第3話 白雪姫の決意

 白雪が皆の生存に気付いたのは、『裏野ハイツの怪奇』による神隠しから二日後の事だった。

 終業式が終わり、一人、事件のショックから、まだ立ち直る事が出来ずに駅前の商店街をトボトボと歩いていた時の事。


『に……げ、ろぉ』


 電車通過待ちの踏切。

 雑多な人々が佇む中で、異質な気配を感じ取った。


 人の大きさの陽炎のような歪みが三つ。切り揃えられた白雪の黒髪を微かに揺らして、脇を掠めて走り去って行く。


「ぁ……部長?」


 それは、酷く希薄な気配で、気のせいと感じてしまえばそれまでの駆け抜けていった僅かな気配。これを霊感とか、第六感と言うのだろうか。


「オカジャン……マッチョン」


 『裏野ハイツの怪奇』との邂逅。

 あの日の夜から、そっちの感覚が覚醒した。曖昧な表現だが、そう言い表すのが一番しっくりくる。


 具体的に言えば、視界の中にはっきりと何か見える訳では無いけれど、町の所々に陽炎のような『歪む景色』が見えるようになっていた。


 そこには何かがいる。


 部長やオカジャンなら泣いて喜びそうな変化だが、みんながいない日常でこんな感覚は、無用の長物だと、疎ましくさえ感じていた。

 だけど、


「みんなの声……聞こえた!」


 非科学的で根拠の無い理由。


 だが、何故か確信めいた物を感じた。

 ――――部長達はまだ生きている。


 『部長』には、IQ190の天才的頭脳がある。

 『オカルト中毒オカジャン』には、大分偏っているけど豊富な知識がある。

 『脳筋女マッチョン』は、バカだけど馬鹿な体力がある。


 みんななら……必ず生き延びる。

 私達はオカルト部、なのだから。


 白雪姫は、自分自身に問い掛ける。

 自分に出来ることは何だ、と。


 自分にある物は『金』。

 ならば、使えるものは使え。


「行かなきゃ」


 白雪姫こと『フツーちゃん』は決意する。

 自分とみんなのいるフツーちゃんとしての『普通』を取り戻す為に『裏野ハイツの怪奇』と戦う事を。


 息を大きく吸い込んで吐き出す。

 白雪の顔から曇りが晴れる。目の前で遮断機の棒が上がると、疎らに歩き出した人々を追い越して、真っ直ぐ延びる道を駆け出した。


 *****


 白雪家の使用人、プロの情報屋を総動員して『裏野ハイツ』について調べ上げた。


 居住者の個人情報から、今回の事件の中心となるサイトの管理者、成り立ち、関連しそうな『怪奇譚』、ありとあらゆる情報を調べられるだけ調べ尽くす。


 判明していく『裏野ハイツ』の真相。

 『怪奇』と現実が繋がった。


 ――――夏休み初日。

 交渉に必要な材料を揃えるだけ揃え、白雪が最初に接触を試みたのは『裏野ハイツ』最古参にして、恐らくは一番の食わせ者の、菊。

 まずは、裏野ではなく、二番目を味方に付けることから始める。


 名前と居住地以外に、こんなにも情報が集まらない人間なんてこの世にいるのだろうか?


 何故かセバスチャンの『若きし日のダイアリー』と書かれた日記帳に、菊の情報が残されており「蛇の道は蛇ですよ、お嬢様」と誤魔化されてしまった。


 時刻は午後四時。

 買い物帰りの菊を、腹を擽る惣菜の香りが漂う商店街から、少し外れた裏野ハイツへ抜ける路地で待ち伏せる。


「あら、何か私に用事かしら?」


 対向材料が何も無いのなら、この身一つで真っ向から挑むのみ。駄目で元々、駄目なら102号室の管理人を攻め落とすのみだ。


「裏野ハイツの201号室にお住まいの菊さん、ですよね?」


「――――?どこかで、お嬢ちゃんとお会いしたかしら?」


 カリカリカリ


『裏野ハイツの怪奇 ゲーム 彼岸花 神隠し』


 掌サイズのメモ帳に、単語のみを書き綴って突き付けて見せる。菊の狐の様な細目がピクリと動き、笑顔の中に感情の変化があったことを逃さない。


「――ご存知、ですね?」


 ――――ヒュ


 風切り音。次の瞬間には喉元まで数センチの所で、果物ナイフの切っ先が止められていた。

 ひぐらしの鳴く夕陽が傾いた住宅街。対峙した老婆と女子高生の間に、燕尾服の紳士が間に割って入る。


 夏の生暖かい風が、汗の滲む肌を撫でていく。

 瞬きをした瞬間を狙われた、刹那の攻防。


「ミセス菊、お戯れはそこまでで」


 菊の手の甲を、包み込むように置かれた大きな白手。

 絶妙のタイミングでセバスチャンが凶刃を優しく受け止めていた。


「ふぅ、私もまだまだね。感情が表に出ちゃったわ。殺すのも骨が折れそう……と言うか無理ね。私をレディ扱いして下さる素敵な殿方の方が、私より手練れみたいだし」


「いえいえ、なかなかのお手前でしたよ」


「あらあら、お上手ね」


 何気ない会話に『殺す』とか入っているあたり、セバスチャンを連れてきて正解だった。

 白雪には、菊の動きが正直何も見えなかったし、今頃になって背中に冷たい汗が伝う。


 ……だけど、ここで余裕を崩すわけにはいかない。


「セバスチャンは、優しいですよ?私の味方でいる限り、ですけど」


「あら、それは怖いわねぇ。私にお話あるんでしょ?聞く価値のある相手か試させてもらっちゃたわ」


 菊が、獲物をセバスチャンに渡して、両の掌をこちらに晒して危害を加えるつもりが無い意思表示を示す。


「えぇ、私は平和的な商談・・をしに来ました」


「商談?こんなお婆ちゃんに?」


 コクりと視線を外さずに頷きながら、本当は吐きそうな程緊張しているのを我慢して、込み上げる胃酸を呑み込んで笑顔を作る。


「初めまして、菊さん。私の名前は白雪姫。是非『フツーちゃん』と呼んでください」


「フツーちゃん?あなたが?ふふふ、あら、あら、それはとても……可愛い名前ね。気に入ったわ」


 まだ震える手を握り締め、両手に拳を固めながら、ここだけは真摯に、何も包み隠さない力強い言葉を菊へとぶつける。


「『裏野ハイツの怪奇』から友人を救い出して、私の『普通』を取り返すためにご協力お願いしますっ!」


 裏野との接触の前から『裏野ハイツの怪奇』に迫るための表舞台での前哨戦は始まっていた。


 *****


 菊を連れて強襲した裏野の部屋。


 白雪の質問に、暫くの沈黙が流れる。


「……彼岸花ひがんばな、ね」


「菊さん、『彼岸花』について何かご存知なんですね!?」


 瞼を閉じて過去噛み締めるように、白雪の質問を反芻する菊の憂いを含んだ声音が室内に寂しく響く。


「……彼岸はババァの苗字、花はババァの孫の名前だ」


「――――!?それじゃ、菊さんのお孫さんが『裏野ハイツの怪奇』の正体なんですか!?」


 裏野の言葉に驚いて、白雪が視線を移すと、菊は少し困ったような微笑で返す。

 鼻から重たげな呼吸を吐き出すと、静かに口を開いた。


「あの子は、花は彼岸花が好きだったわ……裏野ハイツが建つ前私達はここで一緒に暮らしていたの」

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