月刊空飛ぶおにぎり君

沢田和早

一月のおにぎり君

 私が初めておにぎり君と出会ったのは一月十五日の朝でした。正月のお目出度い雰囲気もとっくになくなり、街はいつも通りの日常に戻っていました。


「今日も寒くなりそうだな、ぶるぶる」


 私は灰色の雲に覆われた空を眺めながら身を震わせました。この街は真冬になっても雪が降ることは滅多にありません。しかし、今日の寒さなら白い物が舞い始めても不思議ではない、それほど底冷えのする朝だったのです。


「ああ、降ってきたか」


 灰色の空の下、何かが見えました。黒くもあり白くもあるその何か……雪だろうと思ったのは見え始めた最初の瞬間だけでした。下に落ちて来るに従ってそれは雪ではなく、有り得ないものであることがはっきりと分かり始めたのです。


「ま、まさか……おにぎり!?」


 本当に有り得ないものでした。白いご飯を三角に握り、その表面を黒い海苔で包んだ、コンビニでお馴染みのあのおにぎりが落ちて来たのです。

 しかも落ちて来たのはおにぎりだけではありません。藁で作られた輪っか、年末になると家の玄関に飾られる注連縄しめなわ飾りの輪っかの中に、すっぽりと納まった状態でおにぎりが落ちて来たのです。


「あんな物、誰がどこから捨てたのだろう」


 周囲には三階以上の建物はありません。風に乗って遠くから運ばれて来たと考えるには重すぎます。飛行機から落とされたのでしょうか。でも何のために? 

 そんなことを考えているうちに注連縄飾りに嵌ったおにぎりは地面に向かって急降下していきます。このままではあと数秒でアスファルトに叩き付けられるでしょう。


「ええっ!」


 信じられない光景が私の目の前で展開しました。おにぎりが突然高度を上げたのです。まるで鳥や飛行機のようなその動き。そう、おにぎりは落ちていたのではなく、飛んでいたのです。


「空飛ぶおにぎり、実にファンタジックな存在だ!」


 しかしそう考えたのは私だけのようでした。街の通りを歩いている人々は、


「へ~、おにぎり型のドローンか」

「こんな所でラジコン遊び、危ないわね」


 などと言いながら、誰もそれ以上の関心を示そうとしないのです。私は違うと思いました。理由は分かりません。しかし、あのおにぎりはドローンとかリコモンとかではなく、本当に正真正銘のおにぎりであるとしか思えなかったのです。


 私は後を追いました。注連縄飾りに嵌ったおにぎりは低空をふらふらしながら飛んで行きます。飛ぶ速度はそれほど速くなかったのでなんとか付いて行けます。


 どれほどの距離を走ったでしょう。私はいつの間にかとある神社の境内に来ていました。そこでようやくおにぎりは地上に降りてくれたのです。私は息を整えながらおにぎりに近付き、その時になって初めてその大きさを把握しました。


「なんというでかさだ、一升飯かよ!」


 通常のおにぎり三十個分はありそうな大きさです。私はそっとその白いご飯に触れてみました、驚きました。石のように硬いのです。一体誰がこんなカチンコチンに握ったのでしょう。知らずにかぶり付いたら間違いなく歯が折れそうな硬さです。ゴリラ並みの握力を有した調理人の仕業に違いありません。


「でも、どうしておにぎりが神社なんかに。そしてこの注連縄飾りは一体何だろう……ええっ!」


 それは私の独り言でした。別におにぎりに質問したわけではなかったのです。しかしおにぎりは答えてくれました。私の頭の中におにぎりの声が直接聞こえて来たのです。


 それは長い物語でした。要約して話すと、


一、 おにぎりの性別は男、ゆえに「おにぎり君」と呼んで欲しい。

二、 生涯の伴侶を探して旅をしている。

三、 自分はこのように角張った三角形。だから伴侶は丸い形の娘がいい。

四、 長い旅を続けてようやく伴侶を見つけた。この注連縄飾りちゃんの丸み、サイコー! 今日はここで式を挙げるために来た。


 との事でした。


 おにぎりと注連縄飾り、私の想像を超えた奇妙奇天烈な組み合わせの夫婦です。どのような新婚生活が待っているのか見当もつきません。が、何はともあれこれから結婚式を挙げようとしているのです。御目出度いことです。私は拍手をして祝ってあげました。パチパチパチ。


「おめでとう、おにぎり君おめでとう。末永くお幸せに」


 おにぎり君の白いご飯が少し赤くなったような気がしました。カチンコチンの肌に似合わず、シャイな面もあるようです。

 私の拍手を受けて二人は再び空に舞い上がりました。これから拝殿へ行き永遠の愛を誓うのでしょう。折しも境内では焚火が赤々と燃えています。そこで燃やされているのは門松や書き初めなどなど。ああ、そうでした。今日は小正月。これは左義長の火祭りなのですね。


「ああっ!」


 私は叫び声を上げました。落ちたのです、注連縄飾りちゃんが。何の前触れもなく、まるで自ら飛び込むかのように、左義長の炎の中へと身を踊らせたのです。


「ど、どうして……これからおにぎり君と二人、幸せな新婚生活が始まるはずだったのに……」


 呆然と立ち尽くす私。それはおにぎり君も同じでした。力なく地に降り、境内の片隅に立つ樹齢五百年はあろうかと思われる大木の下に身を横たえたまま動きません。


「何が起こったんだい、おにぎり君」


 そう尋ねるとおにぎり君は涙ながらに語ってくれました。彼と共に幸せな人生を歩むはずだった注連縄飾りちゃんの儚い運命を。彼女は最後に言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。でも今日は左義長。お正月の注連縄飾りは今日を限りに燃やされなくてはならないのです。この運命に逆らうことはできません。こんな私を愛してくれてありがとう」


と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。注連縄飾り……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、家で飾る注連縄じゃなくて、横綱が腰に巻いている注連縄なら大丈夫とか、そんなことを考えちゃ駄目だからねえー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた灰色の曇り空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時がきっと来るに違いないと感じていました。

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