ロシアから来た少年

「ごめんくださいなのじゃ」

 少年がインターホンを押してから、もう五分が過ぎていた。

 辛抱強く待っていると、中からは何かをひっくり返すような騒音が聞こえてくる。

 少年の鼻先で、築七十年以上していそうな古いコンクリート造りの家の扉が開いた。

「あん? 誰だてめぇ」

 中から現れたのは、時代遅れの広袖を着たおっさんだ。

 丸いメガネをかけて頭は寝起きなのかボサボサ。部屋の中からは獣のようなつんとした匂いが立ち込めており、おっさんが相当の期間風呂に入っていないことが伺えた。

「くさいのじゃ」

 少年が鼻をつまんで顔をしかめると、おっさんは自分の袖に鼻を押し付ける。

「ああ? そうか? ……って、いきなりくさいとか失礼だろ。まあ確かに風呂には入ってないけどよ」

「今時ちょっと強めの芳香剤を買えば、部屋の臭気なんてすぐ分解してくれるじゃろ」

「そんな金はねぇ……で、結局誰だよお前さんは」

 少年は碧眼の瞳に得意げな光を宿す。

「何を隠そうワシこそが、ヨハン・アシモフじゃ。控えおろう控えおろう」

「アシモフ? 待て、アシモフってお前、もしかして――」

「ワシの祖父が世話になっておるの、藤堂。ほれ、ここに祖父から預かってきた手紙がある。とくと読むがよい」

 藤堂と呼ばれた男性は目の色を変えると、ヨハンと名乗った少年の差し出した封筒をひったくった。すぐに中に添付されていたホログラムファイルが開かれる。

 禿頭の眼光が鋭い老人が、部屋いっぱいに出現する。藤堂は腰を抜かして巨大な老人の顔を見上げた。

『よお、藤堂。元気か? うちの孫をそっちに送ったから、今日から世話をしてやってくれ。お前はワシに育てられた恩もあるじゃろ。じゃあ頼んだぞ』

「いやちょっと待てよ!」

 藤堂のツッコミも終わらないうちにファイルの再生は終了する。

「は? 全く意味が分からねぇぞ? いやいや誰が好き好んでクソ生意気なガキを預かるんだよ……いくら社長の頼みだからって、こっちにゃそんな余裕……」

 藤堂は封筒をまさぐったまま体の動きを停止させる。恐る恐る封筒の中身を確認し、ゆっくりと封筒の中身――札束を取り出した。

 藤堂はしばらく硬直したままだったが、無言で封筒の中に金を収めると、封筒ごと広袖の中にしまった。

「まあ、しゃあねぇな」

「交渉成立じゃな」

 ヨハンは禿頭の老人、イゴール・アシモフに似た高圧的な口調で腕組みをしている。それを見た藤堂は深い溜息を付いた。

「お前、よく見ると確かにじいさんにそっくりだな……嫌なところまで似たもんだ」

 藤堂はかつてイゴール・アシモフがロシアで経営するロボットの製造メーカー『I―ZAQ』の製造部門に勤めていた。しかし会社の上司の自律型ロボットとの間でトラブルを起こし、三年前に会社を辞めて日本に帰国していた。

 その時、藤堂はロボットを怒りに任せ殴ってしまったことで、そのオーナーから賠償責任を求められて訴えられたはずだった。藤堂は当初は反抗の意思を見せていたものの、最後には賠償金を支払ったと公式には記録されている。

 ヨハンは寂れた家と、散らばった工具類を目にし、僅かに微笑む。

 藤堂の家にはエンジニアとしての強いプライドの爪痕が残されている。金属ブランクや何に使うのか分からない部品が転がっているのを見て、ヨハンは藤堂の人柄を既に嗅ぎ取っていた。

「藤堂、早速で悪いんじゃが、一つ頼みがあるのじゃ」

 藤堂はイゴール・アシモフが色をつけた封筒を手にしている。だからこそ、その孫の頼みとあらば聞かざるを得ない。

「おお、何だ? おじさんが何でも叶えてやるぜ?」

「『3Dインファイト』というのを知っておるか? 日本の子供たちの間で流行っていると聞いたのじゃ。ワシも是非それをやりたくての。わざわざ祖父に頼んで日本に来たのもそのためなんじゃ」

「あん? 『3Dインファイト』か……確かBD社が力入れて作ってる格闘ゲームだっけ」

「ゲームというよりかはおもちゃ遊びに近いのかもしれんがの」

 藤堂は床に転がってた端末をわざわざ拾って、フリック入力でネットから情報を引き出していた。

「音声入力の方が便利だと思うのじゃが」

「なんか恥ずかしいだろそういうの」

 藤堂の感覚がよくわからなくて、ヨハンは首を傾げた。ジェネレーションギャップだろうか。

 おぼつかない手つきで藤堂が『3Dインファイト』について調べ上げる。

「んっと? 『高度3Dプリンタを用いて人形サイズのロボットを印刷し、AR機能と外部脳を兼ね備えたバイザーを装着。ロボットに命令を与えてのガチンコバトル!』ってか。ふぅん。AR機能って何だ?」

「視界にコンピュータ画像を映すアレじゃ」

「アレか。んじゃ外部脳って?」

「今までよくそれで生きてこれたの……脳波や神経信号を読み取って、端末に送る装置のことじゃ。まあ簡単な命令しか出せんがの。……ちなみに高度3Dプリンタが何か分かっとるんじゃろな」

「バカにすんなよてめぇ、ほらアレだよ……部品とか印刷するやつだろ。なんか脆そうだよな」

「いつの時代の知識じゃ……」

 元々は超高度AIが作り上げた超々高精度3Dプリンターが先駆けで、そのプリンターは誤差1ナノメートル以内の制度で立体物を作成することができた。それは人類が未だ到達し得ない技術であり、人類未踏産物レッドボックスと呼ばれている。

 人類未踏産物レッドボックスとは人間以上の知性を持つ超高度AIによって作られた、現時点の人類では理解できない超高度技術である。そして『3Dインファイト』に使われる高度3Dプリンタはこの人類未踏産物レッドボックスの劣化版だ。精度もせいぜい1ナノメートルの千倍、誤差1ミクロン程度である。

 ただし、その能力は馬鹿にはできない。

 最近になって材料工学に特化したドイツの超高度AI《ゴルト》によって材料と物性の解析が劇的に進み、材料の新しい製造法などが次々と開発されている。今この2070年代という時代は、これまで材料の問題で実現できなかった技術が次々とブレイクスルーを迎えている時代なのだ。3Dプリンターが抱えていた「印刷物の脆さ」というデメリットは既に消えつつある。

 誰もが頭に思い描くようなイメージだって、高度3Dプリンターを使えば現実のものとして印刷できる。自由な発想力を持つ子供にとって、これ以上の優れた玩具はないだろう。

 ただ、危険物を簡単に制作できてしまう高度3Dプリンターは国からの規制が掛けられており、おいそれと使用できるものではない。それを玩具会社がきちんと許可を取り、特定の場所でのみ印刷の認可を勝ち取ったことで、世間では話題になっているのだ。

「まあ理屈はよく分からんけど面白そうだな。今時の子供はこんなんで遊んでるのか」

 初めは興味がなさそうにしていた藤堂だったが、次々と現れる面白そうな記事を前に目の色が輝いている。こういうのは大人だって好きなのだろう。子供がそのまま成人したような男なら特に。

「いいぜ、通販で基本セット一式買ってやるよ」

「わーいなのじゃ!」

 子供らしく喜ぶヨハンを横に、藤堂の指先は怪しげな記事を次々とタップしている。『コロシアム』や『賭け』の文字が画面に踊るようになり、笑みの質もにちゃあとした粘着質なものに変わっている。

「よーし、折角ならおじさんがロボットについて詳しく教えてやろう。3Dプリンターで印刷っつっても、最低限のロボットの知識くらいはないといけないんだろ? おじさんが手とり足とり教えてやるぜ。知識に勝る武器はないってな」

「おお、協力的じゃのう」

 汚い大人の笑顔を浮かべながら藤堂がヨハンの肩を揉む。ヨハンは小さな体に闘志を漲らせ、「任せるのじゃ!」と頷いた。

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