第17話 集結

 

 広い大窓から町の灯が浮いて見えた。

 俺と古泉はこたつテーブルに向かい合っている。台所から茶器の音が小さく聞こえる。


 俺が岡本と別れて家に着くと、もう妹は戻っていて、ハルヒと朝比奈さんが送ってくれたようだった。

 そのとき古泉から連絡があったのだ。

 俺はチャリに乗って長門のマンションに急いだ。

 カーテンが掛かっている管理人室の前を通り過ぎ、エントランスで暗証番号をインプットする。即座にエレベーターホールの扉が開く。

 上昇する小部屋にのって俺は少しばかり考える。

 あの国際郵便は一度、長門の手に留め置かれたという。判断に迷うところがあって古泉に相談した結果、俺に流れてきた。

 これまでも古泉はどれくらい長門と関わりがあったんだろう。


 長門。

 俺は時々あいつのことを人間以上の人間として見てしまうことがある。人間以上の何か、ではなく。

 人間のもつ良いものが極端に極まってしまうと到達する何か。だが、本人はそれを窮屈きゅうくつと思ってでもいるのか、みずから口を開くことはない。


 頭上の移動ゲージが四階を過ぎた。

 俺はこのエレベーターに乗るといつも三階を過ぎたあたりから落ち着かなくなる。

 あいつは505号室だった。もしこの階で停まったりしたら、とつい考えなくてもいいことが頭をよぎる。

 幸いエレベーターは五階を通り過ぎ……六階で止まった。

 声も出ない俺の前でドアが開く。


 入ってきたのは喜緑江美里さんだった。まだ制服姿だ。

「こんばんは。キョン君」

 穏やかな物言いが俺の恐懼きょうくを溶かしていく。

 俺の心を読み取ったかのように、喜緑さんはほんのりと笑みを浮かべた。

「長門さんのお手伝いなんです」

 俺の長い安堵の溜息と同時にドアが閉まり、エレベーターは上昇を始めた。

「喜緑さんもここに住んでいるんですか」

「はい。607号室です」

 長門と朝倉の居住区の間にいたのか。この分だと四階とか八階にも住んでいるのだろうか。

 エレベーターのドアが開いて、俺が歩き出すとわずかに遅れて追従してくる。ハルヒと同じくらいの背丈なんだけど、雰囲気は全然違う。全体的に華奢な感じだ。



 長門の部屋にはすでに古泉も座っていた。四人が揃ったところで、俺が口を開く。

「またメールが来た」

「ここにいる全員がその内容を把握している」

「なぜだ?」

「その方が被害を軽減できると判断した」

 これまでも、俺に関係しながら黙っていた案件があるんだな、という気がした。被害を軽減、ということはすでに被害は確実に予想されてるわけか。

「本当にあいつなのか」

「当該旅客機に朝倉凉子に酷似した個体の搭乗を確認した。まもなく到着する」

 長門が全く抑揚もなく俺に返答した。

 ちょっとの間、重苦しい沈黙が流れる。

「キョン君。長門さんが他派に感知されずに活動できるのはこれが限界なんです。だからわたしが呼ばれました」

「朝倉が俺の命を狙うにしても到着日時を連絡する意図がわからん」

「いつであろうとキョン君には手を触れさせません」

 喜緑さんが静かにきっぱり言うと、それまで珍しく沈黙を守っていた古泉が口を開いた。

「でしょうね。あれだけ護衛が付いていれば」

 護衛? 俺の疑問をよそに古泉は喜緑さんにむかって続けた。

「あのポスターは、実は端末の緊急招集みたいなものでしょう? ポスターなら、物理的実体を持たない情報存在には解るはずがない。また同期とかいう通信手段を使えば各派の思念体に露見しますし」

「ええ」

「では、あなたと長門さんを除いてこのところの集団下校の中の誰が端末だったんでしょうかね?」

「わたしがそれを教えないといけませんか?」

 軽い疑問をたたえた喜緑さんの瞳はまっすぐに古泉を見つめている。さすがの古泉でもこれ以上追求しても無駄だろう。


 古泉は飲みかけのお茶をこたつに置き、こんどは長門に言った。

「ここの安全が確保されているならば、あえて身を潜めているほうがよいのでは?」

「迎撃すべき、というのが主流派の結論」

「このメールですが、どこか不自然に感じます。同一人物なのでしょうか」

「意味ある結論を出すにはデータ不足」

 長門は素っ気なく答えた。


 ぴろりろびろりろ。唐突に電子音が鳴り響く。古泉は制服のポケットの音源を取り出した。スマートフォンの青い光に染まった古泉の目がすっと細くなる。長門は天井を見上げたまま、動かない。

「おい、まさか」

「あなたのご友人はやはり、相当のインパクトがあったようですね」

「閉鎖空間か」

「それもかなり巨大なようです。僕は出現地点に行かねばなりませんので、これで」

 古泉は足早に部屋を出ようとして、長門を振り返る。

「お茶をごちそうさまでした」

 長門はほんの僅かに首を縦に動かし、礼を受け流した。

 俺はあの青い巨人と古泉たち超能力者の激烈な戦いを思い出す。あの戦いをこれまで何回古泉たちは繰り広げたんだろう。

 もし『機関』が全滅したらどうなるのか。俺には何も出来ない。


「わたしも行きます」

「どこへ」

「空港へ」

「喜緑さん一人で? 大丈夫なんですか」

「長門さんですら苦闘した朝倉さんだもの。わたしでは無理かも」

「ではなぜ」

「あなたを守るってわたしは約束したから。それに仲間たちもいるわ」

「なんでそこまでしてくれるんです?」

「キョン君。あなたは涼宮さんにとって大切な人なの。あなたを守るのはなにも長門さんだけじゃないわ」

 いつもの優雅さをかなぐり捨てて、喜緑さんは素早く玄関に走っていく。 


 俺と長門、二人っきりになった。

 こたつを挟んで向かい合っていても今は何も話す気にはならない。

 俺は携帯を開き時間を確認する。二人が飛び出していってもう三十分が過ぎた。古泉は閉鎖空間には通常空間内で出来るだけ近づいてから侵入すると言っていた。

 喜緑さんはどうやって移動するのかわからない。瞬間移動でもするんだろうか。まさか空港で戦闘するわけでもないだろう。

 たぶんあの黄土色した砂漠のような異空間で迎撃するに違いない。

 もし喜緑さんとその仲間(?)が敗れたらどうなる?

 いや、俺は今すぐハルヒをたたき起こしに言った方がいいんじゃないのか。

 長門が急に立ち上がった。


 同時にインターホンが鳴った。長門が受話器を取る。

 しばらく黙って相手に耳を傾けていた長門だが、一言ぽつりと言った。

「……そうはさせない」

 受話器をフックに戻して、俺に向き直る。

 

 まさか……喜緑さんがやられた?

「すでに各階ごとの情報閉鎖隔壁が破られている」

「勝てるのか、長門」

「現在の勝率27.67パーセント。当該端末は過負荷状態にある。帰還を前提とした出力ではない」

 なんてこった。特攻かよ。あいつはそれで喜緑さんやその仲間をすぐに倒してここに来たのか。

 長門は、リビング横の扉を開いた。

「選択時空間内の流体結合情報を凍結する。入って」

「しかし、お前は」

「大丈夫。負けない」

 時間凍結の部屋の前で俺はためらった。俺だけが逃げるのか。

 玄関ドアが唐突にガゴン! と音をたてた。

 長門はすさまじい勢いで俺に接近し、両腕を伸ばし部屋の中に突き飛ばした。

 扉が閉まる刹那、激光が部屋に差し込み、部屋を照らし出す。

 そして、真っ暗になった。


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