第9話

肩まで伸びた髪は赤茶色で、褐色の肌の顔付きは何処と無く中東風だ。異人の歳は分かりにくいが、ボロボロの外套から覗く貧相な体つきに低い背丈から見ても十分に子供だ。そして、まあ間違いなく少女だ。


しかし、いや何度見ても白い兎の耳が生えてやがる。

怯えた表情をこちらに向け、耳は小刻みに震えて垂れている。だがまあ見た所怪我もなさそうだな。


獣から忍者刀を引き抜く。糞、脂がべったりとついていやがる。使えるか?まあ無いよりはマシか。

ブンと一振りし血糊を払う。兎耳は無事な事だし、さっさと行くか。この獣の肉は惜しいが、本当に惜しいが捨て置くしか無い。そもそも火をおこす術がない。とっとと移動しないと追手が……


「ラ、キッタ、アグノーイノラ?ダ、ポウポウデ、サラント、キッタ-ノン、ヒンラフロラウルイエ!ラ、フウイノ!?」


兎耳に袖を掴まれた。そして何やらわめいている。分からん。

目を見開いて、驚いた表情だ。わめきながら獣の死骸を指差している。


「すまないが、言葉がわからん。この獣は好きにするといいから、その手を離してくれないか」


いくら俺でも子供に怒鳴るなんて真似はしない。出来るだけ優しい口調で語りかける。伝わったとは思えないが、できるならこの手を離して、その隙に逃げたい。


「ラ、スフェル、ガラーイエ。ラ、スフェル、キルモノイエ。ラ、ワッカ-ノンイノ?ラ、ハヘ、クングドマルイノ?」


しかし中々離してくれない。うーむ、困った。無理やり引き離しても良いが、今の体はイマイチ加減が分からん。出来れば手荒い真似をしたくない。

しかし言葉の通じない事がこうまで厄介とは。諜報部の人間であれば対処法ぐらい思いつきそうだが、生憎と畑違いだしな。


「俺、獲物、いらない。手、離せ。俺、行く」


何とか身振り手振りで説明しようとするが、イマイチ伝わらない。


「ダ、ナーダン、アグノーイノ?」


獣の死骸を指差した所で、兎耳も同じくそれを指差した。アグノーイノというのがこれの名前なのか?しかし先程はアグノーイノラと言っていたな。名前を指しているのか、何かの文法用語か。

試しに足元の石を拾って兎耳に見せてみる。


「ダ、ナーダン、チョラ、コンイノ?」


困惑しながら言った言葉からは、この石を指す単語が特定できない。

糞、あれは何という言葉が分かれば楽なんだが。

……試しに俺の御守りを見せてみる。


「……ダ、ナーダンイノ?」


やはり困り顔の兎耳。だが、これは当たりでは無いか?


「ダ、ナーダンイノ?」


再び石を見せて兎耳に聞きてみる。そこで俺の意図がようやく分かったのか、得心いった顔で答えてくれた。


「コン!」


「コン?」


「コン!」


よし、石は「コン」だな。次に獣の死骸を指差して聞いてみる。


「アグノー!アグノーアグノー!」


おお!この単語は兎耳の言葉の中にも何度か出たな。とすると当たりだ!言葉を知る事ができる!


ひとり浮かれていると、兎耳は再び袖をグイと引いてきた。


「ポノラ!ポノラ!」


「ポノラ?」


「……!ポノラ!ル、サヘ、ポノライエ!」


自分を指差して言っているという事は、こいつの名前か?試しに呼んでみると、満面の笑みになった。ルだとかサヘだとかは分からんが、おそらくは自己紹介か?

こうなると俺も名乗った方が良いのだが、流石に何かの魔法でもかけられたら堪ったものではない。確かマナフィの時は余計な階級だとか所属だとかが幸いしていたな。氏名をきちんと言わなければ大丈夫ではないかな。


「典行」


「ノリユキ?ノリユキ!ノリユキノリユキ!」


自分を指差し名乗ってみる。無事伝わったようで俺の名前を嬉しそうに連呼する。

……取り敢えずは何ともないな。この前みたいに変な紋様が浮かび上がるとかもない。


グゥー……


……油断した。言葉が伝わった安心感から、なりを潜めていた腹の虫が鳴き出しやがった。


「ラ、チョラナラーイノ?ラ、ジッドイエ」


腹の虫を聞いたポノラは俺の袖を離し近くの木を器用に登っていった。逃げるチャンスか?まあ、何かするみたいだし少し様子を見よう。

ポノラはすぐに降りてきた。その手には何やら果物のようなものが何個か抱えられている。


「ラ、イータイエ!」


差し出された果物のようなものを受け取る。きゅうりを真っ赤にした様な見た目だ。そのままかじって大丈夫なのか。

食べるのを躊躇っている俺を見かねたのか、ポノラは持ってきた内の一つを豪快に噛り付いた。どうやら生で、それもそのまま食えるみたいだな。

虫が付いていたら……ええいままよ!一口噛り付く。シャリッと小気味の良い歯応えと、心地良い酸味とほんのり覗く甘み。


「美味い……」


五つあった果実の内、三つをペロリとたいらげた。美味かった。しかし、こう食べてしまうと余計腹が減るな。


グイっとまたしても袖を引っ張られた。ポノラが獣……アグノーだったかを指差している。引かれるままに死骸に近付くと、ポノラはある部位を指差し手刀を作って切る仕草をする。


「捌けってことか」


忍者刀を見せながら聞くと、首を大きく縦に振った。

指示されるままに捌いていく。うむ、中々切れにくい。死後硬直のためか肉が硬いな。苦戦しながらも何とか一塊の肉を切り出す事ができた。しかし調理はどうするか。


ボウッと火のあがる音がした。


振り返ればいつの間にかポノラが焚き火と簡易的な木の串を用意していた。


炎。煙が、追っ手が……


……結論としては食欲には勝てなかった。ポノラは中々用意も良く、そからから胡椒のようなものを摘んできて肉にかけていた。肉も一塊では足りず追加で捌いたほどだ。臭みと癖が強かったものの、何とも活力の湧く味だった。そういえば肉なんて、大分久し振りに食ったなぁ。


肉だけではない。ポノラは本当に良くできた子で、どこからか白いキノコのようなものを採ってきたかと思うと、そのキノコで忍者刀に着いた血糊と油を綺麗に拭き取ってくれた。


こいつ、何者だ?

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