第3話 君谷ほたる

それから2日後の昼休みのことであった。

「どうしたんだ、優也? すごい顔色悪いぞ」

 のっそりと声をかけてきたのは、江崎寛人(えざき・かんと)だった。

 中学2年にして身長180センチと長身。加えて趣味の筋トレによる分厚い筋肉の持ち主である。言うまでもなく素晴らしいガタイであるが、同時に絶望的な運動神経の持ち主としても有名なクラスメイトである。入学当初は運動部への勧誘が相次いだものの、身体能力測定でクラス総合最下位を叩き出し、無事にどこぞの文化部へと腰を落ち着けた男だ。

 そんな彼が現在に至るまでクラス内で一定の評判というか、ある種の人気を得ているのは、彼の温厚な人徳のなせる技であった。

 今声をかけてきたのも、優也を心配してのようであった。

「なんかここ数日体調悪そうだなー。あれ、弁当は食わないのか?」

「用意してないんだよ」

 優也はふにゃふにゃと机の上に伸びながら答えた。

「なんか余裕なくてさ……家族も出かけていないし」

「なんとかわいそうに。汝にシャケおにぎりを授けよう。ごはんは元気の源だ」

 江崎はでかい弁当袋の中から、ゴロンとしたシャケおにぎりと野菜ジュースをとりだした。優也は礼を言って受け取ると、ボソボソとかじり始める。

「昨日ぐらいから授業中もずっと居眠りしてるし、顔色悪いし。風邪でも引いたのか?」

「ううん。ただの寝不足だよ。でも一昨日からほとんど家で眠れなくてさ……」

「へえ、そりゃなんでまた?」

「なんでっていうかさ……」

 話しかけて、だが優也は黙り込んだ。

「なぜ黙る?」

「いや……なんというか……」

 なんと言っていいか、そもそも相談すべきものか、優也には分からなかったのだ。

「えっと、あのさ、幽霊とか怖い話とかって好き?」

「好きだぞ」

 熊のような大男から、意外な返答であった。

「俺の所属するところの大衆文化研究部が、裏で何と呼ばれているか知らんのか」

「いや、知らない」

「オカルト研究部だぞ。知らないのか。おっくれてるー」

「……マジでか」

「マジでだ。教師には見て見ぬふりされてるけどな」

「そうなんだ。じゃあ、まさに渡りに船で相談にのってもらいたいんだけどさ」

 優也は野菜ジュースを飲みながら、少し考えをまとめる。

「あれ、いや……でも……」

「なんだ?」

「改めて考えてみると、全然怖さが伝わらない話かも」

「いいから。話すだけなら損しないぜ」

「そうだな、ありがとう。えっと――」

 そう言って優也は話し始めた。

「声がするんだよ。誰かの声が」

「ほう」

「家には僕以外に誰もいないのに」

「ほほう!」

「ふと気を緩めた時に。風呂に入っていたり、トイレから出たり、夕食を食べ終わってひと段落したり、寝ようとして布団でウトウトしかけたり。そんな気持ちに『スキマ』が出来るときに、声がするんだ」

 優也は話し方に、熱意がこもる。

「しかもただ声がするだけじゃないんだよ。明確に、僕に向かって話しかけてくる。それが分かる。感じ取れる。だから気持ち悪い」

「ふむ……」

「たとえば『ねぇ』っていう同じ一言でも、雑踏でどこかの誰かの『ねぇ』が偶然耳に入ったときとは違う。誰かが僕の真後ろに立って、僕を振り向かせようとするときの『ねぇ?』なんだ。その明確な意識を感じるんだ」

「……一人でいるときにか?」

「うん、一人でいるときに」

「それは……気持ち悪いな」

「そうなんだ」

「ぞっとする。で、その声はいったい何を話しかけてくるんだ」

「『出シテヨ、ネエ、出シテヨ』って、そう言うんだ」

「……嫌な感じだな」

「うん。それが、気が緩んだときに限って声をかけて来るから、落ち着いて寝ることも出来なくて。頭おかしくなりそうだよ」

「それは……辛いな。でもよ。その声の主は、どこから出して欲しいんだろうな」

「さあ? 最近はホントこっちも少しおかしくなっちゃって『どこからさ?』なんて聞き返したりするんだけど、こっちの声には特に反応なくてさ」

「うーん」

 それを聞いて、江崎は腕を組むと顔をしかめた。

「それだけだと断定できないけど、『返事』は絶対やめといたほうがいいぜ。セオリーとしてはな」

「うん、確かにそうかも。気をつけるよ」

 セオリーという言い方が少し気になったが、優也は素直にそう答えた。

「ところで他の家族は、その声を聞いたことはないのか?」

「いや、ないと思うよ。今ウチは結構大変でさ」

 優也は一人で留守番することになった経緯を説明した。

「なるほど。お祖父ちゃん病気なのか。そんなことがあるんじゃ家族にも説明しにくいな」

「うん、そうなんだ。困ったよ……ところでこんな話、割と真面目に信じてくれるんだね」

「まあなあ。山岸が本気で困っているのは見ればわかるし、オカルトかどうかは別にして、作り話としては逆に中途半端すぎるしな」

「ありがとう、信じてくれて」

「まあな。ただ……」

 江崎は顎を撫でながら宙を睨んで考え込む。

「今聞いた話だけだと微妙だな。印象で語っていいなら、まだ『承』って感じだ」

「しょう?」

「ああ。起承転結の『承』。ホラー短編小説ならまだ序盤。まだまだこれから『ヤマ』と『オチ』が来る手前の状態を、現在進行形で体験してるって感じだな」

「や、やめてよ。そんな縁起の悪いこと! これからもっと怖いことが起こるってことじゃん」

「あ、いや、すまん。確かに変なこと言ったな」

 えらく申し訳なさそうに江崎は謝った。人の良さがにじみ出る。

「ま、ともかくよ。その声って家でしか聞こえないんだろ? だったら今日の午後はもう保健室で寝かせてもらったほうがいいんじゃないのか」

「いや、でも」

「体調悪いのは本当だし、その体調じゃ授業受けても意味ないだろ。ノートは貸すし、先生にもうまく伝えておくから、保健室行けって」

「うん、それもそうか……そうするよ。ありがとう」

 優也はふらりと立ち上がると、よろよろと教室を出る。

 その後ろ姿に、江崎は言った。

「一応さ、どうにかならないか俺も手を打っておくよ」

「うん、ありがとう」

 何の話か理解しないまま、優也は礼を返した。

 寝不足で頭がフラフラする。今はともかく寝るのが第一優先だった。



    ●        ●



 保健室で、久しぶりの熟睡であった。

 優也が目を覚ましたときには、すでに夕焼けが部屋を赤く染めていた。

 腕時計を見ると、もはや下校時刻となっていた。

 開け放した保健室の窓から、夏風が部屋へ入り込んでいる。

 寝ぼけたまま風を感じていると、不意に声がかけられた。

「少しは休めたかしら?」

 涼しげな声であった。

「え……」

 大きく開かれた窓に、一人の少女が優雅に腰かけていた。

 真っ白い長髪が、夏風でゆるくたなびいている。

 その銀髪は見間違えようもない。同じクラスの君谷ほたるだった。

 彼女はいつもと変わらない落ち着いた声で言った。

「よく眠っていたみたいね」

「あ、うん。よく寝てだいぶ調子良くなったよ」

「ということは学校では聞こえないのね、例の声」

「うん。やっぱり家でしか聞こえないみたい」

 優也はそう答えてから、彼女が『声』の話を当然のようにしていると気づいた。

「あれ、えーとどうして?」

「君達が教室で話しているのを小耳にはさんだの。盗み聞きして申し訳なかったけど、とても興味深い話だったから」

「あ、そうか、なるほど」

 と答えつつ、彼女が教室にいたかどうか優也は思い出せなかった。その白い髪のため人目を引きやすい彼女だが、あの時は教室にいなかった気がするのだが……。

「だいぶ顔色も良くなったかしら」

 彼女は優也に歩み寄ると、顔を覗き込んで言った。

 彼女は教室ではたいていポーカーフェイスで、どこか影のある大人びた笑みを浮かべている。大ぶりなはずの瞳はいつも半ば閉じているおり、深い藍色を湛えている。

 彼女がその瞳で、優也をじっと見つめていた。思った以上に近くから覗き込まれ、優也は落ち着かない気分になる。なんとかそれを誤魔化そうとして彼は言った。

「あ、あのっ、どうして、君谷さんは保健室にいるの。怪我でもしちゃった?」

「いいえ。君が目を覚ますのを待ってたの」

「え?」

「起こそうかと思ったけど、とてもよく寝ていたようだから」

「え、えーと。待っててもらったの? それはどうも」

 不思議そうにする優也を見て、彼女はどこか楽しそう。

「ねえ、山岸君」

「なに?」

「これから私を、山岸君の家にお招き頂けないかしら」

「……え?」

 戸惑う優也に対し、彼女は少し誇らしげに言ったのだった。


「私、こう見えても経験豊富なの」


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