4月8日

 昨日は一校時目から五校時目まで、どうにか乗り切った。ほんとに、どうにかこうにか。必死。ギリギリ赤点を回避したってレベル。


 今日になっていきなり授業が上手になるはずもなくて、結局、五校時目になっても、しどろもどろだ。昨日よりダメかもしれない。


 頑張ろう頑張ろうと思うほどに、喉が詰まってしまう。嘘だ。あたし、こんなに弱くない。頑張らなきゃ。


 でも。子どもって、素直だ。だから、残酷だ。


「先生、もっと大きか声でしゃべって」


 わかってる。自分でもカッコ悪いって思う。でもね、なんでだろうね、顔だけは笑っちゃうんだよね。ごめんなさぁい、なんて、笑顔を作っちゃうんだ。


 子どもたちも笑ってた。笑いながら、ハッキリ言ってくれた。


「タカハシ先生、授業、下手くそー」

「あのね、去年の先生ね、もうおらんばってん、授業がわかりやすかったとよ」

「教頭先生の理科もおもしろかよ」

「先生も、理科の授業、見に来れば?」


 あはは。そうだね。あたしは笑って、社会科の教科書を教卓に投げ出した。真新しい教科書の背表紙が教卓を叩いて、硬い音が立った。


「そーよね。あたし、授業、下手くそよね。先生落第ってくらい下手くそよね。うん、わかってるよ。下手くそな先生に授業されるよりさぁ、全部の教科を教頭先生に代わってもらうほうがいいかな?」


 しん、と教室が静かになった。子どもたちがみんな、目を真ん丸に見開いていた。


 何なのよ、その目? あたしが彼らにひどいことをしたような気分。逆じゃん。あたしがひどいこと言われたんだよ?


 ……もういいよ。


 あたしは教室を飛び出した。頭が真っ白だった。階段を降り始めた瞬間、涙があふれた。視界が利かない。勘で駆け下りる。


 踊り場で正面衝突しかけた。


「あれ? タカハシ先生?」


 もそっとした声。会いたくないやつ。


「失礼しますっ」


 逃げようとした。肩をつかまれた。


「どげんしたとですか?」


 ……そうよ。ほんとは止めてほしいんだ。


「ま、マツモト先生こそ、授業は?」


 振り返れない。


「おれは、空きです。教頭先生の理科の授業やけん」

「あ、そう……」

「どげんしたとですか?」


 言いたくないし。すっごいカッコ悪いじゃん。


 でも、口が勝手にしゃべってる。


「子どもたちにダメ出しされたんです。授業、下手くそって」


 だから、飛び出してきました。もう教室に帰れません。誰かこのバカなあたしをどーにかしてください。


 肩をつかんでいた手が、トントンと、あたしの背中を柔らかく叩いた。


「わかりました。おれが子どもたちと話ばしてきます。タカハシ先生は職員室に行っとってよかですよ。帰りの会も、心配せんでよか」


 マツモト先生は、算数の教材を小脇に抱えて、階段を登っていった。あたしはポカンとして、その後ろ姿を見送った。マツモト先生は、こっちを見なかった。

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