『ドラゴンニーソックス』

 高井出神社は、学校から数キロ離れた山の上に位置する神社だ。当然、小さいとはいえ山の上にあるため、辿り着くには階段を登る必要がある。

 中学時代は陸上部に所属していたこともあって脚力にそこそこ自信のある智沙都にとっては、それは大した道のりではなかった。だが、久坂航平にとってそれは立派な障害であったらしい。


 ぜえはあという荒い息が、静まり返った境内の中で鳴り続けている。鳥居の根元にへたり込んでいる久坂のものだ。

「……ちょっと体力なさすぎるんじゃないの?」

 境内に辿り着いてからもう一分は経った。そもそも走ったわけでもなく、智沙都としてはかなりペースを落として歩いてやったつもりだった。

「に、肉体労働は、僕の、専門じゃ、ないんだよっ」

 しかし、息も絶え絶えな久坂はまだ立ち上がれそうにもなかった。


「それで、どうしてこんなところに?」

 ようやく呼吸を落ち着けた久坂は、まずその質問を投げかけてきた。

 まあ当然と言えば当然の質問だ。いきなり家まで押しかけて来られた上に、何も教えられないまま引っ張って連れて来られたのだから。

 だが、智沙都はどこまで答えて良いものか判断しかねていた。久坂がどこまで知っているのか、そして久坂と中東の某国はどういう関係なのか。それが分からない以上、下手に情報を漏らせば智沙都の望まない結果を引き起こす可能性もある。

「……ある人がここに行けって。ここなら最悪の結末は避けられるからって」

 結果、智沙都は最低限の情報だけを渡すことにした。しかし、久坂航平にはそれだけの情報で十分だった。

「なるほど、つまり君の近くに他所の国の密偵がいたというわけか。しかし何故止めない? ……そういうわけか」

 久坂はぶつくさと独り言のように呟いて一人で納得してしまった。智沙都としては最大限情報を削ったつもりだったので、当然納得がいかない。

「え……っと、なんでその密偵がいたって分かるの?」

「何故なら、君に渡したそれが何であるか分かる人間は、この国の内部にはまずいないからだ。その密偵がどこの国の者かまでは分からないが、まあおおよその見当は付く」

 久坂はそう言うと、目を閉じて黙り込んでしまった。

 この男が何を考えているのか、それは智沙都には全く分からないことだったが、それに気を遣うよりも智沙都には聞いておかなければならないことがある。

「……そろそろ聞いておきたいんだけど、これ、一体何なの?」

 その手に握られているのは深緑のニーソックス。やがて目を開けた久坂も、それに視線を向けた。

「ああ、今それを言おうと思ったところだ。……それは身に着けた人間に強大な力をもたらす、奇跡の複製品レプリカ。その名も『ドラゴンニーソックス』」



 この高井出神社には、古くから伝わる高井出羽衣伝説というものがある。そんな話から久坂航平は語り始めた。

 高井出羽衣伝説、それはこの地域の子供なら大抵知っている物語だ。というのも、小学校の総合の時間なんかでよく取り上げられる題材なのだ。

 木に掛かっている羽衣を村の男が見つけ、男がそれを隠して天女と結婚。やがて何かのきっかけで羽衣が天女の手に戻り、天女は夫を残して天に帰ってゆく。大きな話の流れとしては、このように他の地域に伝わる羽衣伝説と変わらないものだ。

 だが、高井出の羽衣伝説では、天女が村を災いから救うことと引き換えに羽衣を取り戻して天に帰ってしまうという、他とは少し異なる展開が挟まれている。その災いは多くの場合は嵐や洪水の類いとされており、天女はこれらを鎮め、押し返したと伝わっている。

 この高井出羽衣伝説に、久坂は目を付けたのだそうだ。要するに、天女は羽衣の力を借りてドラゴンに変身できる特異体質の人間だったのだと。そして、羽衣を改良したのがこの深緑のニーソックスで、天女に当たるのが智沙都であるらしい。


「ちょっと待って。そもそもドラゴンなんていないでしょ?」

 それまで黙って聞いていた智沙都だったが、流石にそこには口を挟まざるを得なかった。

「いや、ドラゴンは実在したのさ。第二次大戦後から大国間の協力によって存在の証拠を完全に抹消されたがね。それを知っているのはそれこそ一握りの人間だろう。まあ、僕もその抹消作戦の情報にだけはついぞたどり着けなかったから、一応憶測なんだが」

「じゃあなんでそんなことを? そこまでしてドラゴンの存在は隠さなきゃいけなかったってこと?」

 納得のいかない様子の智沙都はさらに問いかける。久坂は、遠い目でそれに答えた。

「そうだ。ドラゴンは、核すら手に入れた人間によってさえ滅ぼすことのできない、超越的な生物だったのだ。……幸い、その時代に生きていたのは弱っていたかあるいは高齢だったかで、人類で対処しきれるドラゴンしか生き残っていなかったらしいがね。それでも大いに手こずらされた彼らは、そのような人類の存続を脅かす存在を抹消することにしたのだ。もしも、核でも殺せない巨大生物がいるなんて情報がうっかり漏れようものなら、世界中が大混乱するのは間違いないからな」

 久坂は立ち上がり、神社に背を向けて参道を歩いた。そして道が右に折れるのも構わず直進、頼りない半ば朽ちた柵まで歩き、その下に広がる地表の街並みに目を向けた。

「だが、勘違いしないでほしい。僕は君にそんな兵器じみた存在になって何かを壊してもらいたいわけではない。むしろ逆だ。君には天女になってこの街を襲う脅威を打ち払ってもらいたいのだ」

 そう言って振り返った久坂の目は、逆光の中にありながら強く智沙都を射抜いた。あの、呆れるほどに真剣なまなざしで。


 久坂の視線から意図的に目を逸らしながら、智沙都は続けて訊いた。

「もう一つ聞かせて。どうして私なの?」

 久坂は初めから答えが決まっていたかのように、淀みなく答える。

「簡潔に答えさせてもらうと、君以上の適合者がいなかったからだ。『ドラゴンニーソックス』との適合度が十分に高くなければ、ドラゴンの力を発揮できないどころか暴走させてしまう危険性すらある。その危険性が最も低いのが君なのだ。ならば君に頼む他ないだろう」

「その適合度ってのはどうやって?」

「ああ、大部分が脚の形質としても表れるので、脚の形を確認するために各所の女子更衣室などに小型のカメラを……待て、待ってくれ! これもこの国を救うために仕方なくやっただけで! ぐあっ!」 

 口は災いの元だなぁなんて考えながら、智沙都はローファーを履いた足で久坂にミドルキックをお見舞いした。

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