第4話

地下牢は総石造りで、明かりを取り入れる窓さえなかった。ほぼ正方形の部屋には小窓のついた分厚い鉄の扉が一つだけついている。

大分下へと行ったので、おそらく地下とは本当に地面を掘って作った地下か洞窟か何かなのだろう。壁の燭台の火の灯った松明が、時折ゆらりと揺れる。少なくとも通気口はどこかにある様だ。

燭台の他には糞尿を溜める用と思われる壺が部屋の隅に一つと、木でできた硬い寝床が一つあるだけだった。先程飯が運ばれてきたが、黒く硬い麺麭パンが一つと口慣れない具の少ない汁物が出されただけで、匙や箸の様なものは付属されていなかった。脱獄防止の為であろう。


さて、今後のことを考えよう。


あの女の言った事を鵜呑みにするのであれば、俺は妖術の様なもので呼び出されたことになる。そして儀式により俺を奴隷とする事が目的である様だ。何と効率の悪い。奴隷が欲しければ別のやり口がありそうなものを。

しかし女の反応を見る限り、どうも失敗した様だな。靴を舐める事により成立する儀式とは何とも悪趣味だが、本来であれば逆らえないのだろう。舐めぬのを信じられんといった反応だった。失敗の原因はおそらく、所属階級まで名前に含まれてしまった為であろう。

失敗と言っても、あの手の甲の発光は何だったのか。今でこそ光っていないが、その代わり六芒星の様なおかしな紋様が刻まれている。


しかし失敗して使い魔という奴隷にならなかったからといって油断は出来ない。言う事を聞かない奴隷など、売られるか殺されるかのいずれかだろう。


とは言えここは少なくとも飯は出るし、気温も春の様に心地よい。口慣れないとはいえ飯は美味かった。ここの国は中々に余裕があるんだな。現状であれば殺されぬ限りそう死ぬこともあるまい。

かと言って飼い殺しにされる訳でもないだろう。何せ奴隷相当だからな。女と短躯肥満の身なりからして無駄飯食らいを飼う余裕くらいは有りそうだが、そういう趣味の人間という保証もない。


「死にたくは無いなぁ……」


そう、死にたくは無い。

もう飛行機には乗れまい。思い出しただけで手が震える。あんな思いをするのであれば、給与の為とは言え志願などするのではなかった。

思えばあの女もやんごとなき身の上の者であろう。あのような態度をとって、よく殺されなかったものだ。やはり努めて冷静にならないと、次に油断したら殺されるかもしれない。

油断といえば甲冑共に押さえ付けられた時感じたが、そこまで練度の高い者はいなかったな。しかし二、三人なら何とかなるが、数の前には無力だ。油断しなくても殺されるかもしれない。


あの女の言葉をもっと鮮明に思い返す。


『折角苦労して異世界より呼び寄せたのに……ええい、とにかく下牢に入れよ。隷属の印の儀はまた後日としよう』


つまりこの妖術はかなり苦労する様だ。そんなに苦労して呼び寄せた俺を簡単には殺せまい。事実、隷属の印の儀とやらは後日行う様だ。


異世界……。これがやはり理解できん。異国とは違うのか。文字通り、世界が異なるのか。世界とは何だ。……駄目だ。これ以上は哲学の域になりそうだ。これは深く考えなくても良いだろう。少なくとも日本では無さそうだ。

それに俺の住んでいた世界とは違った場合、帰る事ができるのか。いや、帰った所で……。


結局生き残る為には、あの女の使い魔とやらになるのが最善の様だ。ひもじい思いをしなくて済むかもしれない。誇りも主君も国も捨てて、そうすれば生き延びる事が出来る。


だが、こんな拉致同然のやり方で、詐欺同然の手口で奴隷契約を結ぼうとする奴等を信用しても良いのか。こんなの、欧米の畜生共と同じやり口では無いか。


奴等の軍門に下るか、日本男児としての矜持を見せて死ぬか。


そう考えていた俺に、考えを決定付ける出来事があった。


そう、どちらにするか考えの纏まらないまま、その日は床に着いたんだ。

夢は見なかったが、代わりに全身の猛烈な痛みと業火に晒されるかの如し発熱に見舞われた。


「ぐ、うおおおおおああ!医者を、医者を呼んでくれええぇぇぇぇえ!」


全身を引き千切らんばかりに引っ張りながら火で炙られる様な苦しみ。熱の為頭はボーッとするが痛みの為に意識を飛ばす事も出来ず、助けを呼んでも誰も来ない。

今すぐ頭を打ち付けて、あるいは舌を噛みちぎって死のうと思ったが、体が蝋で固められたかの様に動かない。ああ、やはりここは地獄であったか。俺はやはり地獄に堕ちたのだ。何度もそう思った。


「……っ!ハァ……くっ」


いつしか叫び過ぎて声も出なくなった。

この痛みはいつになったら消えるのか。消えないのか。いや、その頃にはそんな事すらも考えられなかった。

ひたすらに続く痛みと熱さに頭も目も耳もやられていたのかもしれない。闇の中で延々拷問にかけられていた様な気分だった。


ギィと金属の軋む音で意識を取り戻した。いつの間にか痛みも熱も消えていた。

ぼうっとする頭を何とか働かせ、軋む体を音のした方に向けた。そこにはお盆に乗った黒い麺麭パンと湯気のたった汁物があった。見張りか誰かが小窓を開いて入れたのだろう。


グゥゥ。


俺の腹の音が部屋に響き渡る。酷く腹が減った。

飛び付き、貪る様に麺麭パンを食べた。汁物は器まで念入りに舐めとった。


食い終わり一息つく。昨夜の痛みの原因はわからん。生憎俺は医者ではない。だが満腹になった事で少なくとも生きている事は実感できた。

しかし、この国ではあんなに苦しみ叫んでも医者に診てもらえないのか。それは俺が奴隷相当だからなのか。このままここにいて、果たして本当に生き延びる事ができるのか。


思い返せば、お国の為に戦った。両親に金を残す為神風特攻隊にも志願した。

結局俺は死ぬ為に戦っていたのだ。だから次は生きる為に戦おう。


あの痛みはそれきり来なかった。


そして数度の飯が支給された後、再び俺はあの女に呼び出されたのだった。

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