国家を動かす人工知能の日本への導入条件

裏瀬・赦

国家運営と導入

Ⅰ. はじめにー基本的思考ー

 近年、人工知能の発達は著しい。過程は数学的プロセスであっても、人がその思考を理解できないと感じるような性能のものも存在する。今後、人工知能が発達していけばその判断理由を人が理解できない人工知能が標準となるだろう。しかし、現在の人工知能の主流であるディープラーニングは人の神経回路とは別の論理で組み上げられている。数的処理によるものである。

 現在のものに限って言えば、人が人工知能の思考プロセスを理解できないのではなく、思考プロセスの量が多すぎるため人が判断しても時間がかかりすぎる、というのが正確であろう。現在のものに限って言えば解析は不可能ではない。

 だが、人工知能を導入するとして、それがいつになるかは不明であり、人工知能の発展度合も不明である。その思考プロセスを人が理解できないことも考慮しなくてはならない。だが、人にプロセスが分からないならば、人にも解析が可能な人工知能を翻訳機として使えばいい。それに、人の脳機能でさえ完全に解析されていないのである。脳型人工知能を使用するならば、脳生理学の研究によってプロセスも分かるのではないか。


 国家を動かす人工知能となれば、基本的には人の為政者と同じ要件が求められる。しかし人工知能は自己の意思を持ってはいけない。人工知能は人に使役される道具であるべきである。それが理念として周知されていない場合に起こる懸念は、人が人工知能の下位存在となる不安であろう。

 人が人工知能に支配されるという事態は起こりえるのか。人工知能は思考する。その思考は数的処理の産物である。その処理を可視化することは可能であり、詳細に数値化すれば思考プロセスを解明できるだろう。現在のものに限って言えば、人が人工知能の思考プロセスを理解できないのではなく、思考プロセスの量が多すぎるため人が判断しても時間がかかりすぎる、というのが正確であろう。現在のものに限って言えば解析は不可能ではない。しかし高度に発達したものであれば解析は難しくなってくる。並行して人の技術も発達するだろうが人工知能の発達の方が先だろう。


 人は己が人工知能によって支配されると判断するのか。国民は国家によって支配されていると感じているのか。現代日本国家とは民主主義の産物である。民主主義が正しいかどうかの問題はおいておく。日本は間接的民主主義国家であり国家を動かすのは国民が選出したリーダーである。国民は彼らによって自らが支配されていると感じているだろうか。彼らは国民の代弁者である。国民は彼らに共感する部分があったからこそ彼らを選出したのであり、彼らは国民の意思を代表して選ばれたほかの議員の議論の下で日本を動かしている。

 対して人工知能はどうだろう。人工知能は国民から直接情報を受信しそれを材料として判断を行う。ただし人工知能の数には触れていない。たとえば人工知能を複数用意して民主主義的に決定をさせれば議会民主主義と同じだ。ただし、最終的な結論を下すのは人である。それは「人工知能の支配」ではない。問題は、結論を下す者が人工知能を過信することである。

 人工知能の一挙手一投足を人が管理することは不可能である。その時々によって変化する状態を常に監視するとしても人には追いつけない。問題は人工知能の判断が間違っていないかではない。人も間違いは犯す。必要なことは、不測の事態への対処である。

 人工知能が過ちを犯したとする。例えば渋滞解消のプログラムが交通マヒを起こした場合を想定する。その問題は数的処理をもたらすプログラムであるのか。たしかに原因の一端ではある。しかしそれだけではない。問題に対処するにはデータが必要である。過去のデータから判断し現在の状況をより効率的なものにすることが人工知能の役割だとするならば(情報収集があるので教師あり学習だと判断できる)、未知の状況に対しては訓練データが不足である。だからといって見過ごしていいということにはならず、少しでも異常な状況が確認できるならば人の手が介入するべきである。


 国家を動かす人工知能とはいえ、渋滞の解消や駅の混雑防止などインフラに関わるものや、国政に関わる判断をするものまで、それが担う任務はいくらでも細分化できる。タスクの専門化によって負担を減らすことで思考の煩雑化を防ぐならば細分化は進めたほうがいい。省庁レベルだけではなく、地方自治体のように管理基盤ごとに管理することでその地域にそぐう形で人工知能は構築されるだろう。

 さらに、細分化することによって擬似的な民主主義が形成される。複数の下位人工知能が意見を提出し上位人工知能がそれらを止揚させ、一つの意見にまとめ上げることで各地の総体としての日本が形成される。母数が多すぎる場合は次元削減を行ってもよい。

 ただしこれらが独立していても意味はない。横の接続を持ち相互に情報を授受している環境こそが望ましい。それは人も同じで、省庁以下各部署が連携を取り人工知能を作り上げるのが理想である。


 結局のところ、問題の焦点は「人が人工知能を信頼できるか」ということだ。言い換えるなら「人は意思決定をヒト以外の存在に依託できるか」ということである。

 とはいえ実際に人工知能による判断の下で社会が動くこととなっても状況は大きく変わらないだろう。人工知能が人々に直接かかわるならばともかく人を介して間接的に影響を及ぼしていく、といった方針で動くのが最初期段階と思われる。そうすることで抵抗感をなくしつつ便利なものとして普及できるかもしれない。

 人工知能を利用した社会において、これまでの情報メディアと違うことは、人が受動となることだ。これまでは自分から情報を得てきたのが、無意識的に情報を発信する側になり、さらにその変化を受け取る側になる。しかし情報をどのように利用するかは人の思考である。それによって人工知能は思考を変えるし、人に発信する情報も変わってくる。最終的には、人々が人工知能を能動的に使用していくことが理想である。

 つまり、最終的に、人が人工知能をどのように利用するのか、ということに集約される。


 ここでは、それがいつになるか分からないが、現代の延長として未来に国家を動かす人工知能が導入されたという前提で話を進める。ただし自分が適切な判断力を持って生存していることが条件である。

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