第16話

 憂鬱なような、そわそわするような――。

 落ち着かない状態のまま迎えた放課後。


 結局、茉白と話ができないまま今に至っている。

 思い切って三人で話してみれば、茉白が覚醒するきっかけが生まれるかもしれないと思ったのだが……。

 成功確率は低そうだ。


 とりあえず、先輩には裏門で待っていて欲しいと伝えてある。

 教室に迎えに来られてしまうと目立つからだ。

 伝えたときには何か言いたげな顔をしていたが、裏門じゃなければ行かないと言い張って通した。


「黄衣」


 地面や校舎の壁、石のグレーが視界の殆んどを占める地味な場所でも、迷惑なクズは輝いていた。……無駄に。


 人の目が少ない裏門といえ、全くないわけではない。

 少ないなりに、最大限目立っている。

 これじゃ裏門で待ち合わせた意味がない。

 私は思わず天を仰いだ……。


 まあ、仕方がない。

 私は最大限を配慮した……と、思いたい!


「先輩、お待たせしました」

「黄衣! さっき来たばかりだよ。黄衣を待つ時間もワクワクして楽し……」

「さっさと行きましょうか」

「……あ、うん」


 癇に障るセリフはシャットアウトだ。

 最後まで言わせないぞ。


「それで、どこに行くんですか?」

「えーと……黄衣は行きたいところはある?」

「え?」


 聞き返されるとは思っていなかった。

 昼間に雑誌を見ていたが、行きたい場所は調べていなかったのだろうか。


「先輩はないんですか?」

「お、俺は……」


 焦った表情から察するに、どうやら行く当てはないようだ。

 何のために雑誌を見ていたのだと呆れたが……だったら、希望するところがある。


「先輩の好きなところに連れて行ってください」

「え……?」


 神楽坂葵は、恐らく攻略対象の女の子に合わせて自分を偽っていた。

 私は『頼りになる大人びた年上の男性』がタイプだった。

 だから私には、そういう風に見せていた。

 私もそういう人だと思っていた。


 昼間、雑誌を見ていた奴を見て思ったこと――。

 私も神楽坂葵を見ていなかったのではないか。

 だから……少しだけ、本当の神楽坂葵を知りたいと思ったのだ。


「先輩が『本当に楽しい』と、『嘘偽りなく好きだ』と言えるところに連れて行ってください」

「でも……それだと、黄衣はきっと楽しくないよ?」

「構いません」


 私が楽しくない場所なんて予想が付かないけど、どんなところなのだろう。

 戸惑っている様子だったが、再度『楽しくないよ?』と念を押す声に頷くと、重そうな足取りで進み始めた。早く行け!

 繋ごうとしてくる手を叩き、後ろを歩いて続いた。







「ここは……ネットカフェ?」

「一応、知っている中で一番お洒落なところなんだけど……ごめんね」


 辿り着いたのは、駅前のアーケード内にあるネットカフェだった。

 確かに、ネットカフェと言われてイメージするものよりお洒落な内装だ。

 シンプルだし、落ち着いたトーンの配色で英国風だ。

 こういうところがあったんだなあ、ちょっとワクワクする。


「ネットカフェって一度、来て見たかったんです」

「そ、そうなのか?」


 来てみたいと思っていたが、恐らく友達は行きたがらない。

 一人で行くには勇気がいるが興味は凄くある、そんな場所だった。

 だから連れてきて貰って予想外に嬉しい。

 受付のお姉さんも美人だし、白いシャツに黒のネクタイリボンをつけていて、ネットカフェの受付というよりはお高いレストランでお食事を運んできてくれそうな感じだった。

 先輩を見て嬉しそうに微笑み、私を見てテンションを下げていたような気がするが……。

 もしかして、あなたも毒牙にかかっていたのでしょうか?

 そう少し気になったが、今日はそういうことは聞かないであげよう。


「凄いですね! ドリンク飲み放題なんて! ソフトクリームやフローズンもあるし!」 


 思っていたよりサービスもいい。

 客の数は少ないけれど女性の姿は見かけるし、案外居心地も悪くなさそうだ。

 どうしよう、テンションが上がる!


「よく来るんですか?」

「あー……うん……たまに……いや、結構来るんだ」


 今、一瞬嘘をつこうとしたな?

 何故なんだ、頻度なんてどうでもいいのに。


「ここで何をするんですか?」

「オンラインゲームもするし、漫画やDVDを見たり――。黄衣はどれにする?」

「私のことは気にせず、先輩がやりたいものをどうぞ」


 何をすればいいのか分からないし、今日は私が遊ぶことが目的ではない。


「うーん……DVDを見よう! 何か見たいものある?」

「あ、じゃあ……」


 DVDのチョイスも任せようかと思っていたが、目に入ってしまった。

 気になっていた、ゾンビアクションのホラー映画が!

 気がつけば私の手はDVDを掴み、スッとゲスに差し出していた。


 受け取ってパッケージを見たゲスの顔が一瞬強張っていたが、こういうものは苦手なのだろうか。

 嫌なら変えても良かったのだが、そのまま指定された番号の場所まで進み始めたので後に続いた。

 何も言わないけれど大丈夫なのだろうか。







「うっ……うわっ……!」


 ……大丈夫じゃなかったようだ。

 顔は強ばり、腰が引けている。

 誰ですか、情けない声を出しているこのヘタレは……。


「先輩、こういうのは駄目なんですか?」


 DVDが再生されている画面では今、主人公がバッサバッサとゾンビを倒している。


「こ、怖くはないんだ! 突然バッと出て来るから……吃驚するだろ? それが嫌なんだ……」

「へえ」


 興味のない言い訳に、適当に返事をした。

 私は画面に集中したい。

 だから気が散る鬱陶しい声を出さないでください。


 DVDを見る部屋は個室で狭かった。

 広さは畳一畳分くらいだろうか。

 設備はテレビにソファー、壁にドリンクを置ける小さいテーブルがついているくらいだ。

 照明は消し、光は画面の明かりだけなので仄暗い。

 二人でソファに腰掛け、並んで見ている。


「…………」


 やっぱり狭い――。

 どうしても肩が当たる。

 最初は近いことを意識して嫌だった。

 映画が進むにつれて、気にならなくなってきたけれど……。


「うわっ!」


 主人公がゾンビを全て倒し終えて安心していたところに、突如背後からの奇襲——。

 背中にゾンビがしがみつき、今にも噛みついてしまいそうで絶体絶命!

 ……というシーンで隣の奴は、驚きで肩がビクッと跳ねていた。


「ぷぷっ」

「…………っ」


 思わず笑ってしまうと、暗がりの中で画面の光だけに照らされた綺麗な顔が拗ねているのが見えた。

 更に笑いがこみ上げる……。

 こういう顔、初めて見たな。

 ちょっと可愛いかも……ちょっとだけね。


 視線を前に戻すと、主人公がなんとか引き剥がしたゾンビを銃で撃ちまくった後、頭を蹴り落としていた。

 弾には限りがあるというのに……なんと効率の悪い!


「蹴り落とすなら最初からそうすればいいのに……。撃った分の弾が勿体ないと思いません?」

「…………」


 話し掛けたのに、返事がない。

 再び隣に目を向けると、先輩は目を瞑っていた。

 さては『見ない作戦』をとっているな?


「そんなに怖いなら……見るのやめましょうか?」

「み、見てるよ!」

「見てませんが」

「……見てるよ」


 顔を近づけて確認すると、確かに薄っすら瞼が開いていた。

 それ……殆ど見えてないでしょう。

 そんなに無理をして見なくていいのに……。


 そこでちょっとした悪戯心が湧き、私は暗闇の中でニヤリと笑った。

 ターゲットは私が見ていることにも気づかず、極力見ないようにしながら恐る恐る画面を見ている――。


「わっ!!!!」

「ああぁっ!!!?」


 肩をガシッと掴むと同時に、耳元で大きな声を出した。

 すると奴はこちらが吃驚してしまうほど驚いて、ソファーから落ちた。


「ふ……ふふっ!」


 先輩は笑う私を見ながら、目を見開いた状態で固まっている――。

 ソファーから落ちた姿は、服も表情も崩れていて間抜けに見えた。

 未だ硬直の解けない綺麗な顔を見ていると、我慢出来ず……。


「あははっ! 驚かせてごめんなさい!」


 更に声をだして笑ってしまった。


「……黄衣。死ぬかと思ったよ」

「死んだら先輩もゾンビになっちゃえばいいんですよ、ここに参加出来ますよ」

「……全く、黄衣には敵わないな」


 画面を指差しながら笑うと、項垂れながらソファに戻ってきた。

 一度驚いて緊張が解れたのか、先輩は妙に緩い表情をしている。

 何故そんなに嬉しそうなのだ。

 ……というか、さっきよりも近くない?


「黄衣が手を握っていてくれたら、怖くないんだけどな……」


 急に元気になって、前の先輩のようなことを言い始めたので、私は真顔に戻った。


「じゃあ、一生怯えていてください」


 放っておいて映画見よ。







「面白かった!」

「……はあ、やっと終わった」


 ソファーの背もたれに凭れ、背伸びをして体を解した。

 集中して見ていたようで体の節々が痛い。


 約二時間の映画だったが、あっという間だった。

 こういう場所で見るDVDも中々よいものだ。

 隣で俯き、床を見ながらげっそりとしている奴に感謝だ。


「ありがとうございました。良いところを教えて頂きました」

「ど、どういたしまして……」


 また来たいと思う。

 会員登録をして帰ろう。


「とても楽しかったです」


 リモコンを元の位置に戻しながら感謝を伝えると、先輩と目が合った。

 すると、先輩は急に姿勢を正してこちらに体を向け、やけに真面目な表情で私を見た。

 狭いから足が当たって嫌だが、真面目な話のようだったので我慢をして向き合った。


「黄衣」

「はい?」

「じ、実は俺……本当は、DVDを見るよりも、オンラインゲームがしたかったんだ……」

「え……ええええ!?」


 思わず顔を顰めてしまう。

 こういうことを後から言う奴は嫌いだ!

 だったら始めに言えばいいのに!

 我慢して向き合って損をした! と思いながら立ち上がる。


「黄衣! 最後まで聞いて!」


 私の機嫌が悪くなったのを察知したのか、先輩は慌てて続きを話し始めた。

 ソファに戻るように手を引かれたが、ペシッと叩いて返り討ちにしてやった。

 まあ、話しは聞こう……。


「ゲームをしたかったんだけど……! ゲームより、黄衣とこうやって狭い空間で二人きりでいられるなら、こっちが断然いいなと思って……邪な理由だけど……」

「…………」


 確かに、最初は肩も触れるくらい近くて、私も先輩を少し意識したけれど……。

 そんなことを改めて言われると、恥ずかしくて気まずくなる……。


「黄衣が俺の好きなところに行きたいと言ってくれて……すごく嬉しかった。俺に興味を持ってくれたことが本当に嬉しかったんだ。でも、こんなデートをするなんて、夢にも思ってなかったから、どうしたらいいか全然分からなくて……。格好悪かっただろ? ……幻滅した?」

「まあ……そう、ですね」


 格好良かったか悪かったか、どちらかと聞かれたら「悪かった』だろう。

 小洒落ているといえネットカフェだし、ホラー映画にビビってばかりだったし……。

 でも――。


「『素敵』とは言い難いですが、今まで二人で出かけた中で、一番記憶に残ると思います。とても楽しかったです」


 知らなかった表情を見ることができたし、取り繕って表面だけ完璧なデートより有意義な時間を過ごせたと思う。

 だから本当に楽しかった、素直にそう言える。


「黄衣……」


 気のせいか、奴の目は涙ぐんでいるように見えた。

 心細そうにも、安心したようにも見える笑顔で微笑んでいる。

 ……この表情も初めてみたかも。


「こんなダサいデート、どう考えても失敗なのに……。俺も、今までで一番楽しかった。『デート』って、きっと喜んでくれるって、いつもわくわくした気持ちで迎えていた。でも今日は、黄衣に喜んでもらえるか分からないし……不安だった」


 ポツポツと私に話し掛けているのか、独り言なのか分からない様子で言葉を零している。

 声を掛けるのは野暮に思えて、黙って耳を傾けた。


「でも、この気持ちが大事なんだね。相手の気持ちを考えて……時には失敗して。そうやって、お互いを知っていくんだね……」


 先輩そう呟くと、しばらく口を閉じた。

 思うところがたくさんあるようだ。


 私も黙ってその様子を見守る。


「本当の俺を見ようとしてくれてありがとう。これからは俺も、ちゃんと黄衣を見るから……」


 顔を上げたかと思うと、真っ直ぐな目で私を見た。

 今まで見た中で一番凛々しくて綺麗な目だった。


 その姿が輝いて見えて――。

 私は慌てて目を逸らした。


「か、勝手にしてください」

「……うん。ありがとう」


「別に見なくてもいいんですけどね」と零すと、今度は屈託のない笑顔を向けられた。


「黄衣って、ツンデレだったんだね」

「はい?」


 なんだかな……。

 二人でこんな時間を過ごすつもりは無かったのだけれど……。

 悪くない時間だった、と思えてしまう自分に反抗したくなる。


「あ、そうだ。これも……格好悪いんだけど――」


 そう言いながら差し出されたのは、コンビニのナイロン袋に入ったペットボトルのミルクティーだった。


「ありがとうございます。でも、今は特に喉は渇いていませんけど?」

「いや、まあ……そうかもしれないけど、なんというか……」


 誤魔化すように何かごにょごにょ呟いている。

 何なの……薬でも盛られているのか?


「怪しい物ならいりません」

「怪しくはない! ただのミルクティーなんだけど……その……」

「だったらなんですか?」


 はっきりしないのも嫌いだ、苛々する。

 ジロリと睨むと先輩は壁の方に視線を向け、私の方を見ずに話し出した。


「黄衣の好きな物をプレゼントしようと思ったんだけど……考えすぎて分からなくなってしまって……。俺が知っている黄衣の好きな物はなんだろうって考えていたら、良くこれを飲んでいたのを思い出して……気づいたら買ってた」


 確かに、私がいつも飲んでいたミルクティーだ。

 今も飲みかけの同じ物が鞄に入っている。


「プレゼントがジュースとかありえないから……。とりあえず、それはそれで……。またリベンジするから!」

「そんなものいりません。これで十分です。……ありがとうございます」


 雑誌の成果がミルクティーだなんてダサい。

 あまりにもダサくて……反抗するのも忘れちゃう。……ふふ。


 先輩は自己嫌悪に陥ったのか、俯いて凹んでいる。

 ……私は結構、気に入ったんだけどね?







 清算をすませ、ネットカフェを出た。

 天井越しに見える空は暗くなり始めていた。

 時刻は夕御飯の支度を始める頃合いだからか、アーケードには買い物客の姿が多く見ることができた。


 その中で一人、周りの景色には溶け込まず異質な空気を放っている者がいた。

 立ち止り、厳しい目でこちらを見据えている。


「羊野さん……」

「先輩……私より、その人がいいんですか」

「ま、茉白……どうしてここに……」


 彼女の目も言葉も、向けられているのは私の隣にいる先輩だ。

 私に対しては「視界にもいれたくない」という拒絶している空気を感じる。

 友達になりたい、と言っておいて、意中の相手を搔っ攫うようなことをしているのだから、拒絶されても仕方ない……。

 色々弁明したいが、私よりも先に先輩と話をつけた方がいいだろう。

 そう思い、私は二人の成り行きを見守ることにした。


「…………」


 射抜くような茉白の視線に耐えられなくなったのか、先輩は顔を反らした。

 何をやっているのだ、逃げないでなんとかしなさい!


 ここで私が口を挟んでいいものか迷う。

 今の私が何を言っても、茉白の心にはとどかないだろうし……。

 そうやって誰も口を開くことが出来ないまま、ただただ静寂が流れた。


「……それでもいいです。でも、私のことも忘れないで。。。。。。」


 沈黙を破ったのは茉白だった。

 鋭かった視線は、懇願するような悲哀に満ちた目になっていた。


「茉白っ、俺は……その……っ」


 先輩は必死に何かを伝えようとはしているが……言葉に詰まっている。


「いいんです! 私は大丈夫ですから……」


 茉白を見ているのつらい……。

 『寂しい』

 そう叫んでいるように見えた。


「羊野さん!」


 思わず私は、両手でギュッと茉白の手を握りしめた。

 本当は抱き締めたかったけど、激しく抵抗されそうなので手で我慢だ。


「何よ!」


 茉白は怒りを顕わにしながら、私の手を振りほどこうとしている。

 でも、私は絶対離さない。


「あなたにとって大切なのは、本当にこの人なの!?」

「そうよ! 何を言っているの!」

「この人じゃなきゃ駄目なの?」

「ええ! 私には先輩しかいないもの!」

「本当にそうかな!」


 恋をしていないと否定する気はない。

 でも、あなたが本当に求めているのは、先輩からの愛だろうか。


「あなたのことを、とても大切に思っている人がいるでしょう?」


 本当に茉白のことを大切に思っている人は誰なのか――。

 あなたが本当に愛して欲しいのは誰なのか――。

 自分で気づいているはずだ。


「そんな人はいないわ!」

「羊野さん。あなたを一番心配してくれている人は誰?」

「……それは……」

「あなた、目の下にクマができているじゃない。それを気づかってくれた人がいたでしょう?」

「…………」


 思い当たる人はいるようだ。

 今、茉白が思い浮かべている人物は先輩ではない。

 きっとお母さんだろう。


 ゲームでは、茉白の母は言葉にできなくても、常に茉白のことを気にかけていた。

 目に隈が出来ていれば心配して、遠慮がちに一言掛けていると思う。

 恐らく茉白は『なんでもない』と答えていると思うけれど……。


「その人は、あなたを見ていなかったかな? あなたは本当に一人だった?」

「うるさい!」


 茉白は私の手を振り払い、俯いてしまった。

 覗き見える表情は険しい。

 つらそうに見えるし、憤っているようにも見える。


「ねえ。やっぱり私とも、友達にな……あっ」


 再び手を取ろうとしたが振り払われ、茉白は走り去った。

 アーケードを駆け抜けていく背中を追いかけようとしたけれど、人ごみに紛れてしまい、すぐに姿は見えなくなってしまった。


「黄衣、俺……」

「人の気持ちって目に見えると楽なのにね」


 言葉にできない気持も見えていれば、茉白親子が拗れることもなかった。

 お互いに大切だから、遠慮し合っているうちに離れてしまった心を再び繋ぐのは難しそうだ。


「でも、私は知りたいって気持ちを大事にしたいです」

「……うん」


 見えれば楽だけど、相手のことを思って考える時間も大切だ。

 そういう積み重ねが、本当の絆に繋がるんだと思う。


「あの……俺、ちゃんと茉白と話をしてくる。だから、その……今日は送れなくてごめん」


 茉白が駆けて行った方向に、先輩は一歩踏み出した。

 今度は茉白の視線から逃げない決意ができたのか、さっきとは違う迷いのない表情だ。

 それを見て、私は微笑んで頷いた。


「はい。そうしてください」

「今日は楽しかった。また二人で出掛け――」

「早く行け!」

「はいー!」


 グズグズしていると追いつけなくなりそうなのに、まだ話そうとしている。

 一瞬見直したのに……ちゃんとしてください!

「急げ!」と背中をドンと突き飛ばすと、先輩は慌てて茉白を追いかけて行った。

 ……まったく、世話が掛かる先輩だ。


「でも、本当にちょっと見直したか―――」


 このまま私と帰ると言わなかっただけでも、恐るべき変化だと思う。

 先輩なりに藻掻いていて、変わろうとしているのかもしれない。


「それでも、犯した罪は消えないけどね!」


 絆され過ぎてはいけないと、改めて胸に刻んでおこう。







 家に帰り、ミルクティーを飲むため袋から出すとそこに何か入っていた。

 深い紺色に水色のリボンが付いた小さな巾着で、中には見たことのあるペンダントが入っていた。

 私が神楽坂葵の手から落としてしまった、あのペンダントだ。


 巾着の中には、小さな紙も入っていた。

 そこに―――。


『やっぱり、黄衣に似合うと思うから。いらなかったら捨てて』


 そう書かれてあった。


「しつこいなあ。……ふふっ」


 青い石はやはり私の瞳と同じ色だった。

 そう思うと捨てられない。

 ペンダントを手に取り、ぶらぶらさせながら眺めた。


「この前は、落としちゃってごめんね?」


 モチーフの部分をツンと突くとブランコのように揺れた。

 揺れ終わるのを待って、自分の部屋の机のアクセサリー掛けに飾った。


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