第7話 人類、絶句す

コンコンコンコン!!!


車の窓を叩く音で目が覚めた男は、寝ぼけた目で窓の向こうに警察官と不動産業者、そして引っ越しの時に一度挨拶したきりの大家の姿を見た。そうだバルサンを焚いたんだった、彼等に奴らの死体を見てもらわなくちゃ。そう考えた男がパワーウィンドウを下げると


「アンタなんてことしてくれたのよぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


そんな大家の泣き叫ぶ声が、男の耳に飛び込んできた。同時に顔を真っ赤にした不動産業者の罵倒、そしてそれを抑える数人の警察官の大声が、男の車を囲んでいる。一体何事だというのだろう、男はまだ夢でも見ているのではないかといった表情で、無数の赤いパトライトの光をぼんやりと眺めた。


……そう、赤いパトライト。あの緊急を告げる赤い光が辺り一面を埋め尽くしていた。


だんだんと覚醒していく頭と反比例に、男の心は急速にかき乱されていく。見れば、男の住んでいたマンションの前の狭い道路は、今や無数のパトカー救急車消防車で埋まっており、恐らくテレビ局だろうアンテナ付きのワゴンが何台もその向こうに止まっているのが見えた。そして、その車と車の間を縫うように、道路から駐車場、マンションの入り口前にまで、信じられない数の人間がせわしなく動き回っている。そのどの顔にも切羽詰まった真剣な表情が浮かんでいる事からして、何かとてつもない事が起きたという事が分かった。そして、どう考えてもその原因は男自身の部屋にあるという事も。


駐車場から見えるマンションは、今や見るも無惨に変形してしまっていた。建物は道路方向へ30度斜めに傾き、2階中央のベランダ、つまり男の部屋の窓とコンクリの外壁が、まるで段ボールを滅茶苦茶雑に開けた時のようにひしゃげて中が丸見えになってしまっている。


「奴らが出たんですね……。」


力なく車から降り、警察官数人に支えられながら歩く男。


「沢山、人が死んだよ。」


一人の老齢の警察官が、そうぽつりと呟いた。死んだ、その言葉の重み。男の心は一瞬で暗雲に包まれる。死んだ、人が死んだのか……それも沢山。10人?20人?きっとあの熊のように大きなGが、壁を突き破って外へ出て人を襲ったんだ。


あのGへの対応を間違えてしまったのかもしれない。と責任感の強い男は、ただ黙って涙を流した。死刑だ、きっとこのまま死刑になる。そんな所まで一気に考えが飛躍する。


沢山の命、死、人殺し、逮捕、失業、破滅、自殺、死刑……ネガティブな単語がぐるぐると男の頭の中を駆け巡り、そして突然消失した。言葉と感情で埋め尽くされた心は、閾値しきいちを越えるとその中身がどこかへ消えてしまう事があるのだ。それは時にこう表現される。頭が真っ白になった、と。


パトカーに乗せられる男を、カメラのフラッシュが囲んだ。報道陣は口々に何かを叫び、男の言葉を引き出そうと努力しているようだったが、男は放心状態で答えられず、警察官が取材を諫めた。


「ううう、ううううあああ。」


男は、もはや何一つ考えられなかった。混沌とした嵐の海の中に投げ込まれた乳児のような気持ちだった。頭を抱え込み、その姿にパシャパシャとフラッシュの光を浴びせられながら、男を乗せたパトカーは走った。



――――



「着いたぞ。」

「……つ……着いた……って……ここは……。」


弱々しく男が顔を上げると、そこは警察署ではなく、自分の勤める会社の前だった。


「いいから早く降りろ。」

「いや……あの……。」


警察官は、不機嫌そうな顔で男を下ろすと、パトランプを消してさっさと帰っていってしまった。会社の周りの道路には何故か厳重なバリケードが張られ、その向こうで取材陣が何か叫んでいるが遠すぎて聞き取れない。ぽつんと会社の前に取り残された男は、何から何まで事態が飲み込めていなかった。やっぱり夢なんじゃないかと頬をつねったが、悲しいかな痛みはあった。そんな男の後ろから近づく背の高い人影が一つ。


「田所ちゃん大丈夫?怖かったわよね?」

「……お、丘山おかやまさん……俺、俺……!!」


そこにあったのは、丘山ことオネエ先輩の姿だった。何故か白衣を身につけている彼が、いつもと変わらない口調で「可愛い顔が台無しよ。」なんて言って笑うもんだから、男はよたよたと優しい眼差しの丘山に歩み寄り、そのまますがるような形でおんおんと泣いた。


「よしよし、田所ちゃんは良く頑張ったわよ。遅くなっちゃってごめんね。」


白衣に涙と鼻水を押しつけられても嫌な顔一つせず、オネエ先輩こと丘山は、男の頭をぽんぽんと撫でつけた。


そして、そこからの展開はまさに怒濤のごとき早さだった。早歩きの丘山に連れられ、顔を腫らした男が向かったのは、いつも働いているオフィスではなく、最上階の社長室だった。樽のような体型に丸眼鏡、漫画のような見た目の社長が、男が入室するなり「申し訳ない」と言って深々と頭を下げる。すると驚く男の横で丘山は、気軽な調子で「パパが謝って済む問題じゃないわよ。」と言って口を尖らせた。そう、社長はオネエ先輩のパパってパパ!?パパパパパパッパパパ!?と男がその横で混乱していると、丘山は「え、田所ちゃん知らなかったの?」と驚いた顔をする。


「いや、だって誰も教えてくれなかったですし……。」

「あら^~知らないで一緒に登山行ってくれたのね、嬉しい!」

「あれはGから逃げられると思って……そう……一体アレは何なんだ!Gが喋ったり、大きくなったり!教えて下さい、その様子だと何か知っているんでしょう!?」

「それはね……」

あきら、私に説明させてくれ。」


丘山の方に手を上げると、毛の薄い頭を上げた社長が言葉を選びながらゆっくりと語り出す。それは、男の知らない世界の話だった。


社長いわく、この会社、清掃技術株式会社には表の顔と裏の顔があるのだという。表向きには業務用清掃器具の自社開発と清掃サービスを行う国内大手企業であるこの会社は、裏では政府機関としての役割を担い、空から偶発的及び故意的に訪れる宇宙外来生物に関する調査と研究を行っているのだ。って馬鹿野郎!話が突飛すぎるわ!!


「そうは言っても、事実を信じてもらうしかないなあ……。」

「あ、社長、いや、その……すみません。」


ツッコミが思わず口に出ていた事に気づき、男は小さく頭を下げた。


「それじゃあ、あいつらは宇宙人なんですか?」

「まあそれに近い生き物、だな。ワシはゴキブリ達の遠い”祖先”であると思っているがね。」

「祖先って?G……ゴ、ゴキブリは宇宙人なんですか?」

「そう、正確には特定宇宙外来生物だね。例えは悪いけど、日本でいうニジマスみたいなもんなんだよ。元々地球に居なかった外来種だった彼等は、長い年月をかけて環境に馴染み、元から居た在来種のような顔をして繁殖しているんだ。元あった能力の大半は失われているから無害だけどね。」

「最初から地球に居るはずのなかった生き物って事ですか……。」

「そういうこと、察しがいいね。今回暴れている彼等は、元は衰弱していた所をウチの清掃チームが偶然発見して、国に引き渡すまで会社の研究所で保護していたんだがね……。」


ところが、ある一人の研究者が彼等を連れて姿を消してしまったんだよ。と社長は苦虫を噛み潰したような顔をして言った。


「その後清掃チームも全国を探してくれてたんだけどね、まさかこんな近くに、しかも田所ちゃんの家に居ただなんて……迂闊ね。」

「あの、清掃チームって、もしかして。」

「そうよ、ハウスクリーニング部の人たちね。」


丘山が、ニコリと笑って答える。

ハウスクリーニング部とは、清掃技術株式会社が全国展開しているハウスクリーニングサービスを統括する部署である。『ピカピカピカリン新築気分~♪』というキャッチーなCMソングを聞いた事のない国民はいないだろう。しかし、あの裏で壮大なゴキブリ宇宙人捜しが行われているなんて事を誰が想像出来ただろうか。


その他にも、上層部を中心にかなりの人数がこの会社の裏の仕事に関わっている事を丘山親子から聞かされた男は、知らぬ間にとんでもない所メン・イン・ブラックに入社してしまった事に内心溜息をついた。


「そう落ち込んじゃだめよ、普通の人じゃ出来ない仕事なんだから~。」


どうやら男の溜息は実際に出ていたらしかった。


「それでさ、田所ちゃん。その、駐車場で眠ってたみたいだから、この数時間外がどうなってたか知らないでしょ。」

「ええ、まあ大体の想像は尽きますけど……。」


そう言って、男は暗い顔になる。熊サイズのゴキブリが、恐らく何匹も出た。男の想像はそこで止まっていた。


「きっと、君の想像を超えてるだろうな。」


大きな溜息をついた社長がリモコンで照明を消すと、プロジェクターが社長室の壁に映像を映す。それはニュース番組を録画したものだった。緊急速報から始まるその内容に、男はただ絶句した。そこに映し出されたのは、ヘリコプターから撮影されたであろう見慣れた近所の住宅街の上に這いずりまわる、巨大なゴキブリの姿だった。それは巨大という言葉では収まりきらない程の大きさで、その直径は空撮された庭付きの一軒家とほぼ同じくらいだった。そいつが、道路や鉄塔を縦横無尽に駆け回り、カメラがそれを追おうと左右にぶれまくっている。


次のカットでは、その巨大ゴキブリが近所の川で水を飲んでいる様が映されていた。報道する局によってはそのあまりも見知ったグロテスクな造形の為か、映像にモザイクをかけている所もあった。番組テロップには『突然変異!?』や『まるで怪獣』なんてフレーズが踊り、道路を車と一緒に走っている奴の姿の映像をバックに、コメンテーターが適当な事を言っていた。


「オエエエエエエエエエエ!!!」

「ここまでが、3時間前の映像だ。次に今現在の様子を映そう。」


そう言って、社長は動画をストップさせ、映像をテレビに切り替える。するとそこには、この国の中枢たる行政機関をまさに破壊している最中のゴキブリの姿が映っていた。その周りには、無数のヘリコプターが飛び、カメラ越しにも緊迫感が伝わってくる。建物にしがみつき、ギエエエエと雄叫びを上げているゴキブリの大きさは、先ほどの映像の約3倍程にまで大きくなっていた。そしてその周囲には、さっきみた映像の大きさくらいの20匹から30匹程の巨大ゴキブリが、まるでその一際大きい個体を守ろうとするかのように円形に並んでいる。


「オッッッッッエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!」


映像だけではアレルギー反応は起きないが、代わりに男の肌はサブイボだらけになっていた。胃液が何度も何度もその口まで上がってくる。


「見て分かる通り、この国はたった3時間の間に致命的なダメージを受けた。ゴキブリ達め、どこで知ったんだか……。それで、やっと防衛省から我が社に指示が届いたのがわずか30分前の事だ。自衛隊も同時に動いているみたいだが、間に合うかどうか。」

「何か、さっきより大きくなってませんか……?」

「ああ、最終的にどこまでの大きさになるのかは検討すら付かない。」

「オエエッ、こ、これ以上大きくなるっていうんですか???」

「身体の表面が少し白かっただろう、あれは連中が脱皮を行おうとしているせいだ。この短時間に7回の脱皮を繰り返し、その度に1.2倍程の大きさに成長を続けている。」


画面の左上には、『特定宇宙外来生物による犠牲者5,000人超』との赤文字が表示されていた。5,000人、そのあまりにも大きすぎる数字に、男は足元が無くなるような感覚を覚えた。


「ご、ごせん……うう、あんまりだ……、俺が、あそこでバルサンを使わなければ……。」

「田所ちゃん、しっかりしなさい。それに自分を責めちゃだめよ!こんなの誰にも予想なんて出来なかったんだから!」

「でも……でも……ちくしょう……。」


ただ奴らの巣のある部屋に住んでしまっただけの被害者にも関わらず、自分を激しく責め続ける男。その姿を丘山は真剣な眼差しで見つめ、ある種の確信を得ていた。成り行き上ではあったが、結果的に彼が適任だった、と。


「じゃあ、やっと本題に入るわね……田所ちゃん、ガンダムって好き?」

「……はい?」


ガンダム、その、あまりにも前後と繋がらない単語。


「世代的にエヴァでもいいけど。」

「あの、言ってる意味が良く分からないんですが。」


分からない。男は全てが分からない事だらけだった。これ以上分からない事がまだ起きるとでもというのだろうか。男が質問するその声には、隠す気のない不安の色がにじみ出ていた。


「いいから、答えて。ガンダム好き?」

「……まあ、好きですけど。」

「そう、良かった。好きなのね。」

「ええ、人並みには。」


「じゃあ田所ちゃん、ロボットガンダム的なものに乗って奴らと戦おうッ!」


「はぇ!?!?」

「だ・か・ら、ロボットガンダム的なものに乗って、あいつらを殺すの。」


男の頭は、亜高速で進んでいく展開に全く追いついていなかった。しかし、とんでもない事に巻き込まれている事だけは理解できた。


「き、嫌いです!ガンダム嫌いです!大大大嫌い!太ももの形とか無意味なツノとか全部嫌いですうううううう!」

「……ごめんね、実はもう決まってる事なの。」


そうでもしなければ、田所ちゃんに向けられた世間の敵意をかわせなかったから。と丘山は、悔しそうな表情で俯く。


「ンンンンンンン----!?!?!?!?!?」


いよいよ混乱する男の横で、壁に流れっぱなしのニュース映像には男の顔写真が映し出されていた。会社に提出した履歴書のものだろう。スーツを着た笑顔の男の写真の下には名前と共に『搭乗員』という肩書きが表示され、それに続いて丘山の写真も『搭乗員』付きで映された。


「田所ちゃん、一緒に奴らを駆除するわよ!!」

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