第20話 雨
季節の変わり目特有の不安定な気圧は雨雲を呼び、部室の窓にぽつぽつと散っているのは雨粒だろうか。
そういえば傘を持ってきていなかったな、とか考える余裕はすでになかった。
「キョン、ちょっと聞きたいことがあるの」
軽く呼んだ言葉とは裏腹に、どこか寒気を走らせる目つきだった。
特に感情が表情に表れているわけではないのだが、視線はなんとなく俺の頭を通り過ぎて遠くへ向かっており、要は何かを企んでいるのだ。
「昨日ね、あんたの妹さんたちと一緒に帰ったんだけど、ちょっと小耳に挟んだのよ」
なぜかハルヒはニヤリと笑った。
「お返しクッキングは大盛況だったみたいね。なんたって作った本人が言ってたから間違いじゃないわ」
しまった。あの二人に
しゃべったのはどっちだ? ミヨキチか妹か。
「あんたね、こともあろうに小学生にあたし
「それはその、材料代は俺が払ったし準備はみんなで……」
「まずはどうやって、とびっきりかわいい女の子を丸め込んでお菓子作りをさせたか、そのカラクリをあたしに報告すべきじゃない? 今すぐ、ここでね」
次第に距離を狭めるハルヒに対して、じりじりと廊下側へと押される俺。
ハルヒの両手がガッシと俺のブレザーをつかみ、あわや
「遅くなってすみません」
古泉だった。紙袋を持ってドアを大きく開け放っている。おかげで柔道の大技を断念したのか、ハルヒは手を下ろした。
「古泉君、見損なったわ。副団長ともあろう者が小学生にホワイト・デーのお菓子を作らせるなんて」
「ああ、そのことですか。実は本命は別に用意してあるんですよ」
「本命?」
「大量の材料を購入してしまって、本命分をつくったあとも余ったので女の子たちに後処理をお願いした、というのが真相です」
と、古泉はわざとらしく咳払いをした。いくら俺でもこのタイミングを逃すほど馬鹿じゃない。すかさずカバンから小箱を取り出す。
「ほれ、おまえの欲しがってたもんだ。やるよ。これで義務は果たしたよな」
その小箱は今朝、俺が下駄箱から回収したものだ。残りのホワイトチョコは、とっくに朝から部室の冷蔵庫にいれてある。
「ま、あんたがそう言うなら受け取ってやらないでもないけど」
といいつつもどかしげに包みをほどくハルヒだった。
「チョコレート? ホワイト・デーに?」
「いいだろ。べつに」
「キョン……。これどういうこと?」
軽いフリーズ状態のハルヒの背後から、俺は開梱された包み紙をのぞきこむ。
と、そこには白い板チョコに流麗な文字で、
“久遠の愛をあなたに。 あなたのしもべより”
一瞬、目があった朝比奈さんは赤くなって首を振っている。じゃ、大人の朝比奈さんか。なんて言葉を書いてくれるんだよ、もう。
「キョン、あたしはこの種の血迷いごとが大嫌いだって、わかってるわよね? まあ、食べ物を粗末にするのはよくないから受け取っておくけどね」
といいつつも少しばかり頬を染めた笑顔をみせる。
そこへ古泉がしゃしゃり出た。
「これは僕からそして涼宮さん、長門さん、朝比奈さんにも」
古泉はにこやかに紙袋から一人一人に小さな花束と、カードが挟まっているお菓子の箱を取り出した。
長門は無表情に首を縦に振り、興味があるのかないのか黙って受け取った。
朝比奈さんは素直に礼を言って、ほんのちょっぴり俺に意味ありげな視線を飛ばしたような。それは任務完了の合図だったのだろう。一体何の任務だったのかはさっぱりわからないが。
「ほんっとにしょうがないわね。あたしがこんなのを真に受けると思ってんの?」
「だったらなんで、バレンタインに……」
「キョン、バレンタインはね、何も女子が男子に告白するイベントじゃないから」
なんだかんだ言って、ハルヒはうれしそうだ。
朝比奈さんはお茶の準備をしている。長門はチョコレートを正確に八分の一くらいに折り取って少し口に入れた。
結局、残りのチョコをばくばく食うハルヒを筆頭に、俺たちは何種類ものお茶をテイスティングしつつ、ホワイト・デーのお茶会は成功裏に終わった。
今日は本当に久しぶりにSOS団フルメンバーだけの下校となった。
まだ小雨は続いていたが、珍しくハルヒと長門が先頭で、赤い傘を揺らしながらハルヒが一方的に話している。
生徒会長の監視下でいかにして四月の新規団員募集を
思い立ったらどこまでも邁進するわれらが団長様だ。
なにやら怪しげな監視を始めそうな生徒会長にはハルヒも何か対策を練ってるんだろうが、生徒会長くらいは文芸部の勧誘に見せかけたニセ看板とかでしのげるだろう。
俺の横を歩く古泉が言った。
「一ヶ月以上かかった
「俺は朝比奈さんからの連絡があるまで気づかなかったけどな」
「涼宮さんは三月に入ってからはホワイト・デーのことを考えない日は一日たりとも無かったと思います」
どうしてそんなことが解る。
確かにお前はハルヒの心理エキスパートを持って
古泉は肩をすくめていった。
「その証拠は……僕の出撃回数、ですかね」
そうなのか。ホワイト・デーくらいで世界の存亡が揺るがされるなんて考えたくもない。
「それだけではないと思いますが」
古泉はそれきり黙って傘の内で何か考えているようだった。
今回は古泉の謎解きのおかげで、ハルヒが作ったわけでもないポスターが掲示板に貼り出されたら、危機がせまっているシグナルなのがわかった。
そうなったら端末たちが思念体たちには内緒でひそひそと何事かを話し合っているかも知れないのだ。
これからは滅多に見ることのなかった掲示板も定期的に見に行くことにしよう。何しろ俺の電話番号まで記載されているんだし。
まあ、それにしても。
先月からの問題はこれで片付いたたわけだ。
春休みには、ハルヒがまた突発的に事件を引き起こさない限り、鶴屋家のお花見がやってくるのを待つばかりだ。
たった一つ残念なことがあるとすれば、なぜか俺はミヨキチと一緒にホラー映画鑑賞なんて事はもう二度とないような気がしていて、少しばかり残念だった。
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