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 教室中の喧噪がとたんにやんで、全員が大人しく自分の席につく。風見も遅れて自分の席へと帰っていった。

 白埼先生だった。

 コツコツと、床をならしてゆっくりと、教壇に近づいていく。あんなにやさしそうに靴で床をならせる教師は、彼女しかいないのではないだろうか。

 教壇に立ち、白埼先生はこちらを見回していく。一周し終えたところで照れ臭そうに笑ってこう言った。

「五月はとつぜんのお休みをいただいてしまってごめんなさい。今日からまた、みんなの担任をすることになりました。あらためて自己紹介をしますね」

 透き通るような声。雑味がなく、すんなりと耳にはいってくる。

 白埼先生が、こちらに背を向け、黒板に名前を書いていく。後ろを向いたことで、彼女のむすんである髪があらわになった。後ろで髪を二つにむすんで、長く伸びている髪の束。ツインテールと表現するには、彼女に対してはあまりにも子どもっぽい。

 名前を書き終え、白埼先生はこちらに向きなおる。二本の髪の束がふわりと揺れる。彼女が立ち位置をずれたことにより、文字が見える。チョークで書かれたとは思えないくらい、ほそい字だった。

「二年A組の担任をさせてもらいます、白埼ユミといいます。担当教科は科学です。一か月ほど留守になりましたが、どうぞよろしく。みんなと過ごせなかった一カ月分のさびしさを、早く埋められるようにがんばります」

 自然と拍手が起こった。派手な拍手ではなく、統率のとれた、整った拍手だった。一部の男子は涙さえ浮かべていた。

 伸びる二本の、髪の束。

 それが耳のように見えることから。

 白埼という彼女の名前をとって、あるあだ名がついていた。

『白ウサギ先生』

 妖艶で、つつましく。

 それでいて、たくましさもある。

 大人だけど、どこか守ってあげたいという気持ちにさせる。

 あだ名をつけるのがつくづく習慣になっている学校だが、このあだ名に関してだけは、異論はなかった。

 拍手がやみ、さて、と白埼先生が元気に手を叩いた。

「さっそくですが、来週は期末テストですねっ? みんなへの手土産、というわけではないですが、今回の科学のテストは私がつくっちゃいました。私がいない間の科学の先生の担当から範囲は聞いていたので、それを引き継いで、ちょっぴり難しく、ね?」

 教室中からうめき声がひびいた。おれの口からもでた。だけどなんだかんだといいつつ、白埼先生も生徒たちも、この状況を楽しんでいる風にも見えた。おれは本当にうめき声がでた。

「だけど……」と、白埼先生が続ける。スーツの胸ポケットからするりと、注意をひきつけるような仕草で、あるものをだしてくる。何かのチケットだった。

「最近オープンした、近場の遊園地のチケットです。科学のテストで百点を取るか、クラスでトップを取ったひとには、このチケットをあげちゃいます。一枚で二人まで無料なので、仲のいい友達を誘うも、気になるあの子を誘うも良しですよ」

 言い終えて、先生はウィンクをする。教室中がすぐに、歓声に変わった。生徒の心をつかむのが本当にうまい。

 派手な手土産をたずさえて、白ウサギ先生が帰ってきた。



 昼休みになってすぐ、風見がやってきてこう言った。

「百点が取りたい」

「…………」

 百点を取りたいというのは、つまりさっきの科学のテストのことを指しているのだろう。お前さっきまで期末テストへのやる気ゼロだったじゃねえか、とか、いろいろ言いたいことはあったが、まさかあの話題に風見が食いつくとは思わなかった。

「チケットが欲しいのか?」

「純粋に勉強が素晴らしいと思っただけよ」

「嘘のつきかたから勉強したらどうだ」

「だって、遊園地よ? しかも新しいところ。前から行ってみたかった。あそこ、バンジージャンプがあるみたいなのよ。やってみたい」

 負けず嫌いな性格が由来して、風見はどこか子供っぽいところがある。そんな彼女のアンテナに、遊園地の魅力がバシバシと反応したらしい。

「もしくは、一緒に連れていきたいやつでもいるのか?」

「それはきっと僕のことだろう」

 会話に割りこむ姿と声。茶色の髪に、物腰の柔らかそうな、ととのった顔。

 荒田静だった。

 風見のファンだという彼は、前回の件で命を助けられて以降、当たり前のように姿をあらわすようになった。

 近くで机を囲み、昼食をとっている女子の集団がひそひそと荒田のことを話しはじめていた。さっきまで白崎先生の話題ではしゃいでいたのに。そんな彼女たちに荒田も気づき、笑顔で手を振った。小さな歓声があがり、よそでやってもらいたかった。

「テストで百点かトップを取ったら、遊園地のチケットを贈呈とは、きみたちの科学の先生はずいぶんと気前がいいね」

「なんでよそのクラスのお前が知ってるんだよ」

「僕は世の中の七割の事を知っている」

「残りの三割は?」

「数字に意味はない。知らなったときの逃げ道さ」

 やり取りを終えて。

 本題。

「風見さん。と、ついでに凪野くんも迎えにきた。桐谷さんも待ってるよ。お昼を一緒に食べよう」

 風見と接触するためなら、努力をおしまないやつだった。そしておれを邪魔ものあつかいすることにも余念がない。

 三人で教室をでて、ここ最近は恒例の昼食場所となった、中庭に向かう。七月になって、本格的に暑いと感じる機会が多くなっていた。差し込む日差しから逃れ、少しでも影を見つけて歩こうとする毎日だ。

 風見は汗ひとつかかず、長い黒髪もひらりと揺らして、とても涼しげに歩いていた。半袖からのびる腕は白く、触れてみたら、大理石みたいに冷たいのだろうかと考えた。そんな視界のなかに、またしても荒田が割りこんでくる。ぬかりのないやつだった。

「風見さん、テストで百点を取るいい方法があるよ」

「カンニング?」

「い、いや、もっと純粋に……」

 風見のボケをかわしきれていない荒田をみて、すごく意味のない優越感を抱いた。

「僕がいるよ。それに桐谷さんも」

「どういう意味?」

「テスト対策にむけて、勉強会をしよう」

「荒田くんたちが教えてくれるの?」

「もちろん、力になるのなら凪野くんにも頼ればいい」

 荒田はおれへの挑発も忘れない。本気の挑発ではなく、からかっているだけだとわかっているので、特に反応はしなかった。

「勉強会はどこでするの?」

「僕の家はどうだい?」

 風見がうなずく前に、おれが口をはさんだ。

「お前、最初からこの展開に持ちこむために迎えにきたんだろう」

「なんのことか凪野くん。いま思いついたばかりの、ただの名案だよ」

「どうだかね」

 きみもくるだろう? と、荒田に肩を叩かれる。横では風見がそわそわしていた。行く気まんまんだった。

 中庭につき、待っていた桐谷と合流する。出合い頭、彼女はこう言ってきた。

「それで、日時は決まった?」

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