第8話

 本日は火曜日。

 どうせハーレムを目指していたクズな先輩は、今日も好感度アップに勤しむのだろう。


 今日好感度が上がりやすいのはお姉様タイプの上級生、辰巳野たつみの紫織しおり

 三年生なのでリボンは青だ。

 菫色のロングウェーブに金色の瞳で、大人びているゴージャス美人だ。


 彼女は私の押しキャラだった。

 実際に見ても美しい! 憧れちゃう~!

 なんとしてもクズの魔の手からお救いして差し上げなければ……!


 紫織様の登校時間は早い。

 園芸委員でもないのに、中庭に植えられた花に水をあげているのだ。

 花と紫織様、最強の組み合わせである。

 絶対美としか言いようがない。

 紫織様に水を貰ったら、花達も喜ぶだろう。


 ……そう言えばゲームで、クズ先輩がそういう台詞を吐いていたな。

 多分現実でも言っているだろう、キモキモ!


 とにかく、紫織の水やりタイムはチャンスだ。

 まだ紫織の鞄しかない、三年生の教室に忍び込む。

 そして、赤里先生の時と同じように、浮気証拠写真入りの手紙を鞄に忍ばせた。

 鞄を開けたら目に入る位置に入れたので、すぐに気がついてくれるだろう。


 彼女は大きなグループ会社の社長令嬢だ。

 卒業後は大学に進学しながらも会社を支え、家に貢献し、後に代を継ぐという夢がある。

 夢というより、もう目前に迫った現実だ。


 環境の変化に備え、今は心身共に充実させなければいけない時期なのだが、彼女も赤里先生と同様に、あいつのことで頭がいっぱいになっている。

 特に独占欲の強い彼女は、あいつが他の女の子と話をするだけでも嫌う。

 あいつにばかり目がいって他のことが散漫となっている状況を、彼女の近くにいる人達は危惧しているようなのだが、そんなことはおかまいなしだ。


 手紙にも『貴方のことを本当に大事に思っている人たちを大切にしてください』と添えたのだが、あの言葉は届くだろうか。







「……ふう。今日も一日疲れたなあ」


 一日の授業が終わり、帰り支度で騒がしくなっている教室の中で息を吐いた。

 あのゲスに極力会わないように気をつけながら過ごす学校での一日は、思いのほか疲れる。

 前世のことを思い出してから、妙に緊張感漂う生活を送っている。

 んー! と体を伸ばし、リラックスしてから教室を出る。


 今日も天気だけは良い。

 友達が遊びに行こうと誘ってくれたが、油断していると危険だ。

 ありがたい誘いを泣く泣く断り、一人昇降口を目指した。


 今、私の頭の中は紫織様のことでいっぱいだ。

 ちゃんと私が置いてきた手紙を見てくださっただろうか。

 目を覚ましてくれただろうか。

 赤里先生のときはうまくいったが、写真と手紙だけでは足りなかったかもしれない。

 ゲームの知識をどうにか生かして、次の策を考えていたほうがいいかも……。


「そこの貴方!」

「え?」


 突如背後から投げられ声に、驚きつつ振り返った。

 そこには実にタイムリーな人物、菫色の髪の女神が腕を組んで立っていた。


「紫織先輩っ」


 ああ……やっぱり美しい! 輝いている!

 私の前に女神が降り立った!


「貴方ね。最近、葵を困らせているのは!」

「…………え?」

「身を引くように見せて、彼の気を引こうとしているのはお見通しよ!」

「ええええ!? 違います! そ、そんな……!」


 鋭い視線で私を貫きながら、紫織が近づいてくる。

 なんということだ……謎の誤解をされている!


 それに手紙の効果が全く見られない。

 いたずらだとスルーされてしまったのだろうか。


 ああ……女神紫織様がここまで邪悪に侵食されているなんて~!

 ある程度予想はしていたけれど、こうやって目の当たりにするとダメージが大きい。

 お願いします、残念美人にならないで……!


「そんなつもりはありません! 信じてください!」

「信じられないわ。今まであんなに葵の周りをちょろちょろしていたというのに、急に心変わりするなんておかしいもの」

「そ、それは……」


 確かにその通りなのだが……。

 覚醒する前の私と紫織様は、牽制し合うような関係だった。

 今思うと、あの紫織様とよくやりやっていたなとびっくりするが……。


 とにかく、紫織様に納得して貰わなければいけないのだが……どうしよう。

「前世の記憶が蘇ったから」なんて、絶対に信じて貰えない。

 言葉が見つからず黙ってしまう。

 ああ……でも、なんとか分かって貰いたい!


「彼に向かって、『愛してない』と言えるかしら」

「言えます!!!!」

「そうでしょう、言えな……え?」


 私は即答した。

 それに関しては迷いなどないので、光の速さで即答だ。

 今度は紫織先輩が黙ってしまう。

 美しい顔を顰め、訝しんでいる。


「紫織!? 黄衣!? そんなに睨み合って……やめるんだ、二人とも……!」


 信じて欲しくて紫織先輩を見つめていると、とんちんかんなことを言いながらクズ先輩が登場した。

 え、キモ! 俺のために争わないでくれ! 面して登場するのキモ~!


 会いたくなかった……。

 やはり、今日好感度が上がる紫織の近くにいるのは危険だったか。


「二人が揉めているのは俺のせいか?」


 クズ先輩が悲しみに満ちた顔をする。

 俺のために争わないでくれ劇場が始まってしまった……寒っ!

 木枯らしが吹いているのかと錯覚する程寒い。

 

「葵っ……! ち、違うの……そういうわけじゃないわ……」


 ああ、なんということだ……!

 麗しの女神、紫織様も劇場に参加してしまった!


「恥ずかしいところを見られてしまった……でも。貴方を取られたくないの!」とでも言っているような切なげな瞳でキモメンを見ている。


 あのー……私は参加しなくていいですよね?


「紫織先輩の誤解を解くのに、ちょうど良かったです」


 木枯らしを止めるべく、口を割って入った。

 紫織様に一歩、また一歩と近づきながら話し掛ける。

「何を言われるのか」と、身構えている紫織様の目の前で足を止めた。


「私、この人のことはなんとも思っていません! だから、さっき言っていたセリフを言えます! 『私はこんな人、愛していません!』」


 クズ先輩を指差しながら宣言する。

 紫織様もクズも、私を見て目を丸くした。

 びっくりされているが、話を続ける。


「もちろん、この人の気を引くためにやっているわけでもありません! 普通に嫌いです! むしろ私は、この人より……紫織先輩の方が好きですっ!」

「「えっ?」」


 二人の声が重なった。

 きょとんとした表情も同じだ。

 おのれクズめ……紫織先輩と『お揃い』なんて許さないぞ。


「私……先輩のような、優雅で凜々しい女性になりたいんです!」

「は、はい?」


 無礼を承知で紫織先輩の手を取り、目で訴えた。

 私、貴方に憧れています!


「先輩には、素敵な紫織先輩のままでいて欲しいんです! でも、最近は――」


 そこでクズの方に視線を向けた。

「こいつのせいで、何か間違っていませんか?」という意味を込めて。

 私の冷たい目を見て、ゲスは顔を強張らせている。


「先輩の『本当に大事なもの』ってなんですか?」

「……え?」

「紫織先輩。今、先輩は……自分を誇ることができますか? 先輩のことを、本当に大事に思っている人達を、大事にしていますか?」

「…………っ!?」


 聡明な紫織先輩のことだ。

 周りが心配している今の状況を、どこかで分かっているはず……。

 こいつに告白をしようとしていた私が偉そうに言える立場じゃないけれど、どうか目を覚まして欲しい。


「……素敵なペンダントですね」

「!」


 掴んでいた手をそっと下ろしながら、紫織様の首にかかっていたペンダントに目を向ける。

 私はこのペンダントが何か、ゲームの知識で知っている。


 この紫水晶アメジストのペンダントは、紫織様が母親から受け継いだものだ。

 最初の所有者は紫織の父方の祖母でグループの創始者だ。

 祖母が『後を継ぐ息子を支えてやってくれ』と嫁いできた母に贈り、今度は母が『父さんを支えるのは貴方よ』と紫織に贈ったのだ。


 創始者の苦労——、それを受け継いだ者の重圧——。

 それらを見守り、託されたバトン。

 紫織の大切な人達の想いが篭もった大切なペンダントだ。

 お金には代えられない価値のある特別な宝石が、紫織様の胸ではただの綺麗なだけの石に成り下がってはいないだろうか。


「紫織?」


 クズ先輩が紫織に声をかけるが……彼女は動かない。

 ペンダントをギュッと握りしめ、俯いている。

 朝の手紙も、ゲスの所業を収めた写真もきっと見ているはずだ。

 お願い、思い出して!


 周りが貴方を心配していることに気づいて……いえ、気づいているはずでしょ?

 暫く思案しているように俯いていた先輩だったが、小さく息を吐くと私達に背を向けた。


「葵……ごめんなさいね。今日のところは、帰らせて頂くわ……」


 申し訳なさそうに微笑むと、そのまま紫織様は去って行った。


「紫織……?」


 クズ先輩は紫織様の背中を見送っている。

 私も美しい後ろ姿を見ている。


 ……なんんとなく、紫織様はもう『大丈夫』だと思う。


 これで完全に目が覚めた、ということはないかもしれないが、彼女の中に何かを残せたはずだ。

 少なくとも、今日はもうゲスと過ごすことはない。

 今週の好感度アップを阻むことができただけでも大きな成果だ。

 紫織様なら周りの信頼も取り戻せる……そう信じたい。


「黄衣、どうして……急に俺のことを避けるようになったんだ? 理由を聞かせてくれ……」


 穏やかな気持ちで紫織様を見送っていたのに、話し掛けるな!

 そう苛々したが……。

 紫織様に逃げられて、項垂れているこいつを見ていると嬉しくなってきた。

 ふふ……女神は去った、私の勝利だ!

 気分がいい今なら、少しくらい話してやろう。


「あなたの言葉に、『心』が無いことに気がついたからです」


 本当は、『私を攻略しようとしているのは知っているんだぞ! このゲスが!』と罵ってやりたい。

 でもそれはしない。

 こいつの事情なんて知りたくない。

 転生なのかどうかしらないけど、スマホを使って私達を攻略していることは確かだ。

 そのことを追求すると、その説明を聞かなければいけなくなる。

 そんなこと……私は聞きたくない。


「あなたは、本当に私を見てくれていましたか?」

「もちろん!」


 嘘だ。

 あなたが見ていたのは『情報』。

 それは『私』ではない。


「じゃあ……私が金曜日以外、何をしていたかご存知ですか?」

「……え?」


 本当に私を見てくれていたのなら、スマホを見ないで答えて。

 ……スマホを見ても無駄だけど。

 そこには載っていない、データにない私を……あなたが見た私を教えて欲しい。


「……そ、それは……」


 先輩の目は、小さな画面の中を泳いでいた。


「……もういいです」


 ……やっぱり馬鹿だな、私。

 少し期待をしてしまった自分がいた。

 涙なんて出ない。

 乾いた笑いしか出てこない。


「ま、待って、黄衣!」

「触らないでください!」


 引き留めようとする腕を、強く払いのけた。


「そろそろやめませんか?」

「黄衣……?」

「……そんなんじゃ、誰もあなたのことを見なくなりますよ?」


 今は学校で『ゲーム』を楽しめば良い。

 でも、学校を卒業したら……その先、未来はどうするの?

 情報ばかり見ていたら、ちゃんと人と向き合って生きていかなければ、きっと誰もいなくなる。

 気づけば一人、なんてことになるかもしれない。

 ちゃんと向き合えない人と家族になろうなんて……誰が思うの?

 少なくとも私はお断りだ。


 先輩は瞬きも忘れ、固まっていた。

 かなりショックを受けたようだが……気遣ってやる義理はない。


「さようなら」


 私はそのまま立ち去った。







「鳥井田さん」


 ゲスをひとり残し、帰宅しようと昇降口を出た私を呼び止めたのは、凜とした声——。

  そこにいたのは……攻略対象キャラクターの一人だった。


「羊野さん?」


 羊野茉白ひつじのましろ

 木曜日に好感度が上がるキャラだ。

 銀髪に琥珀色の瞳、銀縁のメガネをかけている。

 私と同じ一年生で、成績がトップクラスの優等生知的美人だ。

 彼女は冷たい眼差しで私を見ていた。


「あなた、何がしたいの」

「え?」

「神楽坂先輩に気がある女性達の周辺を、ねずみのようにこそこそと動き回って……」

「!」


 茉白の言葉にドキリとした。

 ハーレムを壊そうと動いている私に気づいている?


 ゲーム情報だけでは不安なので、クズ先輩のターゲットとなっている女の子達周辺の情報を調べたり、証拠の写真を撮るために尾行しのだが……それがバレた?


 どう答えるか、どう取り繕うか迷ったが……私の動きを知られているのなら話は早い。

 どうしてこんなことをしているのか伝えて、目を覚まして貰おう。

 幸い彼女は話が通じるタイプの人……だと思う。

 聡明だから、大丈夫なはず……!


「羊野さんにも気づいて欲しいの!」

「何を? 神楽坂先輩の女癖の悪さ?」

「え……?」


 言おうと思っていたことを、先に言われて驚いた。

 分かっていたの?

 まさか、攻略対象者の中で、私以外に気づいている人がいたなんて……!


 すごい……私は前世を思い出すまで、まったく気づかなかったのに!

 外野から見れば『何股してるんだコノヤロー』と思える行動も、自分がされているときは全く気がつかなかった。

 恋は盲目という言葉で片付けてしまうのは乱暴なんじゃないかというほど、私の目は曇っていたのだ。


 赤里先生や紫織様もそうだっただろう。

 だが、茉白は違って冷静なようだ。


「ク……神楽坂先輩が、色んな女の子と仲良くしていることを知ってるいるの?」

「ええ。それでも、私にはかけがえのない人よ」

「…………」


 唖然とした。

 客観的に見ることができているのに、全てを分かった上でゲスを受け入れているなんて…!


 呆然としていると、茉白は私に鋭い視線を向けてきた。

 何を思っているのかは分からないけれど、強い意志を感じる。


「……私を分かってくれるのは彼だけ」

「それは……!」


 『攻略情報だから!』


 あなたを理解しているのはスマホを見ているからで、あの人が自分の気持ちで動いたわけではない。

 そう伝えたいけどれ……言ったところで理解して貰えないだろう。

 それに……こんなに盲目的にクズを慕っている茉白に真実を伝えるのは残酷な気がする……。


「私は何番目でもいい。でも、上でいたいことは確かね。だから、あなたが消えてくれることも、他を蹴落としてくれることもありがたいわ。……ただ、私と彼のことを邪魔したら……許さないから」


 氷のような冷たい目を私に向け、茉白は去って行った。

 私はその背中を見送った。


「……はあ」


 本当にクズ先輩は罪深い。

 何番目でもいいだなんて……。

 あんなやつのことを想っても、幸せにならないのに……。

 茉白の背中を見ていると、まずますあのクズへの怒りが増していくのだった。

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