第20話

 翠、茉白と過ごすというとっても濃い休日を過ごし、週が明けて月曜日になった。

 なんだか休みがあった気がしない……。

 中々の疲労が溜まった気がするが、得られたものも多くて有意義な時間だった。


 しっかりと朝食を取って英気を養いたかったが食欲がなく、ヨーグルトを少しだけ食べて出発することにした。


「いってきます」


 きっとこの玄関の扉の向こうには、今日も精神負荷をかけてくるあいつがいるのだろう。

 そう思いながらドアノブを回したのだが――。


「え?」


 扉を開けても、誰もいなかった。

 左右を見てもいないし、遅れているのだろうかとあいつの通学路へと目を向けたが、それらしき姿は見つけることができなかった。


 ……あいつが迎えに来ない。

 前世の記憶が戻ってから初めてのことだ。


「……よかったわ」


 とうとう諦めてくれたようだ。

 やけに玄関からの景色が広く、寂しく見えた。

 ……って、『寂しく』なんておかしい。

 『清々しい』の間違いだ。


 うるさく話しかけてくることもないし、手を繋いでくることを警戒しなくて済むしいいことばかりだ。

 それなのに……妙に足取りが重い。


 静かで落ち着く……なんて思っているのに、胸はざわついていてまったく静かではない。

 むしろ、あいつがいる時より落ち着かない――。

 私はどうしてしまったのだろう。


「そうだ、疲れていたんだった」


 単純に体が疲れているだけだろう。

 そういうことにして、あいつのことを頭から追い出し、進み始めた。







 誰と話すこともなく淡々と登校して到着した。

 一人で歩くと早足になっていたのか、いつもより十分程早い時間に着いた。

 十分違うだけなのに、いつもは生徒で賑やかな校舎はまだ眠っているように静かだった。


「あ」


 前を見て歩いていると、目がスッとクリーム色の髪に吸い寄せられた。

 神楽坂葵だ。

 あいつは外から見える渡り廊下を、赤里先生と二人で歩いていた。

 そして、二人仲良く校舎の中へと消えていった。


「……そういうことか」


 赤里先生と過ごすために私のところには来なかった、ということか……。

 今日は赤里先生の好感度がアップする『月曜日』だものね。

 今から告白イベントでもあるのだろうか。


 ……少し見直していたのにな。

 やはり人格なんて、すぐに変化するものではないということか。

 いや、もしかすると赤里だけを愛すると決めたのかもしれない。

 改心したのならそれでいいが……。


「散々掻き回された私は何なの?」


 とても不愉快だ……。

 私のことを知りたい、なんて言っていたのはどの口だ!

 もう関わらないでくれるならいいですけどね!


「知らない……私には関係ないし」


 無性に腹が立ってきた。

 苛々するし、胸は槍で突かれてしまったのかと思うほど苦しくて痛いし。

 これ以上乱されたくない。

 あいつの顔を見なくて生きていけるよう、どこか遠くに引っ越したい。


「早く教室に行こう」


 気づけば不自然に立ち止まってしまっていた。

 人が少ない時間でよかった。







「授業を始めます」


 ……あまり見たくない顔なんだけどな。


 教育実習生の赤里先生が教壇に立った。

 彼女はやけに私に険しい視線を向けてきた。

 睨んでいるというより、何か思い詰めている様子だった。


 だが授業を進めるうちに、陰は薄れ……。

 次第に生き生きとした様子で教鞭を振るい始めた。

 それは良かったのだが――。


「鳥井田さん、ここを読んで」

「はい」

「鳥井田さん、黒板に解答を書きに来て」

「……はい」

「鳥井田さん、この問題は少し難しいけれど分かるかしら?」

「……分かりません」


 何故か私は、集中攻撃を受けた。

 ことあるごとに当てられるのですが! 何の嫌がらせ!?


「鳥井田さん」

「はっ、はい……?」


 授業を終え、机の上を片していると赤里先生に声をかけられた。

 集中攻撃のあと話し掛けられるなんて怖すぎる……!

 私は思わず身構えた。


「貴方ばかり当ててごめんなさいね。私の……ささやかな嫌がらせなの。これで納得したから……」

「はい……? あっ」


 赤里先生が教科書と一緒に持っている赤い手帳に目が止まった。

 表紙にかけられた透明なカバーの下には一枚の写真が――。

 それは、彼女と恩師の思い出の写真だった。


「私の恩師で、憧れの存在なの」


 赤里先生は私の視線に気づいたようだ。


「毎日目にして、初心を思い出せるように手帳に挟んだの」


 写真に落とした眼差しは澄んでいた。


「彼も前に進み出したようだし……。私も大事なことを忘れて立ち止まっていたら駄目ね」


 俯きながら零した言葉は聞き取れなかったけれど、穏やかな表情をしている。

 付き物が落ちたようなすっきりとした笑顔だった。


「今日答えられなかったところは、ちゃんと復習してくるように!」

「は、はい……!」


 『先生』の顔をした赤里先生は、足取り軽く去って行った。

 私はその背中を見送った――。


 ……今のは何だったのだろう。

 納得って何を……?

 ゲスと朝に何かあったのだろうか……。


「きいちゃん」

「あ、英君」

「どうしたの? 何かあった?」


 赤里先生の変化について考えていると、英君が心配そうに話しかけてきた。

 難しい顔で静止してしまっていたので気に掛けてくれたようだ。


「ううん、なんでもないの。あ、そうだ。これ……クッキー作ったの」

「え……オレにくれるの!? わあ……ありがとう!」


 日曜日に茉白と分かれたあと、家に帰ってから焼いたクッキーだ。

 英君にはちゃんとお礼ができていなかったし、チケットも使ってしまったので、これくらいはしないとね!

 あいつから逃げるために生贄になって貰ったし、英君には何かと癒やされている。

 それに『お菓子を配る』と約束していたし――。


「いっぱいあるから、みんなで分けて食べてね」

「え? ……あ、オレだけじゃないのか……」

「?」

「あ、うん、なんでもない。ありがとう! あとで配るよ、一番に食べるのはオレだけどね!」


 うんうん、好きなだけお召し上がりください。

 一つ一つは小さくなってしまったけど、結構な数があるからすぐに無なくなる心配ないだろう。


「あ、あの! きいちゃん、これなんだけど……」

「うん?」


 急にそわそわし始めた英君がポケットから紙を取り出した。

 差し出されたので受け取ると、それは映画のチケットだった。

 

「いっ、一緒に行きませんか! 貰い物なんだけど……こういうの、苦手じゃなかったら」


 奴と見たゾンビアクション映画の最新作だった。

 苦手どころか大好きです!

 見たいと思っていた映画だし、英君には借りが沢山あるから、断るのは心苦しい。


「うん、いいよ。見たかったし……」

「そうなの!? やった~~!」


 笑顔で返事をすると、私よりも何倍も明るい笑顔を返してくれた。

 可愛い、やはり英君には母性をくすぐられる。


 英君の後ろで、実習のクッキーを貰えない子ども達だった男子陣が妙にざわざわしているが……。

 さすがにお母さん、みんなを映画に連れて行くことはできませんからね!







 その日の放課後——。

 早速二人で映画館に向かった。

 あいつが連れて行ってくれたネットカフェがあるアーケードの中に、映画館もあるのだ。

 そこに歩いて三十分ほどで到着した。


 そういえば、一緒に教室を出ていると、男子の冷たい視線が英君に集中していたのだがどうしたのだろう。仲間割れ?

 私が渡したクッキーをちゃんと配らなかったのだろうか。

 喧嘩にならないか、お母さんは心配です。


「きいちゃん! 何飲む? オレ、買ってくるよ!」


 英君自身は、男子達のことなどまったく気にしていないようで、頗る元気だ。

 パタパタと尻尾を振っているワンコのように見える。

 柴犬っぽいな……。


「ありがとう。えっと、ホットのミルクティーがいいな」

「分かった! ……ん? ミルクティーってあったっけ?」

「あー……えっと、一緒に行くね」


 メニューには『紅茶』としか載っていない。

 でも、ミルクと砂糖は自由に取ることができるので、それも取ってきて欲しかったのだが……。

 説明するより自分で行った方が早そうだ。

 ゲスだったら『ホットのミルクティーだよね』と確認してくれるだけで済むのだが……って駄目だ。

 あいつと英君を比べるなんて、感じがわるいぞ、私。

 買ってきてくれると言っている人に感謝できないなんて最低だ。


「英君は何飲むの?」

「オレはコーラかなあ。ポップコーンも食べたいな。あっ、横で食べてもいい? 音は出ないと思うけど……」

「いいよ。私も食べようかな」

「じゃあ、オレ大きめのを買うから一緒に食べようよ! 何味にする?」

「えっとねー」


 売店には少しだが列ができていたので、二人で並びながらメニューを見て話す。

 好きなのはキャラメル味なんだけど、今は普通の塩味がいいかなあ。


「はあ! 制服デートとか羨ましいな!」

「俺が高校生の頃は、デートどころかまともに女の子と話せなかったわ。あー、しかもあの坊主の彼女、すげー可愛いじゃん。爆発しろ」


 後ろに並んでいる大学生っぽい男子二人組の会話が聞こえてくる。

 どうやら、私と英君のことを言っているようだが……デート!?

 もちろん『彼女が可愛い』という台詞も聞き逃さず密かに喜んでいるが、それよりも『デート』という言葉が衝撃的だ。

 そっか……周りから見たらデートに見えるのか。

 英君が『彼氏』かあ。


 ……いいかも?

 旦那様にしたいタイプだなと思っていたし、英君と一緒だと穏やかで幸せな生活を送れそうだ。


「ん? きいちゃん?」

「な、なんでもないよ。私は塩かキャラメルがいいな」

「じゃあ塩でいい?」

「うん!」


 英君の顔を見ていると、目が合ったので慌てた。

 妙に意識してしまうと疲れてしまいそうだ。

 勝手に彼氏だと想像してしまうのも失礼だよね。


「じゃあ、行こうか」

「うん」


 注文はパパッと英君がしてくれた。

 紅茶とポップコーンのお代を渡したのだが、受け取ってくれなかったので、英君のズボンのポケットに突っ込んだ。

 急に触ったので、英君は飛び跳ねる勢いで驚いていた。

 お触りしちゃった、セクハラごめん。


「きいちゃん、本当にこういうゾンビが出てくる映画は大丈夫?」

「うん。全然平気! 大好き!」


 チケットに書かれていた座席に座り、雑談しながら上映時間を待つことにした。

 平日だからか、客入りはまばらで私達の周りは空席だった


「そっか……じゃあ怖くて飛びついてくれるとかはないのか」

「ん?」

「な、なんでもない!」


 何やら呟いていたのだがどうしたのだろう。

 もしかして、英君は怖いのだろうか。

 男の人の方が怖がりだと聞くし、あいつも前作を見てとてもビビっていた。


 ……って今はあいつのことは考えないでおこう。

 今隣にいるのは英君なのだ、あいつじゃない……あ。


(……そうだ、あいつじゃないんだ……)


 改めてそれに気づき、よく分からない衝撃を受けた。

 私の隣にいるのは英君で、あいつの隣にいるのは私じゃない誰かだ。


「……」


 どうしよう、なんだか落ち着かない……ちょっと泣きそうかも……。


 英君が好きな映画について話しているのが聞こえるし、それに言葉を返してはいるが……。

 意識は全く別のところに行ってしまった。


「あっ、始まるね」


 証明が落ち、他の映画の宣伝が始まった。

 口を閉じて、静かにしなければいけないこの状況は、頭の中が真っ白になってしまった私には天の助けのようだった。


 宣伝は終わり、本編が始まったが……あまり頭に入ってこない。

 大好きなシリーズなのに、全然ワクワクしない。


 どうしよう、大好きなゾンビなのに楽しくないなんて泣きそうだ。

 なんでなの?

 私の頭はおかしくなってしまったようだ。

 楽しまなければいけないと思えば思うほど楽しくない。

 帰りたいな……。

 ちゃんと見なきゃ……。

 つまらなさそうにしていたら、誘ってくれた英君に失礼だ。


 でも……結局最後まで映画を楽しむことができなかった。

 分からない……どうしてなの?

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