第6話 ブッコロス



第六話 『ブッコロス』



ここはタンスの中。


気が付けば俺はタンスの中にいた。

上が観音開きで下二段が引き出しになっている緑色のタンスの中だ。

洒落た言葉で言うと、ライムグリーンという色なのかな?


とにかく俺は、観音開きのタンスの中にいた。

その中は防虫剤の匂いがやや臭かったが、慣れるとだんだんと心地よい香りになってきた。

ナフタリンっていいナ、ってちょっと思ってみたり。


しかしこの窮屈な状態で、8時間ほどの時間を過ごしているのはちょっとキツイ。

だって手足を動かすせず、全く身動きが取れない状態なのだから。

もし少しでも身動きしたならば、たちまち俺がここにいることがバレてしまう・・・


ん?

そういえば、何で俺はこんな事をしているのだろうか?

あぁ、そうか。思い出した!

俺は・・・そう、とある友人が俺の彼女に手を出したから、その現場を押さえ、こらしめてやろうと思って、トーコのアパートのタンスの中に潜入しているのだった。

俺の彼女の名はトーコ。そして彼女に手を出したのが友人のガリガリ。

細い体格をして、誰にでも媚びるヤな性格のガリガリ。

こんなヤツが俺の彼女であるトーコに手を出すなんて、身分不相応だよ、まったく。

だいたい、なんで俺の断りもなしに、俺の彼女に手を出すワケ?あ~あ、理解不能だよ。

だから、こういうズルがしこいヤツには、キッツイお灸を据えてやって、コテンパンにこらしめ、二度と俺の彼女に手を出さないようにギタンギタンにしてまるめてポイッってな感じにしてやっつけてやるッ!ぜったいッ!


それにしてもトーコ、帰ってくるの遅いなぁ・・・

ガリガリ退治をするために、俺をこんなタンスの中に閉じ込めておくなんて、いくらオマエのことを世界中の誰よりも愛しているとはいえ、ちょっとキツイよなぁ・・・いやいや、それは言うまい、全てオマエの為だもんな!

俺がちょっとガマンしてればいいだけの話だから。それでトーコが喜んでくれるなら俺は全然平気さ!

しかし、トーコも水臭いよなぁ・・・

ガリガリにしつこく言い寄られてるのなら、彼氏である俺にまっさきに相談してくれればいいのに。

その為の彼氏であり、その為の俺でしょ?

だって恋人ってそういう関係じゃん?

男が、愛する女の為に、まとわりつく邪魔な敵を倒すのが当然の役目だし。

男はいつでもお姫様を守る勇敢なナイトでなければならないのだ。

考えてみれば、これはけっこうキツくてハードな仕事かもしれない。

でも恋愛ってそういうものでしょ?

最近の若物は、ちょっと軟弱で頼りない男が多過ぎる気がするな。

なんつーか、命がけで自分の女を守れる男がいないっつーか、チャラくてうすっぺらでファッション感覚で、コンビニでお手軽感覚で恋愛してる男が多すぎで、とにかく俺はそれが情けなくて仕方がない。

だから俺が、今の若物みんなにみせつけてやるのさ、これが男の生き方なんだ!ってね。

そうすれば、今まで軟弱だったヤツラも、少しは俺を見習って改心するだろうよ。

言うなればこれは、頼りない男が増えている昨今の現状に、活を入れてやるための行為なのだ。

よし、ヤル気が出てきたぞ!さぁ早く来い!どこからでも来い!


俺の大義名分は究極の完成形に近づいていった。

もはや、俺の考えに逆らう者は誰ひとりいないのだ。

俺は人から与えられた業務を、イヤイヤ行う受け身の人間ではない。自ら考えた最良の作戦を行う。

間違ったことは大キライだから、ウソをつくことなんてしないし、ましてや人を騙すことも絶対しない。

ああ、いつの間に俺は、こんな素晴らしい人間になってしまっていたのだろうか?

別に今まで、それほど意識して生きてきた訳でもないのに、気がつけば自分でも驚くほどの崇高な精神をもった人間へと昇華していたのだった。

これは偶然?いや奇跡?

・・・・・・・・・・そのどちらでもないさ。

だって俺は自分の思うようにただ生きてきただけなのだから。

人の性格の良し悪しなんて、最初っから決まっているもんだ。

それを育て方や環境で性格が変わると思い込んでいる輩の多いこと多いこと。

だから、生まれつき性格の良い俺は、ずっと性格が良いんだな。

言うなれば、選ばれし人間ってワケ。

そこへ行くと、性格がまるっきり悪い人間ってのは不幸極まりないよなぁ。

捻れて、ひん曲がって、クシャクシャのグダグダのクズどもよ。

そいつらは死んだ方がいい。生きているだけ損だからいなくなってしまえばいい。

とにかく目障りだから、俺が消してやるよ?その方が成仏できるでしょ?むしろ光栄だろ?


だから俺は殺す。

俺の正義に背いた友人を、正しい道へと改心させるべく、俺はヤツを殺す。

ヤツの腐った精神は、丁度、左の胸の位置に巣くっているハズである。

だから俺はそこに刃物を挿入し、二度とそんな邪心が巣くわないように、捻って掻き混ぜてあげるんだ。

すると、その穴から水蒸気のように邪気がシュワシュワと抜けていくハズだろう。

そうしたらヤツは、「もう二度とこのような悪さはいたしません!」って言うに決まってる。

そしたら俺は笑顔でこう答えるのさ。


「もうすんだことさ」ってね。


あぁ!俺はなんて心の優しい人間なのだろうか?

友人の悪意を取り除いてやったばかりか、今までの愚劣な行為まで寛大に受け止めてしまうなんて。

我ながらお人好しすぎるかもしれないけど、それが俺の性格だからしょうがない。

くくく・・・!なんだかヤツを殺すのが楽しみで楽しみで仕方なくなってきたなぁ!


プルルル♪・・・・ピッ


「もしもーし!」

「おう、トーコ、仕事終わったのかよ?」

「うん、いま帰るとこ。そっちは?」

「なんとか終わりそうだよ」

「今日はウチ来れる?」

「もちろんだよ、もう少し待っててね」

「うん、待ってるね。でもあんまり急いで事故っちゃヤだよ」

「バカだなぁ、大丈夫だよ。俺はそんな死に方しないよ」

「フフ・・そうだねー、殺されたって死なないからね」

「あ、バカにしやがって、コイツゥ!」

「キャー、ウソウソ!でも早くきてね」

「ん、わかった、じゃ!」

「バイバイ♪」


俺の脳波が、ヤツラのそんな会話をキャッチした。

バカめ!今日殺されるとも知らずに、いい気なもんだな。

それにしても、なんだぁ?そのアホみてぇな会話は?

まるでテメェらが恋人みたいな会話してやがって。本当の彼氏は俺だっつーの!

まったく。こいつらはまるで擬似恋愛でもしているようだぜ。

まぁ、いいや。それも今日で終わり。それもあと数時間だ。

俺の予想だと、ガリガリがこの部屋にやってきて、俺の彼女とメシを食う。そして性欲に身を任せたガリガリは、必ずトーコを押し倒すだろう。許せん!絶対に許せん!だが、そこまでヤツを泳がせて現場を押さえないと意味がない。そこからは俺の独壇場だ。

人の彼女に手を出した人間が、どれだけ罪深いものか、二度と忘れないようヤツの体に刻み込んでくれるわ!

もう少し・・・もう少しの辛抱だ・・・ウフフ・・


ガチャリ・・・

「ただいまっ」

「ただいまー!」

アパートのドアが開き、若い男と女の声が同時に聞こえてきた。

どうやらトーコとガリガリは、外で合流し買い物を済ませ、このアパートにやってきたらしい。

「さっそく、お料理つくるね!あ、先にビールでも飲んでてよ」

「うん。このコートどこか掛けるとこない?」

「タンスにでも入れておいて。そこにハンガーあるから」

「はいよ。タンスにハンガーと・・・・・」


ぐつぐつぐつぐつ・・・・

トーコは台所で何かを煮ているようだった。

ガリガリはテレビを見ているようだ。


「あら?」

「どうしたんだい?」

「何でコートがソファーの上にあるのよ!」

「ああ、タンスに入れるのがメンドクサかったから」

「も~だめじゃん。しょうがないなぁ私が入れておいてあげるから」

タンスの扉に手をかけるトーコ。


「あーーーッ!」

そこに大声を出したのはガリガリだった。

「ど、どうしたのよ?ビックリさせないでよッ!」

「鍋!鍋がふいてるよ!」

「え?ヤダ!忘れてた!」

トーコはタンスの扉から手を離し、コートを放り投げると、台所へ一目散に走っていった。

「ふーっ、セーフだわ。よかったよかった♪」

「よかったじゃないよ、危ないなぁ」

「ゴメンね。あ、コートはちゃんとかけておいてね」

「ハイよ。まったくメンドクサイなぁ・・・・」

タンスの引き手に手をかけるガリガリ。


ガチャリ。

バタン。


「ところで今日の夕飯はなに?」

「じゃ~ん!トーコお得意の、肉じゃがでーす!」

「肉じゃがねぇ・・この前みたいに砂糖入れすぎて甘露煮みたいにするなよ?」

「あれはちょっと間違えただけなの!も~、イジワルっ!」

「ちょっと、ね?」

「も~、ひどーい!」

「あははは!」

「うふふふ!」


ガリガリのヤロウめ・・・せいぜい今のうちに楽しんでおけ!

それにしても、タンスの中は狭かったから、押入れに場所を変えて正解だったぜ。もし、ガリガリがタンスの扉を開けて俺を発見したら、俺は我慢しきれずに、この手にしている刃物でヤツの胸元に突き刺すところだったぜ。

それにしても押入れというのは、不思議と淫猥な気分にさせてくれるところだ・・・

俺は全裸のまま押入れに隠れ、刃物を握りしめていた。なぜ全裸かと言うと、これには訳がある。


それは幼い頃の記憶だった。

俺は小学生の頃、学校が終わると、校庭の大きなタイヤのところに向かう。

このタイヤはとても大きくて、立った状態で半分ほど地面に埋まっている。

子供なら2人ほど中に入れる広さだった。

俺はこの何とも言えない密室間が好きだった。そしてなぜか興奮したのだった。

俺はそこで短パンを下ろし、パンツを脱いだ。

するとなぜか俺の鼓動はドクドクと激しさを増すのだった。

何故?その時分は、なぜそうなるのか理解できなかったのだが、今ならハッキリわかる。


俺は『変態』なのだ。


変態と言っても、現在ではその種類は無数にある・・・いや、無限と言ったほうが適切か。

だから俺がそのタイヤの中で下半身裸になったことなど、別に珍しい体験でもないのだ。

世の中には、まだまだスゴイ変態が存在するのだから。

性癖というのは、幼い時分にふと経験した快感から始まり、それが大人になった今でも止められずに続けていることだろう。

だから俺は、密室のような場所で裸になると、たまらなく興奮するのだった。それに今日は、ガリガリをこらしめてやれるので、ますます俺の鼓動はドクドクと高揚していくのだった。


それから3時間ほど経っただろうか?

メシを食い終わり、テレビのバラエティー番組を見ていた2人の笑い声も聞こえなくなった。

押入れの暗闇に、針のように細く差し込んでいた蛍光灯の明かりも、いまはない。

それはいよいよ、トーコとガリガリが、体だけの関係を始める前兆を物語っていた。

俺は刃物を強く握り締め、噴き出す怒りと嫉妬と興奮を静めるのにやっとだった。


気配が変わった・・・

俺の五感が鋭く研ぎ澄まされ、押入れの外で起こっている色事を、リアルに想像していた。

何か小さな音が聞こえる・・・

犬がお皿のスープをペチャペチャと下品に舐めまわしているような音。

そして犬が下痢か腹痛にでもなって苦しくて、助けを求め、クゥンと弱々しく鳴いている声が聞こえる。

声にならないような、蚊の鳴いたような声だ。それは、たまらなく切ない声で繰り返されていた。

そして、時折、うっ!と大きな声が洩れ、それがトーコの声だとわかった。

俺は、自分の彼女が隣で犯されていることで、頭がおかしくなりそうだった。

こめかみに激痛が走り、濁ったマーブル状のマダラが目の前でゆらゆらと揺れる。

いまヤツラは、お互いが衣類を一切装着していない、完全なる生まれたままの姿で、完膚なきスッポンポンの状態で、お互いの体を擦り合わせているのだ。しかも、こともあろうに、トーコは、女性のシンボルともいうべき大事な部分を、吸われ、撫で回され、いやらしくもて遊ばれているのだ。

女性の性器に顔をうずめ、口と舌を使ってそれを租借する様は、なんとイヤラシイ姿であろうか!

けしからん!ああぁ・・・!許せない!

トーコの体をいじり尽くすのは、俺だけに許された聖なる特権行為なのだぞ!

もうダメだ!もはやガマンの限界!

考えてみればここに篭ってから10時間以上もたち、俺の精神状態は極限まで疲れきっていた。

極度の苛立ちで体中がブルブルと震え、泡のような唾液が口からブクブクとあふれ出してきた。


「キエーーッ!」


それはほとんど奇声に近かった。

俺は暗闇の中を無我夢中で刃物を振り回し、ガリガリと思われる人物に刃物を思いっきり突き立てた。


バズン!ゴリリ・・・


刺さった刃物を、さらに深く押し込む。

鈍い感触が手に伝わり、そこに横たわっているガリガリは、一撃で絶命したようだった。

やった!

これで俺の彼女にちょっかいを出す悪者を退治することができた。

うひひ・・・バカなやつだ。本当にバカなやつだ。本当にバカなやつだ!


パッ


トーコが部屋の電気をつけ、暗闇が一瞬にして、明かりにてらされた。


だけどもそこにいたのは、怯えた表情のガリガリと、喉から血を流して絶命しているトーコだった。


「うわっわああアアァーーーーッ!!」

どうやら殺す相手を間違えたらしい。

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