くらくら:学校閉鎖

 ある月曜日、出勤したら、校内が閑散としていた。職員室では、教頭先生が、ひっきりなしの電話攻撃に対応していた。マツモト先生が、むすっとした顔で腕組みしている。


「おはようございます。何かあったんですか?」

「インフルエンザです。先週後半から風邪ひいとる子が増えとったばってん、インフルやったごたる」

「え。じゃあ、電話は、欠席の……?」


 ちょうどそのタイミングで、教頭先生が受話器を置いた。肩でため息をつく。


「タカハシ先生のクラスは、五人中四人が休みですよ。ダイキの欠席の連絡が、朝一番に入りました。ユウマ・ショウマの兄弟もリホ・シホの姉妹もインフルでダウン。サリナは一家揃って倒れたそうです」


 サリナちゃんちは、おかあさんが小学校の養護の先生、おとうさんが中学校の国語の先生だ。養護の先生が倒れたってことは、しばらく保健室はクローズド?


「大変ですね、これは。うちのクラス、学級閉鎖かぁ」


 あたしの言葉に、校長先生が苦笑いした。


「学校閉鎖ですよ。兄弟同士、いとこ同士でウィルスば広めてしもうとるけん、おおごとです。マツモト先生、妹さんがてんやわんやでしょう」


 マツモト家のメーちゃんは、島の病院で働く看護師さんなんだ。確かに、この惨状だと、大変だよね。あたしは、メーちゃんに勧められて、秋にインフルの予防接種をしておいた。マツモト先生や校長先生、教頭先生も、予防接種してあるって言ってた。


 職員朝会してみたら、先生の中にも、インフルエンザ疑惑で欠席してる人がいる。島じゅうにインフルエンザウィルスが蔓延してる感じなのかな? 想像すると、不気味な絵図だ。パニックホラー映画っぽいっていうか。


 朝会の後、マツモト先生と並んで、教室に向かった。出席してる子がいるけど、学校閉鎖だもんね。規律上、学校から帰ってもらわなきゃいけない。午前中に、担任が家まで送ることになった。


「おはようございまーす」


 普段どおりの挨拶で、教室に入る。芸術と音楽のセンスあふれる美少女ルミちゃんが、ぽつんとひとりで席に着いていた。


「タカハシ先生、おはようございます。みんな来ない」

「インフルエンザでお休みだって。今日は学校じゅう、欠席だらけなの」

「うん、そうみたい。五年生のミキちゃんと三年生のレイラちゃんしかいなかったよ」

「ルミちゃんは、体調、何ともないの?」

「あたし、特別製だから、大丈夫です」

「特別製?」


 ルミちゃんに、早速だけど、帰り支度をしてもらった。あたしは職員室に上着を取りに戻って、それから、ルミちゃんと一緒に歩き出す。


 ルミちゃんちのご両親は学者さんっぽい仕事をしてて、研究とか調査とかのために島に滞在している。たいてい在宅での仕事らしいから、ルミちゃんを下校させても大丈夫みたい。


 島育ちじゃないルミちゃんは、まだ完全には島っ子になっていない。言葉も標準語のままだし、どことなく、島っ子たちとは違うカラーを出してる。だからといって、学校で浮いてるわけではないんだけど。


「パパが言ってたんです。あたし、小さいころ、外国で過ごしてたから、免疫力が日本人と違うんだって。外国、日本みたいにきれいじゃなかったりするの。体の中の菌が混ざってたくさんあるほうが、体が強いんだって。そういう意味で、特別製」


 ルミちゃんの言葉に、ちょっと納得する。菌の話そのものはよくわかんないけど、比喩的に話を膨らませて想像してみたんだ。


 島っ子は確かに、全然混ざってない。修学旅行で初めて島外に出る子もいるくらいだ。テレビやネットで外の世界を知ってるとはいっても、足りないよね。すれてなすぎて、ときどき、すごくもろいって感じる。壊れやすそうで繊細。


 それが悪いってわけじゃない。ステキなことだと思う。だけど、現実は意地悪だよ。島っ子が将来、島の外で進学したり就職したりするとき、世間のウィルスは彼らに容赦しない。熱、出さなきゃいいな。ちゃんと克服してくれたらいいな。


「ねえ、タカハシ先生。あたしの家族ね、来年もまだ、ここに住んでいられそうなの」

「よかったね。ルミちゃんが一緒だったら、あたしも嬉しいな」

「タカハシ先生も、来年も、この学校?」


 ルミちゃんの大きな目で見上げられて、あたしは少し心苦しい。嘘つけないよ。でも、悩みや不安を吐き出したりなんて、できないよ。


「まだよくわからないなー」


 ごまかして、空を見上げた。薄青色の晴れた空。今日も風が強い。




 ルミちゃんを家に送り届けて、あたしは、来た道を引き返した。


 マツモト先生は、ミキちゃんをお寺に送って行ってるんだよね。ミキちゃんちのお汁粉、おいしかったな。と、考えてたときだった。


「タカハシ先生!」


 マツモト先生が、道の向こうから走ってきた。あれ? ミキちゃんち、こっち側じゃないよね? 学校を挟んで反対側だよね?


 あたしが首をかしげたからか、マツモト先生は頬を掻きながら、言い訳をした。


「何となく、です。学校まで、歩きましょう」

「へ? あ、はい」


 微妙に変な声が出ちゃったよ。これって、つまり、あれだよね。あたしと一緒に歩くために、わざわざこっちまで走ってきたってことだよね?


 勤務中だよ、マツモト先生。いいんですか、ほんとに?


 いけないことしてるような、ぞくぞく感がある。おかげで、なんかすごく、どきどきする。マツモト先生の隣ってポジション、ずいぶん慣れてきたはずなのに。


 特に何を話すわけでもない。もちろん、真っ昼間の勤務中だから、手なんかつながない。一歩ごとに、マツモト先生のウィンドブレーカーが、しゃりしゃり乾いた音をたてる。


 校庭に差し掛かったころに、ようやくだった。マツモト先生が口を開いた。


「今度の週末、テニス、しませんか? ちょっと寒かばってん、体ば動かしたら、温かくなるし」

「え、はい、いいです、けど。メーちゃん、病院の仕事が忙しいですよね?」


 マツモト先生が、また、口をつぐむ。グラウンドを突っ切る。職員玄関に入って、再びマツモト先生が口を開いた。


「メーは、おらんでよかでしょう? おれは、タカハシ先生と、会いたか。学校やおれの家以外の場所で」


 低い声だったけど、校舎の中は音が響く。天井に、ふわっと、マツモト先生の言葉が舞い上がった。


 このどきどきを、どうすればいい?


「あ、ああ会い、ましょうっ」


 突っかかりながら、こくこくうなずいて、顔じゅうが熱くて、それでも必死で、あたしはマツモト先生を見上げた。


 微笑んだ唇が見えた。奥二重の目が、にっこりした後、急に真剣な表情を浮かべた。それが、ものすごく、近い場所にあった。


 唇に、柔らかいものが、触れた。


 シャリっと音がして、マツモト先生が、あたしに後ろ姿を向けた。


「まだ月曜やし、週末の話は、気が早かですかね。子どもたちがおらんでも、仕事はたくさんあります」


 マツモト先生は上靴に履き替えて、さっさと職員室に向かい始める。あたしは、どんな顔してればいいのか、わかんない。


 固まってるあたしを、マツモト先生が、ちらっと振り返った。あたしは、くらくらしてしまって、マツモト先生がどんな顔してたのか、わかんなかった。




 寒くて晴れてて学校閉鎖になった日の午前中。職員玄関にて。


 それが、最初のキスでした。

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