金魚鉢9 高官~賢朗女狐

 闘魚とうぎょが描かれたタイルの床を踏みしめ、亜人の少女たちが踊っていた。薄いタイドレスに身を包んだ彼女たちは、擦弦楽器を手にクルクルと体を回してみせる。

 錆虎さびとら雉虎きじとら赤茶あかちゃまだら

 さまざまな色合いの猫耳をくねらせ、少女たちは回ってみせる。

 その中央に、蒼い猫耳をひるがえす少女がいる。彼女の白い衣には色とりどりのブーゲンビリアが飾られ、頭にも花輪が乗せられていた。笑顔を浮かべる彼女を鼓舞こぶするように、左右にえた少女たちがかごから花びらをき散らしてみせる。

「ほぉ、いつ見ても蒼猫あおねこ縁起えんぎがいいのぉ。縁起がいいのぉ。ここに赤狐あかぎつねも加わるわけかぁ」

 そんな彼女たちをベルベット張りの椅子に座った老人が、にこやかに眺めていた。ラオ・カーオ――度数どすうの高い焼酎しょうちゅう――がたっぷりと入ったセラドン陶器の湯呑ゆのみを持ち、彼は側に立つフクスに微笑んでみせる。好々爺然こうこうやぜんとしたその微笑みに、フクスは思わず吹き出してしまった。

「おりょ、何がおかしいかなぁ。おじょうちゃん」

「すみません。ラタバイさま」

「爺と呼べと言ってるだろう。わしは可愛い孫たちの顔を見に来とるだけだ」

 不機嫌そうに彼は愚痴ぐちり、ぺちりと禿げた頭を叩いてみせる。お茶目な彼の仕草に、フクスは思わず腹を抱えていた。

 ラタバイ。それがこの老人の名だ。総督府そうとくふでもトップに君臨するやり手の高官だというが、そんな様子はお首もみせない。

「だって、ラタバイ爺面白い過ぎです」

「敬語も硬っ苦しいの。かたっ苦しいのぉ」

 はぁっとため息をつき、ラタバイは心底悲しげな眼をフクスに向けてきた。

「あぁ! ラタバイ爺! フクス!! 私たちのおどり見てないでしょ!?」

 そんな2人に、大声で呼びかけるものがる。びっくりしてフクスが正面を向くと、ミーオが不満げに頬をふくらませていた。先ほどまで彼女と一緒に舞っていた少女たちも、つまらなそうに猫耳をたらしている。

「やぁやぁごめんよぉ。新しい子はついつい贔屓ひいきしちゃうなぁ」

 湯呑を机の上に起き、ラタバイは立ち上がってみせる。彼は横に立つフクスの肩を掴み、無理やり引き寄せてきた。

「ラタバイ爺っ?」

「フクスちゃんは柔らかいのぉ。儂の血の繋がった実の孫とは大違いじゃぁ。いいのぉ。若い子はいいのぉ」

「もう、くすぐったいですよ」

「本当、爺ってばコドモ」

 ラタバイはフクスの頬を指でつついてくる。その感触がくすぐったくて、フクスは笑っていた。そんな2人を見て、ミーオも苦笑してみせる。

 ラタバイは娼館にいる少女たちからとても慕われている。他の客と違い、彼は亜人の少女たちにとても優しい。

 まるで、人間のようにフクスたち亜人を扱ってくれる。

 それから、彼が好かれている理由はもう一つある。

「ラタバイさま。お話の準備が整いました」

 りんとした声がする。フクスはさっと笑みを消し、ラタバイから離れていた。ミーオと他の少女たちも、ラタバイの背後へと下がっていく。

 後方にある両開きの扉へと視線をやる。黒いタイドレスに身を包んだオーアが、真摯しんしな眼をラタバイに向けていた。

「これは、これは、女主人さま。またぁいっそうお美しくなって……」

「おほめめに預かり光栄です。ラタバイさま」

 そっとオーアはラタバイに頭をたれる。そんなオーアにラタバイは困惑したような眼差しを送ってみせた。

「どうか、されましたか?」

 頭をあげたオーアが狐耳をピンとたて、ラタバイを見つめてくる。

「いや、なんでもないよ」

 ラタバイはそんなオーアに笑ってみせた。そんな彼の笑顔が、どことなく悲しげなのは気のせいだろうか。

まいりりましょう、ラタバイさま」

 漆黒しっこくのスアーを優雅ゆうびに翻し、オーアは体を扉へと向ける。彼女は振り向きざまにラタバイに微笑んでみせた。

「あぁ、行くか……」

 その笑みに促され、ラタバイは扉へと急いで近づいていく。そんなラタバイの手を優しく握り、オーアは部屋を出て行った。

「何か、オーアさんいつもと違う……」

 扉が静かに閉められる。それと同時に、フクスはぽつりと言葉を吐き出していた。この遊郭の女主人であるオーアは誰に対してもどこか威圧的いあつてきな態度をとる。そんな彼女が頭をさげる相手がいることが、フクスにとっては驚きだった。

 相手は政界の重鎮じゅうちんだ。ここ数ヶ月、ラタバイは頻繁ひんぱんに遊郭を訪れている。オーアが彼のパトロンだからだ。政府が推し進める売春改正法を食い止めるために、遊郭街の亜人たちは団結し、反対派の政府高官たちを支持している。

 この金魚鉢の自治を守るためにも、オーアはラタバイに頭をさげなければいけないのだ。

「ねぇ、フクス……」

 ぽんぽんと肩を叩かれ、フクスは我に返る。背後へと顔を向けると笑ったミーオと眼があった。ニヤリと目尻を釣り上げ、ミーオは得意げな笑みを浮かべている。

 まるで英国の童話に出てくるチシャ猫のようだ。

「オーアの様子見に行ってみない? 楽しものが見られるよ」

 フクスの狐耳に口を近づけ、ミーオは弾んで声でそう告げる。不思議そうにフクスが狐耳を動かすと、ミーオは楽しげに口のはしをあげてみせた。




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