象牙の塔の未来学者 -The Sorcerous Futurologists-

葱羊歯維甫

Prologue 象牙の塔の未来学者 -The Sourcerous Futurologists-

 生活感の無い部屋だった。壁際に並べられた机は引っ越した直後のように綺麗に整頓されていて一分の隙も無い。木製のテーブルの上には何も置かれておらず、存在している意義をまるで感じさせなかった。

 フィルは違和感の正体に思い当たった。この部屋には本棚が無い。今までに見たどの魔術師の部屋にも、重厚な本棚いっぱいに魔道書や理論書が押し込められていた。それは一面的にはその研究室の価値そのものと表現しても差し支えない。しかしこの部屋には一冊の本も見当たらなかった。恐らくそんな必要が無いのだろう、とフィルは解釈した。

「フィラルド・セイバーヘーゲン」

「……はい」

 一拍遅れてフィルは返事をした。

 視線を正面に向ける。ソファに男女が並んで腰掛けている。低く柔らかい声で呼びかけたのは男性の方だった。二十代の後半くらいだろうか。痩身の穏やかな目つきをした青年だった。青みがかった髪の色から青馬の民だと見て取れる。

「私はベナルファ・インヴァネスと申します。当然理解しているとは思いますが、この面談は貴方がこの研究室に相応しいかどうかを試すものです。知識や魔術に関する能力に関しては既に試験で確認が取れていますので、性格や適性を見るのが主な目的です。基本的には、こちらからの質問に答えて頂きます」

「はい」

 意識して男の目を見ながらフィルは答えた。正直に言ってこういう場面にはほとんど経験がない。どんな振る舞いが望ましいのかまるで判らなかった。

「とは言え、仮にこの面接が上手くいかなかったとしても最終的には学院のどこかには配属になりますので、そう緊張しなくても大丈夫ですよ。これが貴方にとって慰めになるかどうかは判りませんが」

 ふっと表情を緩めてベナルファが言った。目尻が下がった顔を見て、推定年齢を三つ、フィルは引き下げた。

「では始めます」

 ベナルファはそう言って、隣に目を遣った。フィルもそちらに視線を向ける。

 ほっそりとした女性が座っていた。二十歳だと聞いているがもっと若く見えた。灰色のローブを身にまとい、明るい栗色の髪は一つに束ねて背中に垂らしていた。同じ色の瞳は大きく理知的な光を湛え、肌は透き通るように白い。作り物じみた美しさだった。

 彼女は穏やかな表情で、静かに口を開く。

「何か質問はありますか?」

「……え?」

「これは質問です」

 予想に反した問いかけにフィルは少し動揺した。

「……貴女がアリステア・ウィンステッド導師ですね?」

「ええ、そうです」

 栗色の髪を揺らしてソファに腰掛けた女性は頷いた。

「この面接の意義はなんですか?」

「先ほど彼が述べた通り……」学院史上、最年少導師は答えた。「貴方の適性を知るためです。無意味な質問ですね。再度確認する必要がありましたか?」

 フィラルドは慌てて考えを纏めなおした。

「学院の合格発表の際、同時に面談の日程も貼り出されていました」

「ええ、そのように聞いています」

「この研究室で面談するのは私だけでした」

 アリステアはもう一度小さく頷いた。髪と同じ色の瞳がフィルを捉える。

「貴方は環境への適応能力が高い人ですね。そしてそれは貴方の自我が薄いことに起因している」

「……え?」

「今、貴方は『私』という一人称を特に意識する様子もなく使用した。部屋に入ってきた直後の貴方は椅子に腰掛けるまでやや落ち着きを失っていました。座った後は声をかけられるまで部屋の様子を観察していましたね。普段の貴方は自分のことをどう呼んでいますか?」

「……『俺』、あるいは『僕』です。話す状況や相手によって変わります」

 一つ息を吐いてから、フィルは答えた。

 アリステアはすぐに話題を戻した。

「面談の目的は、本当に一つだけです。貴方をこの研究室に配属させるべきかどうか。それだけの資質を有しているかどうか、それを判断するためだけです」

「私にその資質が無いと判断された場合にはどうなりますか? どなたか、代わりの方が配属になるのですか?」

「一人称を『俺』にして下さい」

「俺に……」フィルは一瞬言い淀んだ。「その資質が無い場合には?」

「先ほどまでと同じように喋れないでしょう? 貴方の自我、自意識は不安定です。複数の人格が情報を遣り取りして貴方自身を形成しています。しかし、それぞれの一人称を持つ貴方たちは、やはり異なる存在なのです」

 アリステアはまるで表情を変えずにそう言った。

「貴方は一つ見落としをしている。合格発表と面談の日程の掲示を見比べてみれば判ったはずです」

 栗色の魔女はそれから、上位古代語の詠唱を始めた。

「弛まぬ時の糸よ……」

 謳うように抑揚をつけられた詠唱にフィルは思わず聴き惚れた。清流のように淀みなく流れ、発音も正確だった。部屋の中の魔力が収束し、現象へと変換されていくのが目に見えそうなほどだった。

 アリステアは指輪を付けた右手をそっと空中に差し伸べた。部屋の端、壁際の空間が変質していく。最初は川に移した像のように乱れていたが、すぐに明瞭な光景を映し出した。

「あ……」

 フィルは思わず声を上げた。映し出されているのはフィル自身だった。この魔術学院の門から中に入ろうとしている。緊張しているのが見て取れるようなぎこちない歩き方だった。魔法はそれを追いかけていく。それを見て、映し出されているのは、合格発表の朝の光景だとフィルは気がついた。

 フィルの知識には無い魔法だった。今までに読んだどの魔術書にも載っていなかった。このように過去の情景を映し出せるなんて、想像すらしていなかった。

 塔の一階、正門をくぐったところで映像の中のフィルは足を止めた。木製の板に紙が貼り出されている。合格者は自分を含めてわずか十一名。そのすぐ隣に面談の日程表が書かれていた。名前が二列に並べられており、フィルの名は最後、五行目の右側に記載されていた。

「十人しかいない?」

「ええ、その通りです」

 アリステアは頷いた。表情はまったく変わらない。しかし映し出されていた像は音もなく歪み、すぐにもとの研究室に戻った。

「一人だけ、どの研究室の面談も受けない合格者がいます。そして、彼女はここを希望している」

「私が不適格だと判断された場合、その方が配属になるのですね?」

「判りきったことを言葉に出して確認しましたね。それと一人称が『私』に戻りました。けれど、まあ、良いでしょう」

 アリステアが言葉を切る。少し待ったが何も言わなかったので、フィルは口を開いた。

「なぜ、そのもう一人の彼女の面談をしないのですか?」

「必要がないからです」

「それは、既に彼女のことを知っているという意味ですか?」

「貴方は、この面談の行方に何らかの力が働いているのではないかと疑っていますね」

 アリステアは目を細めた。

「想像通り、もう一人の候補者は銀狼の民の娘、レティシア・ブリューゲルです。私は彼女のことを二度、見たことがあります。直接話したことはありません。しかし彼女の能力・資質・特性については既に認識しています」

「この研究室を希望したのは、私と彼女だけですか?」

「いいえ。合格した十一人全員が、私に師事することを希望しました」

 アリステアは事も無げに言った。実際、彼女にとっては些事なのだろう。

「この研究室に必要な資質とは何ですか?」

「当然、研究に寄与できるかどうかです。どのような形なのかは、その人に依るでしょう」

「なぜ、私だけが面談を許されたのですか?」

「合格者はもちろん、今回試験を受けたすべての学生の答案に目を通しました。その中で興味深い答案が二つありました。片方が貴方。もう一人がレティシアです」

 ぎぃ、とどこかで木が軋む音がした。ベナルファは、一瞬フィルの背後に視線を走らせた。振り向きたくなる衝動を我慢し、フィルはアリステアとベナルファを交互に見遣る。

「設問が六つありました。全受験者中、そのすべてに正解したのはレティシアだけです。知識も論理構築も非の打ち所の無い回答でした。几帳面な性格が表れていると言っても良いでしょう。情報を収集すること。それを論理づけて確実に管理・運用すること。彼女の持つ資質の一つです」

 アリステアは平板な声でそう語った。隣のベナルファが少し渋い顔をしているのが見えた。

「貴方が正解したのは五問だけ。しかし間違いは一つもありませんでした。最後の時間魔術に関する問題に対する貴方の回答は、なかなか斬新なものでした。仮説として考慮するだけの価値はありますが、絶対的にサンプルが足りない事例です」

 フィルは自分の答案を思い返した。設問を見た瞬間、これは解けないと判断した問題だった。明らかに知識が抜け落ちていてまともな回答は望めそうもない。悪あがきとして、矛盾のない回答を『創造』した。

「もう一つ大きな特徴があります。誰しもが思考の癖を持っています。文章の書き方、論理の運び方……。一番大きな違いは視点の問題です。どの方向からどこに着目して問題を捉えるのか、特徴がかなり顕著に出ます。貴方の回答は、問題によってその癖が大きく異なっていた」

 アリステアはそう言って小さく微笑んだ。とても綺麗なのに少しも可愛らしくなかった。

「貴方が持っている最大の資質は視点の多彩さ。貴方は幼い時分に母親を亡くしていますね?」

「……はい」

「そのときの状況を話して下さい」

 笑顔を絶やさないまま、アリステアは冷たくすらない声でそう言った。

「母が亡くなったのは、私が四歳のときでした。流行病で高熱を出して。そのまま……」

「亡くなったのは、自宅でしたか?」

「いいえ。流行病だったので。病人は全員が村の講堂に集められて、完全に隔離されていました。子供は建物に近づくことさえ許されなかった」

「母親の死に顔を覚えていますか?」

「いいえ。僕は見ていません。亡くなった後すぐに荼毘に付されたので」

 フィルは嘘を吐いた。アリステアは無感動に頷いた。

「そうですか。父親は猟師ですね」

「はい」

「もっとも仲の良い友人について話をして下さい」

「……はい」

 フィルは答えようとした。しかしアリステアは言葉を続けた。

「女性ですね。同じ黒鴉の民の同年代の幼なじみ」

「……その通りです」

「どのような性格の方ですか?」

「ええと」フィルはウィニフレッドのことを思い浮かべた。「明るく快活です。老若男女を問わず、人望があって誰とでもすぐに打ち解けられます。あまり考えが深い方ではないですけど、思いやりがあってとても良い子です」

「彼女と話すときの一人称は?」

「……俺、です」

「彼女のことをなんと呼びますか?」

「愛称です。ウィニフ、と」

「貴方はなんと呼ばれていますか?」

「フィル、です。村ではみんな僕のことをそう呼んでいました」

 アリステアの質問が途切れたのを見計らって、フィルは小さく息を吐いた。まるで脈絡のない質問の数々に、振り回されっぱなしだった。

「彼女は、貴方の家の近くに住んでいましたね?」

「はい。隣家です。兄妹同然に育ちました」

「彼女に対して恋愛感情を抱いたことは?」

「恋愛感情?」

 フィルは鸚鵡返しに問い返した。しかしアリステアは何も答えなかった。

「……ありません」

 フィルは返事がかなり遅れたことを自覚した。

「なるほど」アリステアはそれでも表情を変えなかった。「彼女の母親は、貴方にとっても母親に等しい存在だった?」

「……ええ」

 フィルは簡潔に答える。アリステアはそこで間を置いた。その隣で、ベナルファが小さく息を吐いたのが解った。

「では、フィラルド」アリステアは表情を消した。「なぜ貴方はこの研究室を希望したのですか?」

「時間魔術に興味があったためです。未だに判っていない要素が多い分野ですが、その分新たな発見の余地が大きい。私は研究の最前線に身を置きたいのです」

 フィルは淀みなく答えた。アリステアはまた微笑んで、問いを重ねた。

「その答えをいつから用意していましたか?」

 ベナルファが隣で苦笑している。それに釣られてフィルもつい表情を崩してしまった。しかしアリステアは表情を少しも変えなかったので、慌てて顔を引き締めた。

「筆記試験を受ける前からです。学院に応募する時点で希望する研究室を書く必要があったので、そのときから考え始めました」

「誰かと相談しましたね」

「はい。習っていた私塾の講師に。後、フォクツ……同郷の学院生にも」

 フィルは床を見つめた。石造りの表面は、綺麗に掃き清められていて埃一つ無い。石材の模様が、薄く透けるように見える。

 自分が切り替わった瞬間を自覚した。

「実を言うと、今のは、理由としては二の次です。本当は、アリステア・ウィンステッド導師。貴女に興味があります」

「でしょうね」

 フィルは目を上げた。先ほどまでと、別人がそこにいた。一瞬、そんな風に感じられた。

「貴方は私に師事して何を得たいのかしら? 純粋な知的体験と研究成果? それとも、私の研究室に所属しているという、優越感と社会的なステータス?」

 そう言って、唇をつり上げてアリステアは笑った。先ほどまでの上品で人工的な笑みとはまるで違った。

 怖い。フィルがまず感じたのは恐怖感だった。それなのに、どうしてもアリステアの顔から目が離せない。気圧されながらも、なんとか口を開く。

「貴女と日常的に会話が出来るだけでも、貴重な体験になるのではないかと……」

 フィルの言葉を遮るようにアリステアは言った。

「経験や知識自体には何の意味もあり得ません。情報を自分の裡に取りこみ処理しアウトプットを経て、初めて価値という幻想が生まれる。貴方はその体験を何に生かすつもりなのかしら?」

「……」

 咄嗟には何も答えられなかった。

「まあ良いでしょう。貴方にとって一番大切な時間はいつかしら? 一日の中、あるいは一週間や一年間で最も楽しみにしていることは何ですか?」

「……判りません。楽しいことはたくさんあります。けれど、どれが一番なのかは……」

「そう、決めるのは難しい」アリステアは舌なめずりをした。「一番でなくても良い。貴方のその楽しい時間だけを集めて一日を作れるとしたら。楽しいことだけをして一生を生きていけたなら。貴方は幸福かしら?」

「……幸福、だと思います」

「例えば、エナジィ・ボルトという攻撃魔法があります。これによって非力な魔術師が、妖魔や膂力溢れる人間に対抗できるようになった。ティンダという発火させる魔法。火打ち石がなくても簡単に、しかも瞬時に火を起こせるようになった。どうしてこんな、低次元の魔法が生まれたの? 他で十分代用できることを、どうしてわざわざ魔法で実現したのかしら。貴方はどう思う?」

 アリステアの瞳が悪戯っぽく輝く。フィルは一度小さく息を吸った。答えは判りきっていた。敢えてフィルに言わせようとしているのは明白だった。

「魔術師が、不幸だったから」

「ええ。魔術師が不便だったからです。虐げられて不満だった。つまり、不幸だった。不幸こそが需要を生み魔術の発展を促してきた。特に多種多様の攻撃魔法が存在する、という点は言及に値します。鍛冶などの技術が戦争とともに進歩してきているという事実にも通じる」

 アリステアは、ゆっくりと目を閉じた。

「幸福というのは、すべての欲望が昇華された負の状態です。そこには前進も発展も存在しない。不幸こそが需要となり物事を動かす原動力になる。一面的に、それは正しい」

 ベナルファが一度小さく身じろぎしたのが、視界の隅に入った。

「もう一度訊きます。貴方はどうして私に師事することを希望するのですか?」

 目を閉じたまま、アリステアは言った。

 フィルは小声で問いかけた。

「貴方は何者ですか?」

「私はアリステア・ウィンステッド。魔術師です」

 ベナルファが小さく頷いた。

「純粋なる欲求のためです」

「どのような?」

「新たなる発見、構築。そして達成。純然たる、喜びのために」

「よろしい」

 アリステアが静かに立ち上がった。

「今日の面談は終了です。結果は追って通達します」

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