*導く者

 バシラオの属性は邪悪イヴィルだ。他者とは決して相容れることはなく、目の前の生き物をその爪と牙で容赦なくむさぼり食らう。

 男はそんなものがどうしてここにいるんだと、未だ納得いかずに顔をしかめていた。

 シレアはそれを一瞥し、巨体を見上げて口の中で何かを唱え始める。それを聞いた男も続いた。

「わしの名はユラウス・マノアルス。この森の守人もりびとじゃ」

 名乗ったユラウスをちらりと見やり、同時に最後の詠唱を終えてバシラオに魔法を放つ。直後に、三頭の獣は周囲にほとばしる幾重もの稲妻に体を貫かれ醜い叫びを上げた。

 チェインライトニングが獣たちの動きを鈍らせる。シレアはすかさず駆け寄って剣の柄を強く握りしめて一頭をめがけて刃を走らせた。

 表皮は硬く、そう易々やすやすと切り裂けはしなかったが、その刃を魔法により熱くしていたことで獣はひるみ、焦げた体毛から異臭が漂う。

 ユラウスはシレアを攻撃しようとする獣にファイアボールを幾つも撃ち、火を怖がる動物である証明のごとくバシラオたちも類に漏れず、さすがに耐えきれなくなったのか悔しげに唸って去っていった。

 静まりかえった森に再び鳥たちのさえずりが響き渡る。シレアとユラウスは獣の気配が消えたことを確認し、互いに見合って安堵の溜息を漏らした。

「説明はあるんだろうな」

 落ち着いた所で話を戻されたユラウスは未だ躊躇っているのか、シレアから視線を外して口を開こうとはしない。

 あれだけのことをしたのだから仕方がないとシレアは彼の語りを待つことにした。

「おぬしの姿を見た」

 諦めるつもりのない青年に渋々重い口を開く。

「邪悪な炎に身を焼かれるおぬしの姿が見えたのだ」

 それは、怒りに膨れあがった闇の意思。黒い深淵に投げ込まれたおぬしは、なすすべもなく傷つけられていく。

 その言葉にシレアは怪訝な表情を浮かべた。ユラウスは、青年の表情に当然の反応だと先を続ける。

「強大な力の前に、おぬしと仲間たちは水面に浮かぶ木の葉のごときはかなさで、ことごとく打ち倒されるのだ」

「仲間?」

「仲間かどうかは定かではなかったが。久しく見なかった道の先が鮮明に描かれた」

 その口振りから、夢でも絵空事でもなさそうだ。にわかには信じがたいが、まったくの嘘とも思えない。

 しかし──

「すでに滅びたと思っていた」

「うん?」

 シレアのつぶやきに、いぶかしげな目を向ける。

「古の種族は生まれながらに強い先詠みの力を持っていると聞いた」

 占いとは異なる能力ちから、未来予知──それは、鮮明で曖昧な境界線の上に敷かれている。抽象的に展開される映像は時に、見た者を悩ませた。

 予知の力は争いにも用いられ、その力を利用しようと彼らを捕らえる者も少なくはなかった。

 いつしか古の種族は姿を隠し、世界から消えていった。彼らはエルフと同じかそれ以上の長寿だ。

「人間と似た種族だと聞いてはいたが、確かに見分けがつかない」

「何故わしがそうだと?」

「詠唱の言葉が少し違っていた」

 古い言葉が入り交じっていた。そう答えた青年に、あの状況でよくも聞いていたと感心する。

「二千三百歳ほどになる。細かい歳は忘れた」

 己がどれくらい生きているかなど今更どうでもいい。この森にたどり着き、この森で最期を迎える覚悟でいた。

「わしが住み着いた事で、聖なる森は魔物の森と名付けられてしもうた」

「身を隠していたせいだろう」

「もう誰の目にも触れたくなかった」

 それなのに、長らく見ることのなかった未来がユラウスを苦しめた。いくらそしらぬ振りをしても、脳裏に浮かび上がる映像を自分の意思で止めることは出来ない。

 ユラウスは仕方なく影を飛ばして忠告した。

「理解したのなら引き返すがよい。お前にあるのは血の最期だけじゃ」

 見つめるユラウスの瞳は複雑な色を表していた。しかし、シレアは小さく笑うとカルクカンの手綱を手に、ゆっくりと歩き始める。

「どこに行く。そっちは北じゃ」

「忠告は聞いた」

「馬鹿な! わしを古の種族だと知って尚、その予言を無視するというのか!?」

「無視などしない。聞き入れて進む」

 ユラウスは青年の言葉に唖然とした。進むなと忠告をしたにも拘わらず、忠告は聞いたから進むだと!?

「なんたる無謀な!」

 青年はぴたりと立ち止まり、声を荒げたユラウスに向き直る。

「私には失って惜しいものなど無い。進めぬのならば何の意味がある」

 感情を殺して生きることの辛さに比べれば、この先に待ち受ける苦難にさえも立ち向かえる。まだ見ぬものならば変えられるかもしれない。

「──なんと」

 その命を賭しても進むべきものがあるというのか。ユラウスは強く目を閉じ、記憶にある風景に眉を寄せる。

 初めに誕生した最も古い人形ひとがたの種族は、生まれでる新しい種族たちに翻弄され、嘆き、苦しんだ。

 もう、何にも巻き込まれたくはない。何にも利用されたくはない。ずっとそう思ってきた。

 しかれど、全てを見放した己に現れたヴィジョンは簡単に捨て去っていいものなのか。この人間に何があるのか、黒い影はこの人間をどうしたいのか。

「こんな若造に諭されるとはな」

 何も言わず見つめるシレアに腹をくくったのか目尻を吊り上げる。

「おぬしと共に邪悪な炎に焼かれる仲間の中に、わしの姿もあった」

 さすがにシレアもそれには驚きを隠せない。

「わしはそれが恐ろしくて忠告した。情けないではないか、誇り高き古の種族ともあろう者が」

「逃げることが悪い訳じゃない」

「どのみち、おぬしと旅をせずとも命を狙われる」

 それに眉を寄せた。

「おぬしの助けとなる仲間を見つける事こそが、わしの役目なのだから」

 わしは、おぬしを大いなる運命に導く者だ。

「つまり、私は何かに巻き込まれるということか」

「燃えさかる炎の中心におぬしがいる。運命の仲間とおぬしが出会う事で、その者には何らかの不都合があるのやもしれぬ」

「その仲間とやらは解らないのか」

「まだはっきりとは見えぬ。おそらく旅をする事で鮮明になってゆくだろう」

 小さく首を振り、長らく住んでいた森を見回した。

「聖なる地にバシラオが踏み込んだ事で、異変がさらに増大していると知った。しばし待て、わしも旅の準備をする」

 そう言って家の中に入っていくユラウスの背中を見つめる。

 自分が何者なのかを探る旅が思わぬ方向に進んでいる。逆らえないほどの大きな流れに囚われたらしい。

 シレアは苦い表情を浮かべ、木々の間から覗く空を見上げた。

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