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 今日、八月一日、真節小とのお別れをするのは、あたしたち四人のほかにもいる。小近島内で仕事をしていて、取り壊しが始まる正午に手を空けられる人たち。明日実と和弘のいとこたちのように、この日のために戻ってきた大学生や大人たち。

 真節小に向かって、四人で歩き出す。車がほとんど通らない県道を、横並びになって。並び順は、昔と同じ。いちばん右が和弘で、隣に明日実、その隣があたしで、いちばん左が良一。

 話の中心になるのも、昔と同じで、明日実だった。

「うちの高校、大近島の公立やけど、課題が多くて大変よ。うちは進学するつもりもなかとに、休みの日でも、補習とか模試とかあるし」

 良一は、あたしの頭越しに、自転車を押す明日実と視線を合わせた。

「小近島から通ってるんだ?」

「うん。いとこたちが高校生やったころは、大近島に下宿しちょったけどね。うちは家の手伝いもあるし」

「片道、どれくらいかかるんだっけ? 船で十五分と、バスで三十分くらい?」

「うん。でも、これくらいなら、都会の高校生の電車通学のほうが時間かかるやろ? 良ちゃんだって、仕事場、そんなに近くなかっちゃろうし」

「そう言われると、確かにそうなんだけど、船で通学するっていうのが特殊すぎて、何かすごく大変そうって思ってしまう」

「朝はともかく、帰りの船便が困りものよ。部活ば早めに抜けんば、渡海船に間に合わんと。それでね、団体競技は避けた。うち、岡浦中のときはバレー部やったけん、高校でも続けたかったけど、毎日早退じゃ、みんなに迷惑かけるもんね」

「陸上部って言ってた?」

「そう。うちも和弘も陸上部。二人して、砲丸投げと中距離走の二本立てでやりよっと。うちは砲丸投げのほうが強くて、和弘は中距離かな。今年はちょっとダメやったけど、たぶん、来年は二人そろって県大会に出られるよ」

 明日実の向こう側から、和弘がこっちを見ながら、説明を付け加えた。

「今年、予選会の前に、季節外れのインフルエンザに家族じゅうでやられて、本番までに体力が戻らんやった。ねえちゃんは、ほんとやったら、砲丸投げで九州大会も確実っていわれちょったとに」

「仕方なかよ。来年に向けて、この馬鹿力ばパワーアップさせるもん。あ、今日は特別に、部活ば休ませてもらっちょっと」

 明日実は、けらけらと明るい声で笑っている。

 あたしは信じられない思いだった。活躍の場を失って、次のチャンスが一年後だなんて。しかも、実力不足が原因で負けたわけじゃなくて、ただ運が悪かっただけって、そんなの、あきらめもつかない。

 会話はここまでだった。目的地に着いたんだ。海に突き出したカーブを曲がると、真節小が目の前にあった。

 胸がギュッとする。

 なつかしさと、悲しさと。何かとても大きな感情が、ぶわっと、体じゅうを包んで呑み込んだ。あたしは、ひりひりする透明な痛みの中に落ちていく。

 ちんまりとした鉄筋コンクリートの三階建ての校舎は、赤みがかったベージュ色。校舎とL字を作るように建てられた体育館は、とぼけた赤色の屋根をかぶっている。

 なつかしくて、だけど足りない。ものすごく足りない。ここにある景色は、記憶の中の真節小とは違う。

 何もないんだ。

 校庭脇に植えられていた木が、一本もない。鉄棒や登り棒、すべり台も、何もない。サッカーゴールも朝礼台もない。校旗や国旗の掲揚台すらない。

 そして、誰もいない。何の気配もない。

 明日実があたしと良一のほうを向いて、えくぼのある表情で言った。

「寂しかろ? 学校がちゃんと動きよったころ、この時間帯には、教頭先生が校門のところに立っちょって、おはようございますって言うてくれよったとに」

 ポーカーフェイスな父は、あたしが相手でも平然として、朝の挨拶運動をやっていた。書道の授業もだ。父が書道の教科担当だったけど、まったくもって平然としていて、おかげであたしにもポーカーフェイスが身に付いた。

 真節小は、海から道を一本隔てただけの場所に建っている。校舎のすぐ裏手は山。地形から推測するに、山を少し切り崩して、海を少し埋め立てて、真節小の敷地を確保したんだと思う。

 和弘が淡々と言った。

「校舎ば解体するための重機は、もうすぐ、本土からの特別の船便で到着する。十時に工事開始の予定で、始まったら、何ヶ月もの間、校庭には入れんごとなる。おれ、たまにここで走りよったとけどな」

 良一がチラッと腕時計を見た。

「お別れのセレモニーは、九時半に校庭に集合だよね。それまでは、校舎の中を見て回っていい」

 明日実と和弘は同時にうなずいた。明日実が口を開く。

「鍵はもう開けてもらっちょっよ。昨日は、うちのいとこたちが校舎探検しよった。うちと和弘も誘われたけど、断ったと。うちらは結羽や良ちゃんが一緒じゃなからんばねって」

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