第5話 皇都②

 第二棟の三階に直通しているモノレールに乗り込む為、階段へと向かう。最寄り駅零分に偽りのないこの学院の立地は、学生にとって非常にありがたい。

 六限の授業を終えたこの時間帯、第二棟の周辺と駅は人でごった返している。学内外にある飲食店で夕食を済まそうとする者や、居残り授業に出席する者。または俺の様に今日の授業を終え、帰路に就いたり出かけたりと様々な思惑で以て歩みを進めている。


「おーい、驤一」


 階段に差し掛かった所で、後ろから声がかかる。


「もう帰んのか?」


 赤い髪と右手に持つ煙草の煙をなび|かせ、むろさんは言った。

 おう室実、皇都防衛庁付属学院の教官であり、現役の防衛庁防衛局局員だ。


「室実さん、学内禁煙だ」

「だーから、吸ってないっての。火けているだけ」


 左手に持つ携帯灰皿にラッキーストライクの灰を落としながら室実さんは笑う。

 一見、不良教官に見える室実さんだが、その実、輝かしい肩書を携えている。

 防衛庁の中で、皇都陸軍を前身とする花形部署である防衛局。その中でも腕の立つ局員が配置される防衛局第二課で、二十四歳という若年ながら課長を務めているエース局員だ。


「なあ、ひより見なかった?」

「ひよりさん? 見てないな……折野が次はひよりさんの授業だって言ってたから、その準備じゃない?」

「あーそれでか。電話しても通じないんだよ。一緒に夕ご飯食べようって向こうから誘って来たのに。驤一、一緒にご飯行く?」

「ごめん、さっき食べた」

「何だよつれないなあ。こーんな頃の驤一だったら、遊ぼうって言ったら直ぐ付いて来てくれたのに」


 長身である室実さんは、自分の腰の下辺りに手を運んで、小さい頃の俺を過剰に表現し目を細める。


「そんな小さくなかったでしょ。室実さんとひよりさんに会ったの、小学五年くらいの時なんだから」

「えーこれくらいだったって。違ったかあ?」

「どうでもいいけどさ……俺行かなきゃいけないから」

「あん? もう帰るのか? その様子……女だろ? 絶対そうだ、御見通し。私に見えないもんはない」


 細めた目をかっと見開いて、赤いひとみでぎょろりと俺を見る。微妙にずれた指摘に呆れ顔をして、違うよと答える。


「あれ? 違うの? 夏頃から、驤一に彼女出来たってひよりと喜んでたのに……もうフラれたのか」

「いや、最初から付き合ってないし。一回生の戦部だよ戦部、戦部ミラ。俺と一緒に室実さんの実技出てるでしょ」

「分かってるって。驤一、中学上がってから友達居なさそうだったから、驤一が友達と居るのうれしいんだ……と言っても、まだ二人だけど」

「別に友達が出来なかった訳じゃなくて、作らなかったの。親父と母さんが死んで、奨学生として頑張らなきゃいけなかったから、遊んでいる暇なかったんだよ」

「何だー言い訳かー! しかも驤慈さんと一花さんを使うのかー!」

「事実だっての!」


 七年前に両親を亡くしてから、奨学生として生半可な生活は出来ないと頑張っていたのは事実だったが、友人が出来なかったのは、そういう一切は必要ないと感情が冷めていた事が大きい。

 いつもの様に俺を子供扱いする室実さんと話し込んでいると、室実さんの向こう数十メートルに、見慣れた人影を見る。


「室実さん、居たよ」

「ん?」


 俺が指差す頃には、向こうにいた人物もこちらに気付いて駆け足になる。


「私の前で煙草吸うなー!」


 駆け寄って来たひよりさんは、室実さんから煙草を奪うと、携帯灰皿に詰め込んでキャップを閉めた。

 三南神ひより、室実さんと同じく皇都防衛庁付属学院の教官であり、現役の防衛庁防衛局局員。

 所属は防衛局第二課であり、室実さんとは衛学入学以前からの友人だ。


「吸ってないし。それに今はひよりから近づいて来たんだろ」

貴方あなたの事捜していたんだから近づくに決まってるでしょ」

「お前捜してたんだから煙草に火点けたんだ。やっぱりお前のだ」

「待ち合わせに来ない貴方が悪い」

「電話に出ないお前が悪い」

「携帯、教官室に置いて来ちゃったのよ。仕方ないでしょ」

「ほらやっぱりお前が悪い!」

「何よ!」

「文句あんのか酔っぱらいアメシスト


 俺の前で、衛学の教官である事を忘れて言い合う二人。

 元々おさななじみである二人の仲が良いのは結構だが、公衆の面前で子供染みた言い合いをするのはどうかと思う。俺は小さい頃からこのやりとりを目の当たりにしているが、そうでない人から見たら、現役の防衛庁防衛局局員である二人の威徳を失いかねない。


「二人とも見つかったんだからいいじゃん。取りえずご飯食べに行きなよ」

「うージョーちゃんに免じて許してあげるか」

「こっちの台詞せりふだよひより」


 取り敢えずの収拾をつける。二人の言い争いをいさめるコツは、一方に肩入れせずなあなあで収束させる事だ。


「ジョーちゃんも一緒にご飯行く?」

「ごめん、もう食べちゃって、今帰るとこ」

「何だか早く帰りたそうな態度……分かった! 女の子でしょ?」

「ひより、それ私がやった」

「ええ!?」


 直ぐにいがみ合う癖に、思考回路が一緒だ。


「お出かけするならあんまり遅くならない様にね? 気を付けるんだよ?」

「ひよりさん、俺を幾つだと思ってんの。大丈夫だよ」

「そうやって油断するからいつまでもお姉ちゃん達は心配なの! ジョーちゃんに何かあったら、驤慈さんと一花さんに合わせる顔がないんだから! 学校はちゃんと来てる? ジョーちゃん私の授業取ってないから、成績も心配」

「相変わらず実技がだめだめだ。本当、驤慈さんと一花さんの子供かお前」


 実技実習で一科目、室実さんの担当しているコマを取っているので、実技の成績に関しては筒抜けだ。

 俺は射撃が大の苦手だ。

 外区では闇雲に突っ込んで近接射撃に持っていけばいいのだが、学院での授業となるとそうもいかない。

 突っ込む事で減点される。だから、離れて撃つ。自然と弾が当たらなくなる。結果、成績が悪くなる。

 実際の仕事ぶりを見る事はかなわなかったが、両親を知る人は口を揃えて有能だったと言うものだから、俺はその腕を知らぬまま惨めに比較し続けられて来た。


「射撃の腕は遺伝しないでしょ。何も教えてくれなかった親父と母さんが悪い」

「お前まだガキだったんだから教える訳ないだろ。驤慈さんも一花さんも、驤一を防衛局に入れる気はなかったみたいだし」

「うーん、二人とも本当にすごかったのに。一度授業で、学生三人編隊二十組と驤慈さん一花さん組で模擬戦した事あるんだけど、私達、手も足も出なかったからね」

「あーあったあった、ボッコボコにされたやつ。しかも、あの時私達は特進直前だったから、驤一と同じ四回生でそこそこ強かったのにな。授業で驤一とやる時あるけど、全く二人のへんりんを感じない」

「ぐ、言い返す言葉がない……」


 ミラが室実さんに肉薄するものだから、それと比べられては実技の時間にいつも馬鹿にされている。


「もしかして、室実の教え方が悪いんじゃないの!?」

「はー? 私の所為にする気か?」

「だって、ジョーちゃん勉強の方は普通に出来るんでしょ? 欠点は射撃だけでしょ? ほら、やっぱり室実じゃない」

「ほーほーじゃあ驤一が勉強出来るのはお前が担当じゃないからかもな」

「何!?」

「二日酔いの授業なんざ何の役にも立ちやしねえ。良かったな驤一、ひよりの授業取ってなくて」

「ちょっとけんしないで! 俺の射撃の腕が悪いのは俺の所為だから! 室実さんの教え方はすっげー上手! 本当! 俺が馬鹿なだけなんだ! それに俺、ひよりさんのコマ取ろうとしたんだけど、抽選で外れちゃったんだよ。ひよりさんの取れてたらもっと成績良かっただろうなあ。現に、中学の時ひよりさんに勉強教えてもらった後のテストは点数良かったし」


 さいな火種で爆炎が立ち昇る間に割って入る。


「ん、そうか。まあ、驤一が私の教えを分かっていればいいんだよ。ただ心配なんだよ」

「ジョーちゃん、来年は私の授業当たるといいね! そしたら、実技がだめでも驤慈さんと一花さんに顔向けできるくらい座学でカバーしてあげるから!」


 二人の俺に対する心配の仕方は、しんせきの子供に対するそれといつまで経っても同じなのでうんざりするが、それと同じくらいに罪悪感にかられる。

 七年前の事件で両親が死んでから、室実さんとひよりさんには世話になった。

 防衛庁防衛局に勤めていた両親が、衛学で教官として教えていたのが室実さんとひよりさんだ。

 仕事で忙しい両親の代わりに、学業の合間を縫って遊んでくれていた事もあって、親父と母さんが死んでからは凄く気にかけて貰った。

 二人は恩返しだと言っていたけれど、実際に二人に何かをしたのは両親な訳で、俺は二人に対しては、世話になった事自体に負い目がある。

 だから、それに加えて『外区』の事を隠しているのはとても心苦しい。

『皇都外区』。七年前に皇都から分断された、国の西部。

 とある事件をきっかけに隔離されたその場所は、七年間、一切情報もなく閉ざされている。

 打ち立てられた壁によって物理的に切り離され、その存在すら世界から逸脱された、この世にないとされる隔絶空間。

 外区との境界警備を担当する防衛局の人間ですら、壁から向こうに入り込む事はなく、もしも越境しようものならば、執行猶予もなくおりの中に放り込まれる。

 過去七年に越境を試みたジャーナリストの全ては、期限を決められる事なく幽閉され、再三この国の報道でその姿をさらされた。

 そんな場所に足を踏み入れている事など、この二人に話せる訳がない。

 それに、二人が所属する皇都防衛庁防衛局第二課、その担当区域は――

『世界線』

 外区との境界を意味するその線上を、室実さん達は監視している。

 だから、余計に、心苦しい。


「俺、待ち合わせあるから、もう行くね」


 後ろめたさから逃れる様に二人に言うと、返事を待たずに歩き出した。


「あ、もう! あんまり遅くまで遊んでちゃだめだよー!」

「驤一ー! 明日あした私の実習だから夜更かしすんなよ」


 分かっていると適当に手を振って階段を上る。

 室実さんの実習は厳しいので、言われなくても元より早寝のつもりだ。


(つづく)

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