第13話 芸術(2)


――まるで美術館のようだと思った。


 整然と並ぶ十個のガラスケース。

 その中には一つ一つ、今にも起き上がりそうなほどに艶やかな肌を晒す肉体が横たわっている。


 まるで美術館の展示スペースのように。

 それらのケースは横向きに、そして部屋の奥へと導くかのようにゆとりを持って等間隔に並べられている。


 一番手前のガラスをそっと覗き込むと。

 そこには四肢を緩やかに投げ出し、穏やかに瞼を閉じた若い女性の身体が横たえられている。


 まるでこの空間だけ時間の流れが止まってしまったかのような、そんな気分になる。

 この空間において、動いている自分こそが異質な存在であるかのような、そんな気分に。


「……どうだ、すごいだろ?」


 はっ、と。

 男の声で我に返る。


 僕は眼下にある女性の身体から目を逸らし、いつの間にか真後ろにいた男の方を振り返った。

 そこには嫌らしい笑みを浮かべる男の姿が。


「あ……ああ。死んでる、んだよな?」

「そうだ」

「ここにあるもの、全部か?」

「その通り」


 嬉々とした表情で頷く男。

 僕は部屋の奥――まだ見ぬ死体の方へと視線を注ぐ。


「……いったい、どうやって」

「それは、どうやって死体をこんなに綺麗に保存しているのか、という問いか?」

「……ああ」


 他にも、そもそもどうやってこんな数の死体を集めたのかという疑問もありはするのだが。

 ひとまず男も話したそうにしていることだし、そちらの問いに答えてもらうことにする。


「お前、エンバーミングって、知ってるか?」


――エンバーミング。


 それは死体の防腐処理のことだ。

 僕もなんとなくは知っている。


 しかしあくまで僕は人間を解剖し、その中身を見てみたいという欲求が強いため、保存に特化した処理についてはあまり知識がないのも事実であった。


「まあ、なんとなくは」


 僕の返答に、男はそうかと男は満足げに頷く。


「ま、日本ではあんまり普及していないからな。火葬が一般的だから土葬の場合と違って衛生面での危険性がそれほど高くもないし」


 エンバーミング、とは。


 遺体に薬剤処理などを施すことにより肉体の腐敗速度を遅くし、また修復することで、感染症を防いだり長期保存を可能にしたりするものである――と僕は記憶している。


 土葬文化のある国では感染症の蔓延を防ぐため。

 日本のような火葬を行う国では、遺体の状態変化を軽減し、故人との別れにゆとりを……とエンバーミングを勧める葬儀屋もあるらしい。


 ただ実際のところ、男も言ったように日本ではいまだ普及していない技術・文化ではあるようだが。


「ちなみに、エンバーミングが施されたとして有名な人物の一人がレーニンだな。レーニンの身体は、今も定期的なメンテナスを行いながら一般に公開されている。彼が死んでもう90年以上経つってんだから、驚きだろ?」

「……へえ」


 それは、確かにすごい。


「で、俺はそのエンバーミングの技術を持つ、エンバーマーなわけ」


 日本ではなかなか貴重だぜ? と男は誇らしげに続ける。


「職業としてもやってて、一応依頼があれば普通に一般的な処置を施して依頼者に遺体を返還するんだけど。

 ここに置いてる死体は全部俺が俺の芸術のために集めて、一般的なエンバーミング技術に俺オリジナルのテクニックを加えた、最高品質の芸術品ばかりだ」


 つい、と。

 僕の肩越しに、男がガラスケースの表面に指を滑らせる。


 愛おしそうに。

 繊細に。

 そして時折いやらしく。


 まるでガラス越しに女性の体躯の輪郭をなぞるように、男は愛撫する。

 目の前でうごめくその5本の指に僕は微かな吐き気を覚えた。


「俺の芸術を評価し、投資するやつらも存在する」

「……パトロンってことか」

「ま、そうなるな」


――割と見た目は真面目そうなやつほど、狂信的になるもんだぜ。


 男は舌なめずりをして、そう謳う。


「俺のこの芸術が世間的には狂ったもんだっていうのは、もちろん分かってる」


 でもな、と男は溢れんばかりの笑みをこぼす。


「そんな狂ったもんを求めるやつらは、その世間様の中にいくらでも紛れてるもんなんだぜ。いかにも自分は常識人ですよって顔をしながらな」


 そこで男は満足したのか、もてあそんでいた指を収め、踵を返した。


 そういえば、男の側にはまだあのスーツケースがある。

 男は僕に見せつけるようにトンとそれを手の甲ではじいた。


「じゃ、俺はひとまずこいつをかるーく処理してくるから、お前は好きに俺の傑作でも眺めとけよ」


 足取り軽く男はこの空間を出ていく。

 入るときが指紋認証だったのに対し、出るときはセンサーで扉が反応するらしい。


 僕は十の死体の中にただ一人。

 唯一の生きた人間として取り残された。



――これが、芸術。


 僕と男の価値観の違いを感じながら、一歩、また一歩と部屋の奥へと進んでいく。


 一体一体の顔を眺めながらその綺麗さに改めて驚き。

 そして最後の一人が目に映ったとき――。


「――は?」


 ドクン、と心臓が呻いた。

 ギギギ、と錆びたカラクリ人形のように目玉が――意識が、ただ一点だけに注がれていく。


 浅くなる呼吸。

 強張るからだ。


 一瞬にしてカラカラに乾いた喉を必死に震わせて。

 発せられたのは、たったの一言。



「――とう、さん?」



 目の前には、僕と妹の前から姿を消したはずの最低最悪の父親が


 死体となって存在していた。

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