第8話 婚約者

「柏野どういうこと!? 婚約者なんて聞いていないわよ! 説明して!」

 帰ってすぐ、広い玄関で柏野さんに会った。すると哀來は開口一番ものすごい勢いで質問してきた。

 突然怒ってきた哀來に柏野さんは少し困惑していた。

「じ、実は前々から旦那様が哀來様の許婚を決めておられていたのです」

「前々っていつよ!」

「今年の初めです」

「わたくしは大学に行くのよ! 学生結婚しろっていうの!?」

「いつご婚約なされるかわかりませんが……婚約発表は近々行われるかと」

「お父様はどうしてわたくしに一言申さないで勝手に進めるのかしら!」

 こりゃあ、さっきよりご立腹だぞ。

 哀來は顔を真っ赤にして柏野さんを責め立てている。

 こんな姿もあるんだな。

「今日は先生とご一緒にミュージカルを鑑賞して素敵な一日になると思ったのに……」

 お、今にも泣きそうな顔をしているぞ。

「お、お嬢様どうか……」

 柏野さんも慰めようと必死だ。

 さて俺はどうしようかな。

 仇の娘が苦しがっているのを見ているのは少々気分がいい。

 サドな発言は承知の上だ。

「もう……我慢ならないわ」

 お、どうする気だ?

 家出でもするのか?

「わたくし決めました」

「婚約の事ですか?」

「違うわ」

 家出か? お前みたいなお嬢様が家出なんて……って何で俺の所に近づいて来るんだ? おい!

 哀來は俺の目の前に立ち止まった途端。

「ぬわっ! な、何を!」

 俺に抱きついてきたのだ!


「わたくし先せ……青龍小夜様と結婚しますわ!!」


「は?」

「な、何と!」

 俺は一瞬何が起こっているのか状況がよくわからなくなった。

 哀來が俺と結婚なんてそんな……。

「冗談じゃない!」

 俺は哀來を突き放した。

「どうしてですか? 小夜様はわたくしの事が嫌いなのですか?」

 馴れ馴れしく下の名前で呼んできやがった。

「そ、それは……」

 いきなり今日俺が自分で考えて悩んだ質問が飛んできてしまった。

 クソっ! 何て言えば……。

「お嬢様! そのような事ではありません。お嬢様の立場をお考えになった上での発言です」

「そ、そうです! 哀來さんは俺みたいな一般市民とは似合っていませんよ。周りからも反対されそうですし」

 柏野さんの助け舟でなんとか言葉が見つかった。

「わたくしはお父様の事が前々から嫌いになっていました。それでも家族だからという事で気持ちを抑えていましたが、もう我慢の限界です! 燕家から抜け出したいです!」

 哀來は怒っているせいかいつもより沢山しゃべっていてまるで別人だ。

 怒っているお袋を思い出す。女って怒ると誰でもこうなるんだな。

 俺は必死で訴えてくる哀來に厳しい言葉をぶつけてやろうと思った。

 もちろん恨みを込めて。

「哀來さん。私は『一般市民』の先生です。生徒を助けてやりたい気持ちはあります。しかし一般人の私がどうやってこの縁談を止めたらいいのですか?」

「そ、それは……その」

「答えられませんね。無理もありません。縁談なんて簡単に止められるものではありません。相手が断れば話は別ですが」

 先生らしく最後にアドバイスしてやった。

 俺の言葉を聞いて哀來はおとなしくなった。

 今まで女には縁がなったため抱きつかれるのはこれが初めてだ。そしてプロポーズも。

 本当は飛び上がるほどスゲェ嬉しい。

 女を抱きしめるチャンスなんてもう無いと思うので、できればあの大きくて軟らかい二つの胸の感触をずっと味わっていたい。しかし柏野さんが見ているのでとてもできない。

「小夜様……どうしてもわたくしはあんな大勢の人の前で歌うような男と結婚しなくてはならないのですか?」


「ハーイ! 僕の未来のマイス……」


 いきなり空気が読めないホストみたいな男が出てきた。 

「マイスウィートハニー……その男はさっき一緒にいた奴じゃないか! どうしてそんな庶民と!」

「綾峰(あやみね)様ではございませんか。お嬢様、こちらが婚約者の綾峰針斗(はりと)様でございます」

「はじめまして。燕哀來です」

 柏野さんが紹介すると哀來は綾峰という男に挨拶した。が、また俺に抱きつくと同時に軟らかい感触も再び襲ってきた。悪くないな、これも。

「ちょ、哀來さん!」

「く……」

 綾峰さんは結構傷ついている。

 俺も礼儀として挨拶しようと思った。

「はじめまして。青龍小夜です」

「ふん! 哀來ちゃんに気に入られているからって調子に乗るなよ。クソ餓鬼」

 クソ餓鬼? 確かにアンタは俺より年上みたいだが。

 金髪の髪を綺麗に整え、紫色のワイシャツの上に白のスーツジャケットとスーツズボン、先が尖がった白いローファーを履いている。まるでホストだ。

「もしかして、さっき四期劇場の前で歌っていた」

「そうだ! 哀來ちゃんは四期劇場にいるという部下からの通報を受けて真っ直ぐ飛んできた。そこの執事と一緒にいるかと思ったらお前がいた! 一体お前は哀來ちゃんの何だというのだ」

「未来のお婿さんです」

「あ、哀來さん!」

 俺が答える前に哀來が勝手な事を言ってきた。

「な、何だと! 僕以外の婚約者がいるなんて聞いていないぞ!」

「家庭教師です!」

 俺は必死になって答えた。

「家庭教師? ああ、そういえば最近音楽の先生を雇ったっていう話を聞いたな。もしかして劇場に行ったのも授業の一環で?」

「はい」

「そうだったのか。デートかと思ってショックを隠せなかったから思わず歌ってしまったよ。哀來ちゃんはミュージカルが好きかと思ってね。歌って伝えるなんて僕の人生二十五年間で初めてだったよ。結局失敗したけど」

 いい歳して大勢の人の前であんな歌よく歌えるな!

「綾峰様。このような遅い時間にどういったご用件で?」

「その男について詳しく聞きたかっただけだ。家庭教師だと聞いて安心したよ。僕の未来の妻が他の男と遊んでいるかと思ったらいてもたってもいられなくてね。かわりに新事実がわかったけど」

 当の哀來は綾峰さんの事なんて文字通り、眼中に無いみたいだ。

「いままでの女の子はどんな男といても僕を見た途端に離れていくのに……。こんな屈辱も人生初だ……」

 綾峰さんはさらに落ち込んでしまった。

「どうしてだい哀來ちゃん! 僕のどこがいけないというのだい?」

 すると哀來は顔だけ綾峰さんの方を向いた。

 俺ならわかる気がする。哀來が綾峰さんを気に入らない理由が。

「……あんなに大勢の人の前であんな恥ずかしい歌を歌う人は嫌いです。わたくしは目立ちたがり屋の人は好きではありません」

 やっぱりな。

 マイスウィートハニーから『嫌い』とはっきり言われた綾峰さんは石のように固まって倒れてしまった。

「綾峰様! お気を確かに!」

 綾峰さんは目を瞑ったまましゃべらない。気絶をしてしまったようだ。

 柏野さんはすぐに介抱し、両腕を担いでどこかへ運んで行ってしまった。

 俺はその一部始終を美女に抱きつかれながらただただ黙って見ていた。

 最低だな俺。柏野さんに「倒れている人よりも美女に抱きつかれている状況が大事な人」って思われただろうな。まぁ、別にいいけど。

 相変わらず哀來は離れる気配は無い。

 なんせ俺の体に頬ずりなんてしてきたからだ!

 これは……。間違いない。

「今日から甘えてもいいですか? マイスウィートダーリン!」

 はぁ……。

 俺の復讐計画は明後日の方向に進んでいた。本当にどうなってしまうんだコレ。

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