぜ!】


 ひとだ。弾かれたように、緋炎の下っ端が悲鳴をあげて逃げ出した。

 殺気むき出しの連中がオレに向かってくる。


「覚悟しろ、銀髪の悪魔ぁぁぁっ!」


 やけっぱちだな。声が裏返ってる。


 オレは気息を整えて身構える。体の興奮を高めて、意識は冷静に保つ。醒めた心で戦う。自分の痛みにも相手の痛みにも目を向けずに。


 仲間を守るためにできることは、一つ。勝ち続けること。


 ケンカはハッタリだ。強気で押す。礼儀も型も必要ない。向かってくるやつを蹴散らす。余計なことは考えない。下がるより、踏み込む。かわすより、突っ込む。拳や足だけじゃなく全身が武器だ。オレの体は誰よりもよく動く。


 敵が怯む。オレの銀色の髪と金色の目に怖気づく。そう、ケガしたくなけりゃ逃げな。

 兄貴と背中を預け合う。オレたちは最強だ。勝てないケンカなんてない。



***



 緋炎は、あっけなかった。足腰が立つうちに逃げ出した。総力戦と言ってたくせに、呆れる。


 こっちも無傷ではない。兄貴の頬にも殴られた跡がある。生徒会長なのに、明日どうするつもりだ? 腫れが引かない顔じゃ、ケンカがバレるぞ。


 さいわい、骨折みたいな重傷者はいなかった。兄貴は全員の状態を確認して、息をついた。すぐに笑顔になる。


「大事に至らなくてよかった。おれたちに付き合って一緒に戦ってくれたみんな、ありがとう!」


 それが兄貴の、表の本心。裏では、ICレコーダーにすべて録音してある。緋炎を陥れるネタは、録音データから拾う手筈だ。


「おい、兄貴。ここは兄貴に任せる。オレは師央たちと話したい」


 兄貴が真剣な目をした。外灯に照らされて、赤みがかった茶色の目がきらめく。兄貴が、オレの肩をポンと叩いた。


「白獣珠のことだよな。行って来い。おれは預かり手じゃないから力になれなくて、すまん。おれ自身の運命もかかってるってのに」


 兄貴は、師央が十五歳のときに死ぬ。師央を過去に送って運命を変えさせるために。そんなふうに、両親の墓の前で師央が告げた。


「変えてやるよ、運命。もちろん、兄貴のぶんもな」


 オレは兄貴たちのそばを離れた。海牙と理仁が、何も言わずについて来た。

 半壊したバー、カルマの出入口のあたりで、鈴蘭と師央は体を縮めていた。


「終わったぜ。二人とも無事か?」


 師央が笑顔を見せた。


「無事です。煥さんも無事みたいで、よかった」

「オレがあの程度の連中に負けるかよ。ほったらかしてて、すま……」


 すまなかった。そう言おうとして、息ができなくなる。鈴蘭がオレに抱き付いている。柔らかくて温かい。


「煥先輩、わたしっ」


 言葉が、すすり泣きに変わる。オレの胸に、鈴蘭は顔を押し当てている。Tシャツが汗と埃に汚れてるのが、急に気になった。


「おい、バ、バカ、何なんだよ?」

「ご、ごめん、なさ……わたし、何の役にも立てなくてっ、あ、足手まといで、守られてる、だけで! 預かり手、能力者なのにっ。自分が、悔しくてっ」


 オレは鈴蘭を見下ろした。キレイにまとめてあった髪がほどけている。小さな肩が、泣きじゃくって震えている。


 海牙が、足音をたてずにオレのそばに来て、半端に浮いたままのオレの右の手首をつかんだ。海牙の手に導かれて、オレの腕が動く。オレの右腕は、鈴蘭を、そっと抱いた。左腕を添える。オレの腕の中で、鈴蘭が体を硬くした。


 なつかしい、と感じた。鈴蘭を抱きしめること。その柔らかさと温もりと存在感が、なつかしい。


   ――誓います――

   神じゃなく、命に懸けて。


   ――おまえたちを愛し抜く――

   そして尽きる、オレの命。


 未来の記憶が押し寄せる。何が起こるのか、形は見えない。ただ、オレがこれからいだくはずの感情が、胸を満たしていく。

 痛い。胸が痛い。壊れていく幸せの残像。心が痛い。


「あ、煥、先輩?」


 鈴蘭がオレを見上げた。薄暗い屋内。でも、鈴蘭の表情はハッキリわかる。


「涙、止まったか?」


 鈴蘭が、こくりとうなずいて、オレの胸を少し押した。オレは腕をほどいた。

 理仁が、近くの椅子を引き寄せて座った。明らかに消耗している。口元の笑みにも無理がある。そのくせ、口調を変えない。


「さてと? 甘~いシーンを見せつけてもらったところで、次に進みましょうかね。海ちゃんにチラッと聞いたけどさ、白獣珠、盗まれたって?」


 オレは、黙って首を縦に振った。

 海牙が髪を掻き上げた。眉をひそめて口を開く。


「今、運命のこの一枝に、白獣珠はいくつあるんでしょう?」

「海ちゃん、それ、おれも考えてた」


 二人のやり取りに、師央が、ひとつ身震いした。


「どういう意味ですか? 白獣珠は、二つじゃないんですか? 煥さんのと、ぼくの」

「ループしているかもしれないんですよ。この一枝、延々とループし続けてるかもしれない。その可能性に、さっき気付いたんです」

「ループって?」


 海牙は理仁に目配せした。理仁は、海牙に「どうぞ」とジェスチャーする。海牙が話を続けた。


「煥くんが持っている白獣珠をAエーとします。やがて生まれる師央くんが、Aを引き継ぐ。Aを持った師央くんが時間をさかのぼる。過去で出会う煥くんも、白獣珠を持っている。これをA’エー・ダッシュとする。Aのほうは、過去の時点で紛失する。でも、やがて生まれてくる師央くんはA’を引き継ぐ。今度はA’が時代をさかのぼる。Aがどこかに紛失したままでね」


 師央が、ふらりとよろけた。


「それが繰り返されてるって言うんですか? ぼくが、時間をさかのぼり続けて、Aのダッシュの数が増え続けて、つまり、白獣珠の数が、増え続けていて? でも、おかしいですよ。それじゃ、どこに、そんなたくさんの白獣珠が?」


 海牙が、かぶりを振った。


「わからない。曖昧な仮説ですよ。物理的には成立し得ないように思える。でも、原理的に想定することもできる。ただし、もしこの仮説が正しいのなら、危険ですね。この一枝の質量が増え続けているんだから」


 師央が、へたり込んだ。


「じゃあ、ぼくは? ぼく自身は、何人?」


 海牙が口ごもった。理仁が代わりに言った。


「どこかにいるのかもしれないね。ドッペルゲンガー的に。でもさ、一般的に平和な感じで生きてはいない。だって、師央は未来、見てきてるよね? 自分そっくりの親戚なんて、いないでしょ?」


 師央がうなずく。理仁が顔から笑みを消した。


「考えられるシナリオとしてはさ、次はたぶん、師央が死ぬ」


 ガン、と頭を内側から殴られたような衝撃。


「ちょっと、待てよ、おい」


 自分が死ぬ未来を見たときよりショックだ。師央が、この時代で死ぬ?


「あっきー、おれは今から残酷なこと言うよ。もし、この一枝が師央を軸にループしてるなら、その要因は、あっきーと鈴蘭ちゃんにもある。師央って存在を生まないって選択肢もあるんだよ? でも、二人はそれを選ばない。だから、師央が生まれる。ループが続く。どうしてかな?」


 理仁がオレを見る。朱い光を宿す、冷たいほど真剣な目。オレは答えられない。理仁は鈴蘭に視線を移した。鈴蘭が理仁に答えた。


「挑戦するため。今度こそ必ず運命を変えたい、って。だって、わたしは二人を愛するから。その未来が訪れないなんて悲しすぎるから」


 理仁は冷静に言った。


「でも、それがループを引き起こす。師央に何度もつらい思いをさせる」

「やめろ、理仁」


「あっきーにも、わかってるはずだ。この一枝は、そろそろマジで異常だよ。最近、しょっちゅう未来が見えるんだ。予知夢ってやつ。昔から、軽~い予知はできてたけどね。勘がいいって程度で。なのに、師央が来てからこっち、本気で変だ。本気でヤバいと思う」


 未来が見えるという言葉に、オレの胸に痛みがよみがえる。大切なものを守れない悲しみと、目的を遂げられないまま死ぬ悔しさがよみがえる。


「あっきーも見えてんだ? さっきの言い方からすると、鈴蘭ちゃんもね。わかってんでしょ? これから起こること。師央が確かに経験するはずの不幸。それでもこのまま進もうって思う?」


 海牙が静かに言った。


「師央くん、話してくれませんか? いつ、どうして煥くんたちが死ぬのか。なぜきみが時間をさかのぼろうと決心したのか。ぼくがみんなに伝えますから」


 師央は力なくうなずいた。唇が動き始める。声はない。海牙は師央の口元を、じっと見ている。


 オレは壁にもたれて目を閉じた。しんとしていた。自分の呼吸の音が、ひどく大きく聞こえた。遠くから、人のざわめきが聞こえる。瑪都流の面々が声をあげているんだろう。


 長い時間はかからなかった。師央の弱々しい声が、話の終わりを告げた。


「……これで全部です」


 海牙が額を押さえた。


「考え付く限り最悪のシナリオですね。だからこそ質量が大きい。あるいは、ループしながら、より大きく成長しているのかな」


「おい、海牙?」


 海牙は目元の表情を隠したまま語った。


「師央くんが産まれるのは、今から四年後、煥くんが二十歳のときです。そして、それから約一年後、師央くんの両親とその友人が死ぬ。つまり、煥くん、鈴蘭さん、ぼくが死ぬ。青獣珠と玄獣珠も奪われる。そこで生き残るのは、師央くんとふみのりくん、それと白獣珠」


 オレは師央を見た。師央はうなずいて、目を閉じた。目尻に涙がある。海牙は続ける。


「師央くんは文徳くんに引き取られて、襲撃者から隠れながら暮らす。でも、三度、見付かった。一度目は、師央くんが物心つく前。そのとき、文徳くんの親友が死んだ。同時に、朱獣珠が奪われた」


 理仁が唇を噛んだ。兄貴の親友ってのは、理仁だ。


「二度目は、師央くんが十歳のとき。この襲撃は、師央くんも記憶している。銃を乱射されて、文徳くんの仲間たちが死んだ」


 仲間たちってのは、瑪都流だ。牛富さんや雄が、争いに巻き込まれて死ぬんだ。


「そのとき聞いた言葉がある。襲撃者のリーダーが、文徳くんに言った。古巣からはとっくに離れた、と」


 理仁が師央に訊いた。


「その古巣ってのは、KAHNって意味?」


 師央の唇が動く。声が出ない。もどかしそうに、首筋に爪を立てる。

 海牙が、かぶりを振った。相変わらず表情を見せない。


「師央くんは、十歳のころにはわからなかった。襲撃者の正体も、なぜ白獣珠が狙われるのかも。今回、やっとわかったんですよ。正木さんの顔を見て、襲撃者のリーダーが正木さんであることを思い出した。そして、襲撃の要因が今この現在にあることもわかった」


 理仁が鼻を鳴らした。


「やっぱ、正木ってやつ、ハマっちゃうわけね。白獣珠で願いを叶えて、それが癖になる」


 正木はさっき、白獣珠を使った。理仁の号令を解除するために、自分の身が傷付くことを代償にして。

 海牙は師央の物語を続ける。


「師央くんが十五歳の春。最後の襲撃があった。文徳くんの一家が殺された。文徳くんは、最期に白獣珠に願った。師央くんと白獣珠を過去に送って、運命を修正する。代償は、文徳くんの命。時間跳躍タイムリープした先もまた襲撃の場で、師央くんは両親と伯父が死ぬところを目撃した」


 オレは思わず口を挟んだ。


「兄貴が死ぬ? でも、兄貴はそこで生き延びるはずだろう? 師央は、そういう未来を生きてきた」


「たぶん、ぼくの仕業ですよ。師央くんの声を代償に、師央くんをさらに過去へ送る。師央くんが目撃したのは、そこまでだけどね。ぼくは、論理のつじつま合わせをするはずです。力学physicsがぼくの行動原理だから。力学、物理学は、論理の学問なんですよ。師央くんを育てるのは、文徳くんです。その結果を成立させるために、ぼくは自分の命を代償に、文徳くんを蘇生する」


 そして十五歳の師央が、因果を背負った白獣珠を携えて、オレたちの高校時代に現れた。

 オレは頭が回っていない。思考が止まっている。でも、口が勝手に動いた。


「どう思った? 顔も知らなかった父親の若いころを知って、何を感じた?」


 栗色の髪と赤っぽい茶色の目の、伊呂波家の血筋の色をした師央を初めて見たとき、オレに似た顔だと、自分でも思った。


 師央が、くしゃりと顔じゅうで笑った。そんな表情、オレはしない。師央だけの表情だ。


「嬉しかった。煥さんを初めて見たとき、銀色の髪、金色の目で、伯父さんから聞いていたとおりで。顔、覚えてないのに、なつかしくて」


 笑った師央の両目から涙がこぼれた。

 最初は信じられなかった。いきなりパパと呼ばれて、意味がわからなくて、苛立った。だけど、今はわかっている。オレのやりたいこと。


「オレが師央の運命を変えてやる」

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