第2話 人類、対話す

「すいませんあの部屋喋るゴキブリが出るので引越ししたいんですけど。」

「お客様、ゴキブリは喋りませんし引越しするなら合計2か月分の家賃+手数料をお支払いいただきますがよろしいでしょうか、あとスーム君ぬいぐるみも返してもらいます。」

「やっぱり頑張って住んでみます。」

「よろしい。」


40秒で不動産屋との面会は終了。ドラッグストアで日用品を買った後で、男は憂鬱な足取りで家路につく。大学を出て就職したばかりの男には、まとまった金がなかった。3桁の面接を経て、やっとの思いで手に入れた仕事。まさかG一匹のために辞めて実家に戻る訳にもいかない。実家はリンゴ農家で、長男である男はその仕事を継ぐ事が嫌で県外の大学に出て就職したのだから尚のことだ。住む、俺は住むしかないのだ。そう自身に言い聞かせながら男は歩いた。


「ただいま……。」


誰も待って居ない部屋に語りかけるあの瞬間ほど寂しいものはこの世にない。かと言って、返事が返ってきたらきたでひっくり返って痙攣する程怖い事に違いはないのだが。


「お帰りなさい、お兄ちゃん!」

「あぶぶぶぶぶぶぶ!?!?(泡吹き白目ぐるんぐるん)」


そう、こんな風に。


「だ、大丈夫お兄ちゃん?大変、耳から変な汁が出てる!すぐ救急車呼ばなきゃ!」

「ッズハァ……だ、大丈夫、びっくりした、だけ……。」


男の前に立っていたのは、小さな女の子だった。浅黒く焼けた身体に、すらりと伸びた成長期の手足。名称はよくわからないけど全体的にフリフリした可愛らしい服を着ていた。全体の配色は暗めにも関わらず、上品で洗練された印象を受ける。親のセンスが良いのだ。


「君は、誰?というかどうやってここに入ってきたの?」

「私、ローチって言うの。村の皆は私のことプリンセスって呼ぶんだけどね。入ってきたっていうよりは出てきたって感じかな。」

「は、はぁ……。」


意味が分からない、と言った様子でローチと名乗る女の子を見つめる男。名前が本当ならハーフだろう。確かに日本人にしては目鼻立ちはぱっちりとしていた。


「私のお兄ちゃん、弱いから死んじゃったんだ。だから、今日からあなたが私のお兄ちゃんになるの!」


何もかもを飲み込めていない様子の男の前で、ローチは元気かつ一方的にそう言うと、これからよろしくねと男の手を掴んだ……。が、その瞬間、男に衝撃走るッ!!!!!


「ううわあああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?」

「…え?え?う、うわああああああああアああアアアアアアあああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?」


男の絶叫と、その後に続くローチの悲鳴。同時に両側の壁からドンドンと音がする。祭りの合図だ。男の手には今、ローチに握られた所から順に、じんましんとミミズ腫れが、手から腕、そして全身へと広がっていた。巨大なミミズ腫れは、もはやミミズというよりも蛇のよう。


あっという間に男の身体中はぼこぼこと隆起したミミズ腫れだらけになり、まるで戸愚呂弟のような異形の姿に変化した。これによって、男はこの女の言っている事が一ミリも理解できていなかったが、身に迫る危機を感覚だけで理解した。


「オラシャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」

「あんぎゃあああああああああああああああ!?!?!?!?!?」


男は手に持っていたドラッグストアの買い物袋から急いでゴキジェットを取り出すと、躊躇いもせずに目の前の女の子に向かって吹き付けた。その途端、女の子のフリフリ可愛い服は内部からビリビリと破けて、腹部からあのめっちゃ気持ち悪い足がゾワワワワと生えてきたのだオエエエエエエエエエエエエ!!!!!!


触角と足を生やした巨大女子型ゴキブリは、人間とも虫ともつかない気味の悪い姿のまま半狂乱になって部屋の壁から壁へと何度も行ったりきたりしては身体を打ち付けていく。ッダーン!ッダーン!そのリズムに合わせて隣人の壁をドコドコ叩く音は激しくなった。ドコドコッダーン!ドコドコッダーン!祭りは一人ではなく、集まれば集まるほどに楽しいものだ。


やがて巨大女子型ゴキブリは、ニトリのラグマットの上で得体の知れない白い液体を体中から出しながら仰向けになって動きを止めた。気持ち悪い、死ねばいいのに。いや、もう死ぬのだろう。


「……うう……せっかく、寿命と引き換えに得た力が……台無しだょ……。」

「お前ら、何者なんだよッ!どうしてGが喋るんだよッ!」

「G……。フフ、私たちの名を呼ぶのが、怖いのね……そんなに強いのにさ……おにいちゃ…ん……。」


そう言って巨大女子型ゴキブリは、何度か手足を痙攣させて息絶えた。男は泣きながら部屋から出て行って漫画喫茶で夜を明かした。眠ることが出来なくて、ドラえもんを全巻一晩かけて読んだ。男の心が穏やかな夢の世界に誘われる朝方、ミミズ腫れは収まっていた。そう、男は強度のゴキブリアレルギーだったのだ。それが、幸か不幸か彼の命を救ったのであった。

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