2. 凶刃の夜会 -A Cup of Tea with Artificial Sweetener- (2)

 真っ白な門だった。まずその巨大さに圧倒される。見上げても高さが上手く測れない。村の近くにあった一番大きな樹でもこれほどまでではなかった。しかもこれは自然に出来たものではなく、人の手で作り上げた物なのだ。

 ルサンの街の南門だった。街の東側は湖に面していて港になっているが、残りの三方向は壁に囲まれ、一つずつ大きな門がある。交易地として栄えているルサンの街には、毎日ひっきりなしに人や荷物が出入りをしている。門の内側には関所があり人の出入りや荷物の中身を検査している。

 門と関所の間の小さな広場にフィルたちはいた。今日は学院生に課せられた奉仕義務の日だった。朝から昼までの予定になっている。同じく学院生のレティシアも隣にいる。今日は初日のため、指導役として助手のベナルファも顔を出してくれていた。

 学院生は月に一度、奉仕が義務づけられている。街の色々な場所へ出向いて建物の建造や輸送などの手伝いをする。そうやって魔術の有用性を示すことで、イメージの向上を図っているのだ。

 一般の市民は魔術のことを知らず、得体の知れない不思議な力だと捉えている向きがほとんどだろう。無知は恐怖の種だ。よく知らないからこそ疎まれ、蔑まされることとなる。そのことが身に沁みているからこそ、学院は積極的に魔術の周知に努めている。

 フィルが魔法のことを知ったのは故郷の私塾でだった。読み書きや計算を教えていた講師は学院のOBで魔術についてかなりの知識があり、素養がある子供に基礎的な魔術を教えてくれることもあった。もちろん悪用しないように危険な魔術は教えてくれなかったし、悪戯でもしようものならきついお仕置きが待っていた。少々やんちゃをしてしまい、罰としてカエルに姿を変えられたことはフィルのトラウマである。あの時リルムが守ってくれなかったら、鴉に食べられてしまっていたかも知れない。

 フィルは杖を握りなおした。魔術を使うのは慣れている。しかし後ろからベナルファが見守っているのが少し気になる。しかも隣にレティシアがいるため、比べられているような気がしてさらに緊張してしまう。彼女はつい先ほど見事に魔術を使ってみせたばかりだ。

 子供の頃から魔術を使うことは好きだった。体内や空中を漂う魔力を集め制御し現象として行使する。硝子細工を扱うように丁寧に、それでいて速やかに流れを導いてやらなくてはならない。

 初めて魔法を上手く使えたときの喜びは今でも心に残っている。それからは夢中で新しい魔法を学んだものだった。私塾の講師は基礎を大事にする主義で、あまり積極的には新しい魔術を教えてはくれなかった。何度も頼み込み実力が伴っていることを証明し、それでやっと魔術書を見せて貰った。

 フィルは意識してゆっくりとアクセラレーションの詠唱を始めた。対象は目の前にいる栗毛の馬。これから南方に向かうそうだ。早馬に対しては速度を重視してアクセラレーション。荷馬には負担を減らすためにウェイト・リダクションを唱えるよう言われている。どちらも長時間は保たないが、旅が少しでも楽になるようにという配慮なのだろう。

 今日ここに配置された理由が理解出来た。アクセラレーションなんてマイナーな魔法を唱えられるのは、時間魔術の研究をしている魔術師だけだ。学院内でも唱えられる人材は数えるほどしかいないだろう。

 魔法は無事に発動した。馬が一声いななく。以前にもかけられた経験があるのか、それ以外に反応は見せなかった。それを確認してフィルは大きく息を吐いた。商人が一つ頭を下げて馬を引いていく。

「なかなか悪くない。さすがはアリステア導師が選んだだけのことはある」

 背後から声をかけられ、フィルは慌てて振り向いた。少し嗄れた低い声だった。

 街の側から関所を抜け二人こちらに歩いてくる。一人は銀髪に白髪が交じった矍鑠とした老人だった。もう一人は緑がかった髪の壮年の男性だった。背が高く、長い髪を背中に垂らしている。銀狼の部族と緑鰐の部族だと見て取れた。

 フィルは少し驚いた。銀狼の民の老人はドワイト学院長だった。入学式で言葉を交わして以来だった。もう一人の方にも見覚えがあった。入学式に列席していた導師の一人だ。

「魔力の扱い方が大胆で手慣れている。難しい術式ではないとはいえ魔力をあれほどスムースに変換するには高い集中力と流れを編むセンスが必要だが、いずれも非凡なものを持っている。馬がほとんど反応しなかったのも、魔力の流入がスムースだったからだ。だが、詠唱にはまだ改善の余地があるな。もっと効率よく魔力を収集する必要がある」

「……ありがとうございます」

 どう反応して良いのか判らず、フィルはとりあえず礼を言った。

「学院長、どうしてこちらへ?」

「いや何、街に出る用事があったのでな。ついでに様子を見に来ただけだ」

 ベナルファの問いに、学院長は笑顔で答えた。すると、今まで黙っていた緑鰐の部族の導師が口を開いた。

「そのアリステア君が見当たらないようだが?」

「はい。導師は研究室にいらっしゃいます」

「なるほど。今日は新人が配属されてから初めて奉仕に従事しているのでは?」

「そうです、ミニョレ導師」

「ふうむ」ミニョレと呼ばれた導師は鼻から息を吐いた。「新人の力量に興味がないのかな? 監督責任だってあるだろうに」

「……」

 ベナルファは何か口にしかけたが、結局沈黙を保った。

「レティシアの方は学舎に居た頃の成績が残っているからある程度は判断出来るだろう。ルサン育ちだし素行にも問題あるまい」

 ドワイトが導師を取りなすようにそう言った。その言葉にフィルがレティシアの方にちらりと目を遣ると、彼女は両手でローブの裾をいじっていた。珍しい仕草だったので、フィルは少し気になった。

「レティシア君。どうだね、新しい研究室は?」

「はい……」レティシアは少し俯いた。「とても勉強になっています」

「そうか、それは良かった」

 妙に高圧的な態度で導師はそう言った。レティシアの指が止まる。

「アリステア導師は学院だったね。邪魔をした」

 学院長は最後にそう言い残して街の方へ戻っていった。その後ろ姿が見えなくなったのを確認してレティシアは大きく息を吐いた。

「今のは?」

「ミニョレ導師です。召喚魔術に関しては、学院内で第一人者と言われている方ですね」

「私が最初に配属になった研究室の導師です」

 ベナルファの説明を引き継ぐように、レティシアが小声でそう言った。その言い方とさっきの導師の態度から、レティシアの転属が穏便には行われなかったのがフィルにも感じ取れた。

「ちょっと休憩しましょうか」

「まだ一度しか魔法を使っていませんよ?」

「精神的に乱れた状態で、魔術を使わせるわけにはいきませんから」

 ベナルファがそう言って関所の脇の小屋に入っていく。フィルとレティシアもそれに続いた。部屋の中には簡単なテーブルと椅子があった。フィルは水筒からコップに水を注いだ。ベナルファがそれに口をつけた後、レティシアは頭を深く下げた。

「申し訳ありません」

「貴女が気に病むようなことではありませんよ。受け入れるのを決めたのはアリステア導師ですし転籍を許可したのは学院長です。有望な新人を横取りされたミニョレ導師が面白くないのは解りますが、無理を通した分の代償を支払うのは決断を下した人間です」

「……はい」

 レティシアはまだ居たたまれないような表情だったが、それでも頷いた。ベナルファが少し悪戯っぽく表情を変える。

「とは言え、負い目に感じる気持ちは理解出来ます。だったら、無理を通してでも転籍させて良かった、と思わせるほどの結果を示して頂ければと思います」

「……はい!」

 レティシアは返事をして少し笑った。それからフィルの方に向き直る。

「フィルにも、私の所為で不快な思いをさせているでしょう?」

「いや、そんなことはないけど……」フィルは慌ててそう言った。「学院や街のことをよく知っているからいてくれると頼りになるし。大体、僕がレティシアより良い成績で合格していれば済んだ話だし……」

 言葉に困りながらもフィルはそう言った。しかしレティシアはくすりと笑った。白い歯がちらりと覗く。

「それだと私の転籍は認められないわよ?」

「ああ、そうか……。そうだね」

「ええ。でも、ありがとう」

 レティシアは一つ深い息を吐いた。それからまた口を開いた。

「正直、貴方があんなに上手に魔法を使えるとは思っていなかった。学舎の中でも、貴方ほどの使い手はいなかったわ」

「ええ。新人とは思えない出来映えでした。実技の方では特に指導の必要無さそうですね」

「ええと」フィルは少し困って言った。「ティアには妖魔退治のときに魔術を使って見せたと思ったんだけど」

「言われてみればそうね。でも、あの時は目の前のことで手一杯だったから。フィルのことなんか、気にしている余裕がなかったの」

 つんと顎を上げてレティシアはそう言った。普段の調子が戻ってきたようで、フィルは少し安心した。ベナルファも穏やかにそれを見ていた。

「さて、じゃあ再開しましょうか」

 ベナルファがそう言って立ち上がる。フィルとレティシアもそれに続いた。休んでいる間に、魔法を待つ列が出来てしまっていた。早速、という様子で荷馬車が進んでくる。

 次々やってくる早馬や馬車にフィルとレティシアは手分けをして魔術をかけていく。やはりアクセラレーションの需要が大きいようだった。なるべく効果を拡大して持続時間が長くなるようにかけていく。

 五、六回魔法を使った頃にベナルファが帰って行った。用事があるとのことだった。端から見ていても彼はかなり忙しいようだった。その分アリステアが研究に集中出来る、という役割分担なのだろう。

 それにしても、とフィルは思った。魔法をかけても礼を言われることはまずなかった。頭を下げてくれれば良い方で、大抵は当然のことのように去っていく。これがルサンにおける魔術師の扱いか、とフィルは理解した。

 とは言え、思い返してみればトラムの村でも大して変わらなかった。講師は元々村の生まれだったはずだが、それでも人々から敬遠されていた。寄り合いなどにもほとんど呼ばれていなかったし、村民との関わりといえば子供への教育の謝礼として農作物や獲物を分けて貰っていたことぐらいだ。

 フォクツやフィルが魔術を習っていることに眉をひそめる大人も多かったように思う。フィル自身が表だって何か言われることはまず無かったが、それはトーカブルであったことも関係していたのだろう。ルサンほどではないが、特別な生まれだという意識は根付いていた。村を出てからそのことに気が付いた。

 そんなことを考えながらも呪文を唱え続ける。簡単な呪文ばかりでも数をこなせば疲労は溜まってくる。乱れた息を整えながら隣をそっと窺うと、レティシアは涼しい顔をして詠唱を続けていた。その視線に気が付いたのか彼女は少し笑った。

「お疲れみたいね」

「うん、ちょっと……」

 フィルが苦笑いを返したとき順番を待っていた行商が不機嫌そうに地面を蹴った。二人は驚いてそちらを向いた。伏せていたアスコットの耳がぴくりと動いた。

「急いでるんだ。乳繰り合っていないで早くしてくれ」

「あ、はい……」

 レティシアの眉がぴくりと動いた。彼女が何か言う前にフィルは杖を構えなおした。手早くアクセラレーションをかける。持続時間の拡大はしないでおいた。正直なところ、そこまでの余裕が既に無かった。

 魔術が無事に発動する。行商は舌打ちをして門へと向かう。その背中にレティシアが声をかけた。目は厳しく細められている。

「貴方」

「何だよ」

「先ほどの言葉を取り消しなさい」

 レティシアは真っ直ぐにそう言った。しかし男は首だけ振り向いて、馬鹿にしたように言った。

「なんでだよ。お前等がぐずぐずしてるからだろ。こっちは急いでるんだ」

「休み無く働き続けることなど出来ません。それを……」

「何言ってんだ」レティシアを遮って男は言った。「詐欺師紛いの魔術師風情が」

「なっ!」

 レティシアの顔がさっと赤く染まった。元々色白なので変化が判りやすいのだ。その顔に向かって、嘲るように男は続ける。

「そうだろう? 仕事もしないで塔に籠もって何やってるんだか。こんな奴らをただで食わせてやってるんだ。こんなときくらい真面目に働けよ!」

「……っ!」

 レティシアは怒りで声も出ないようだった。目尻は吊り上がっている。指輪を填めた手は打ち震えていた。

 無理もない、とフィルは思った。恐らく今までこんな風に侮辱された経験など一度も無かったのだろう。能力だけに限ってみても貶めるような発言が出るはずもない。彼女の家柄を考えれば尚更のことだ。

「何だよ、その眼は。文句でもあるのか? 全部事実だろうが」

「貴方は……」

「ティア」

 フィルはレティシアの肩に手をかけた。木綿のローブは少しざらついていた。レティシアは開きかけた口を閉じた。

「もう行ってください。後が詰まっています」

「ふん」

 男は鼻を鳴らして踵を返した。馬を引いて街の外に出て行く。

「フィル、なぜ止めるの」

「まあまあ」

 レティシアは憤懣やるかたない様子でフィルを睨んだ。それから街から去っていく男の背中をキッとにらみ付ける。獲物を狙う肉食獣のような眼だった。

 その視線の先、男の頭上から何かが落ちてきた。男はぎゃっと叫んで頭を気にしている。懐から布を取りだしてしきりに拭っているようだ。かなり距離があるが、口汚く罵る声が門まで聞こえて来た。

「……え?」

 上空を滑空してリルムが帰ってくる。フィルは腕を差し出したが、リルムは無視して丸まって寝ているアスコットの背中に止まった。アスコットは振り向いてリルムを確認すると、労うようにぺろりと舐めた。

「……フィル」

「何?」

 レティシアが何かを口にする前に、関所から次の馬がやってくる。衛兵も歩いて来て、今日最後の早馬だと告げていった。これが終わったら帰って良いらしい。レティシアがフィルを手で制して詠唱に入った。すぐに魔法が発動する。最後の早馬は一つ頭を下げて街の外に出て行った。衛兵は事務的にご苦労様です、と言って関所を通した。

 気が付けば太陽は天頂を通り過ぎていた。日差しが疲労した身体に突きささる。魔法を使いすぎて頭も身体も怠い。重い身体を引き摺るようにして喧噪の中を歩く。ルサンの街は、今日も正しく機能しているようだった。

「どこかでお昼を食べましょう」

 レティシアがそう提案してくれる。先ほどよりは少し穏やかな目つきをしていた。フィルはそれを見て小さく頷いた。

 レティシアの案内で近くのレストランに入る。赤狐の部族の郷土料理の店のようだった。少し格式が高そうだったのでフィルは店に入るのに躊躇した。しかしルサンに詳しくないので選択の余地など無かった。基本的に寮の食堂で食べているので、外の店に自発的に行くことはない。フォクツやウィニフレッドに連れられて行ったくらいのものだ。

 赤毛の店員に案内されて席に着く。手渡されたメニューを開いてみるが何の料理だか判らないものが多い。それに並んでいる数字が少々大きかった。とりあえずレティシアと同じ物をフィルは頼んでみた。深々と礼をして店員は去っていく。

「お疲れ様」

「フィルの方が私より疲れていると思うわ」

 レティシアはそう言ってくすくすと笑った。

「フィルは魔術を扱うのは得意なのにね。魔力はあまり多くないのかしら」

 二人で交互に魔法を使ったはずなので、唱えた回数は変わらないはずだ。それなのにこの疲労度の差は言い訳のしようもなかった。

「やっぱり詠唱が得意ではないの?」

「そうかも知れない。学院長にも言われたし……」

 フィルは腕を組んだ。たしかにレティシアの詠唱はとても滑らかだし、自身が持っている魔力の量も多いようだ。一体どれほどの精神力なのだろう。

「ティアの魔力は凄いよ。妖魔退治のときも大魔法を唱えていたし。僕にはとてもあんなのは使えない」

「あ、あれは……」

 フィルが話を振るとレティシアは髪の先を右手でいじった。

「あれは、マジックアイテムを併用しただけ。火炎の魔法が唱えやすいように、発動体に付与されているの。元々そちらのほうが得意だし……」

「……ふうん」

 フィルは一つ頷いた。そのことは予想していたので驚きはなかった。

「だとしても、簡単に唱えられる魔法じゃないよね?」

「ええ。私が使える中で最大の魔法。学院への入学が決まったときに、大叔父様が発動体と一緒に魔術書を下さったから」

 ティアが大叔父と呼んだことにフィルは気が付いた。どうやら彼女はドワイトのことを呼ぶときに、学院長と大叔父を公私で分けようとしているようだった。

 店員が料理を運んでくる。名前を見ても判らなかった料理は、羊の肉を包んだパイのようだった。美味しそうな肉が焼ける香りが漂ってくる。それを嗅いだら反射的に腹の虫が鳴いた。考えてみれば、朝に軽くパンをかじってから何も口にしていない。

 早速ナイフとフォークを手に食べ始める。焦茶色の表面にナイフを入れると肉汁があふれ出てきた。口に運ぶとジューシーでとても美味しい。小さく切ってリルムにも一口食べさせてやる。

「そういえば……」

 レティシアが少し躊躇しながら言った。何度か口を開きかけては閉じたが、結局言葉に出した。

「あれはいくらなんでも……」

「何のこと?」

 本当に解らなかったのでフィルは素直に問い返したのだが、とぼけているとレティシアは受け取ったようだった。少し細められた眼でリルムの方を示す。先ほどの関所での一件のことだとフィルはようやく気が付いた。

「まあ、何て言うか。事故みたいなものだよ」

「あんな都合良く起こる事故なんてあるものですか!」

「まあまあ」

 フィルは適当に返事をしてパイを口に運んだ。もぐもぐと咀嚼する。レティシアはまだ何か言いたそうだったが、結局口を噤んだ。食事中にそぐわない話題だと思ったのかも知れない。少し不満そうに頬が膨らんでいる。それでも気を取り直すように問いかける。

「味はいかが? 口に合うと良いんだけど」

「とても美味しいよ。こんなに美味しいパイは初めて食べた」

 フィルは素直に感想を言った。それを聞いてレティシアは嬉しそうに微笑んだ。

「このお店にはよく来るの?」

「ええ、時々。友人と出かけたときにお茶をしたりするのに。食事を頼んだことはあまり多くないけど、気に入ってくれたなら嬉しい」

 そこまで言ってレティシアは少し真面目な顔になった。

「ウィニフレッドさんとこんな風に出かけたりしないの?」

「ウィニフと? あんまりないよ。村にはこんな店なんてなかったし、ルサンに来てからまだそんなに経ってない。お金だって無いしね」

「じゃあ、今日のことを知ったら怒るかしら……?」

 レティシアは窺うような視線で言った。彼女には珍しい表情だった。

「怒る?」フィルは首を傾げた。「まあ、ちょっと不機嫌になるかも知れないけど……」

「やっぱり……」

 眉が下がった顔で口を開きかけたレティシアを遮るようにフィルは言った。

「こんな美味しい物を食べたなんて知られたらね。ウィニフはかなり食い意地が張ってるから。今度自分も連れて行け、とか言われるのは間違いないね」

「……そう」

 レティシアは不機嫌そうに短くそれだけを言った。ウィニフレッドのことを悪く言ったのが癇に障ったのか、とフィルは少し反省した。ウィニフレッドとは兄妹同然に育ったので、つい発言に遠慮が無くなってしまう。端から聞いていてあまり気分の良いものではないかも知れない。

 二人ともすぐに食事を終える。空になった皿はすぐに下げられて代わりに茶が運ばれてきた。琥珀色の液体が目の前でポットから注がれる。穏やかな薫りが鼻をくすぐった。

「この後は何か予定があるの?」

「うん、ちょっと人と会う用事があって」

「あら」

 レティシアは意外そうに眼を瞬かせた。その顔を見てフィルは嘘を吐いた。

「僕にだって、知り合いくらいいるよ」

「ごめんなさい、そういう意味じゃないの」

 レティシアはカップに口を付けた。白い咽がこくりと動くのが見えた。

「残念に思っただけ」

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