EP1:沈黙の霧、鐘の音

「ふぅ、さすがに山深いところなだけにヴィランの気配がしないね」


 エクス達はカオステラーを探す旅を続けていた。エクスにとって旅をする大きな理由、それは自分の存在の意味を探す為である。何の役割も持たない空白の書を与えられたものとしての存在の意味がきっとある。目には見えないけど確かにあるそれを探す旅だ。

 エクスは同行するレイナの「勘」でカオステラーの気配がする方向へ鬱蒼とした茂みをかき分けながら足を進めていた。


「本当にこっちであってんだろうなぁ? どうもお嬢の勘は信用ならねぇんだよ」


 タオはそうレイナに言い放つ。タオはこの旅の自称兄貴的存在だ。


「あってるわよ! 嫌ならさっきの道まで戻ればいいじゃない! 完全に遠回りもいいところだけどね!」


 調律の巫女レイナ。カオステラーをストーリーテラーへ修復することのできる特殊な能力を持つ。カオステラーに滅ぼされた国の王女だったらしいが詳細はわからない。その事については誰も聞こうとはしないし、レイナも話したくはない過去に違いはない。ちなみにタオにはお嬢と呼ばれている。


「姉御。この間、水汲みに行くって言ってどれくらいかかりましたっけ?」


「に……二時間よっ! 少し疲れたから途中で休んでいただけじゃない!」


 レイナを姉御と呼ぶのはシェイン。武器マニアでさらにカスタマイズが好きなタオの妹分。ちなみにタオのことをタオ兄と呼んだりする。


「二時間だぜ、二時間。山道下れば五分とかからねぇのに。あの道のり二時間かける方が難しいぜ。やっとお嬢の姿が見えたと思ったら、膝すりむいてて涙目で途中で転んだとか言ってよ。見たらすする程度の水しか残ってねぇときた。もうむしろ笑えてきたよな、あんときゃ。はは」


「っさいわね」


 先を歩くタオの背中を結構マジな目で睨むレイナ。


「でもレイナも頑張って運んでくれようとしたんだからさ。もうやめとこうよ。可哀想だよ。見てるよ。見てる。レイナ見てる」


 囁き声でタオに耳打ちするエクス。可哀想だと理由もあるが本当のところ、エクスはこの一行の中で怒った時のレイナを最も恐がっており、マジな目をするレイナに危機感を感じているのである。


「まぁ、お嬢にも悪気がねぇってのももちろん分かってんだけどな。悪気はともかく、色気くらいあってくれりゃ俺だって水くらい……」


 聞こえていないことを願いながらエクスはレイナの表情を伺う。だが願いも空しく、レイナにはしっかり聞こえていたようでマグマが山頂から吹き出す寸前の顔をしている。


「あーーもーー!! うるさいうるさいうるさーーーい!! 水を汲んでこようとした努力も少しは評価してよ!! その曲がった根性、調律してやるわっ!」


 顔を真っ赤にして今にもタオに飛びかかろうとするレイナを何とか静止し宥めるエクス。


「まぁまぁ! タオも本気で言ってないよ! きっと冗談だよ! 冗談!ねっ!タオ! ねっ!」


「タオ兄。タオ兄の言うことも一理ありますが少し言い過ぎです」


シェインの追い打ちもあってか少し悩み、申し訳なさそうになるタオ。


「……わかった! 俺が悪かったよ! 言い過ぎたよ! ……まぁあんときもお嬢が遅れたお陰で近くの村の人に飯をご馳走してもらえたし。確かに結果オーライな事が多いしな。そう考えると今回もなんとかなんだろ。お嬢がポンコツ姫で助かったよ! あははは!」


少し照れ臭そうに笑うタオ。


「全く、褒めるか貶すかどっちかにしてよね」


 そっぽを向き、不満ながら落ち着いた様子のレイナにエクスもシェインもホッと胸を撫で下ろした。





「ねぇ、あれ見てよ」


 茂みの奥、見えた先には足が竦むほどの深く広い谷が広がっており一本の長いつり橋が掛かっていた。


「おいおい、何だこれ。モヤが掛かっててつり橋の向こう側が見えねぇ」


「まるで何とかの十戒ってやつみたいですね」


「あれは沈黙の霧よ。この谷の向こうにカオステラーがいる」


 レイナの顔が急に強張る。強い恨みと恐怖と興奮を混ぜたような顔。エクスはその顔を見て、何故かいつも悲しくなるのだった。


「でも姉御。このつり橋、強度に不信感を抱かずにはいられないのですが。他に迂回できるような橋はここから見渡す限り無さそうですし、これを渡るしかないとしても途中でつり橋が壊れれば確実に谷底に真っ逆さまですよ」


 シェインのあまり感情に左右されない判断は考慮すべき事で今までもそうしてきた。だがカオステラー絡みの事となるとレイナはあまり周りが見えなくなる事がある。今回もそう。


「待って、レイナ!」


 今にも落ちそうなつり橋の向こうへ一人足を進めるレイナをエクスは足早に、だが慎重に追いかけた。


「姉御、人の忠告は聞くもんです。……タオ兄、私たちは少し待ちましょう。姉御たちが見えなくなってしばらくしたら向こう側に渡りきっているでしょうから、それから私たちも渡る。それでいいですか」


「ああ。……全く、お嬢のやつ」


−−ギシ、ギギッ、ギシッ、−−


 レイナは揺れるつり橋に足を取られながらも谷の向こう側へたどり着く。エクスは追いかけたもののレイナの早さについていけず橋を渡りきるまでに追いつけなかった。レイナはようやく後ろに誰もいない事に気付き、つり橋の上にエクスの姿を見つけ声を投げる。


「エクスーっ!みんなはー?」


「たぶん、僕たちが渡りきってから来るんじゃないかなー!危ないとか言ってたからー!」


「わかったわー! エクスも早くこっちへー!」


 声を受け取ったエクスが何かに気がつき、睨め付ける。声を上げながら急に走り出す。


「ヴィランだ!!」


「クゥルァアアアアアアアアア!」


 レイナの背後にヴィランが複数体現れ、その中の一体が襲いかかろうとしていた。


「おいでなすったわね」


 ヴィランが爪先をレイナに向け、飛び込んでくる。レイナはひらりとかわす。


「なんてことないわね!」


 再びヴィランが襲いかかってきたが、レイナは軽快な身のこなしで避ける。だがそのヴィランの爪先は今こちらへ加勢せんと走るエクスがいるつり橋のメインケーブルとも言える箇所を切断してしまう。


「うわぁああ!」


 布がはだけるように音をたてながら崩れる橋。剥がれた足場の板がひらひらと谷底へ落ちていく。





「おい。何かおかしくないか」


「橋が!」


 タオ、そしてシェインはつり橋の異変に気がつく。渡ろうとしていた橋が見る見る崩れ、まるでそこには何もなかったかのように崩れた橋の木屑の匂いだけがそこに残っていた。


「マジかよ……」


 成す術もなく、タオとシェインはその場に立ち尽くしていた。





「くっ! ……早くっ! 上がって!」


 間一髪、レイナはエクスの手を掴み谷底への落下を免れた。だが崖の淵に寝そべり、エクスの手を精一杯握るレイナの背後には先ほどのヴィランがいる。


「グルルルァアアアアアアアア!!」


「くっ」


 その時、森の奥から響く何らかの鐘の音。


−−ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン−−


 その音を耳にしたヴィランたちは危害を加えることなくレイナたちに背を向け、森の中へ消えていった。そのお陰もあり、レイナの手を借りエクスは這い上がることができた。エクスを引きづり上げた途端、その場にへたり込むレイナ。


「大丈夫!? レイナ!」


「……危なかったわ。本当に」


 レイナは死、またはそれに匹敵する傷を負う覚悟と自分が倒されてしまうとエクスまで犠牲になってしまうと懸念した。急で大きな緊張から解き放たれ、腰が抜けたようだった。深いため息をつき、腰をあげるとお尻についた土埃をパンパンと叩いて払った。


「エクスも怪我はない?」


「え、うん。大丈夫だよ。それよりレイナの方が」


「私は大丈夫よ。ヴィランの攻撃も受けていないわ。それにしても何だったのかしら今の音。とても不気味だったわ。ヴィランもその音に吸い寄せられているみたいだった。ま、そのお陰で助かったんだけど」


「何だか悲しそうな音だったね」


 エクスは一息ついたところでつり橋が崩壊したことを思い出す。


「タオ、シェインは大丈夫かな! ……まさかっ!」


 崖に身を乗り出し谷底に目を凝らすエクス。だが沈黙の霧に包まれいる今、周囲の景色はあまり良く見えない。


「タオならともかく、シェインが付いているからきっと大丈夫よ」






「うぇっっくしょん!! ……なんだ?」


 鼻をすすりながら沈黙の霧の中を見つめるタオ。


「タオ兄、二人ならきっと大丈夫でしょう。とにかく向こう側へ行く別ルートを探しましょう」


「ああ、そうだな。エクスならともかくお嬢は不死身だからな」






「ックシュン ……何かしら?」


「行こう。レイナ、何だかわかんないけど近い気がするんだ」


「ええ」


 エクス、レイナは沈黙の霧の中をその霧の中心を探すべくまた歩き始めた。




 しばらくヴィランの気配を傍に感じながら歩いていると宿のような建物が見えてきた。白い側壁に綺麗な窓。景観に見とれているエクスとレイナ。


「クルァアアアアアアア!!」


 先ほどの鐘の音に吸い寄せられたヴィラン達がレイナたちに気付き、襲いかかってきた。


「レイナ。まただっ!」


「多勢に無勢とはこのことね!」


「さっきのお返しだ!」





 ヴィラン達を追い払うと先ほどは気がつかなかった違和感が二人を襲う。


「なんだここ。やけに大きいな。綺麗なのに人の気配が全くない」


「そうね。柱の装飾といい、別荘かしら? カオステラーの気配を感じるんだけど何か変ね」


 庭も綺麗に手入れされているが周りを見渡してもこの建物へ繋がる道は無さそうだ。エクスらは獣道を通ってきたがその道はあのつり橋があった場所につながっている。つまり谷しかない。


「ここも随分と賑やかになったもんじゃ」


「うわぁ!」


 背後に現れたのは普通のおじいさんだった。白髪でメガネを掛けて腰を曲げて杖をついてもう片方の手は背中に回しているような普通のおじいさん。何の気配も感じず急に現れた為、この場所の雰囲気も相まって二人ともかなり驚いてしまった。


「レイナ……」


 エクスの呼びかけにハッと我に返るファイティングポーズのレイナ。しっかり握りしめた自分の両手を何度か見直した後、その手を体の後ろに恥ずかしそうに隠した。


「ごめんなさいっ! あたしったらっ! ……へへ」


「ばぁさんや。そこに虫籠があったじゃろ。孫に虫とりのひとつでも教えてやらにゃ……。あとそこのカップルに酒でも出してやんなさい」


「カップ……!?」


 エクスとレイナは目を合わせる。声も合わせる。


「違いますっ!! ……あれ。おじいさん?」


 目の前から忽然と姿を消したおじいさん。エクスとレイナは辺りを見渡す。

 

「やだっ! なに!」


「どこいっちゃったんだ? おじいさん。もしかして気のせいだったのかな」


「気のせいですって! そんな事あるもんですか! ……いえ、そうね。そう言う事にしておきましょう。ここはなんだか変だわ」


「変なの。でもなんだか不思議でわくわくするね」


「全く、お気楽ね」




 宿の玄関の扉が開け放たれている。玄関の奥に足を運ぶと目の前にエクスの背を超えるほどのそれはそれは大きな古い時計があった。金色の振り子がゆっくりゆっくり左右に揺らいでいる。


−−チックッ、タックッ、チックッ、タックッ−−


「すごい、立派な時計。……レイナ?」


「この時計すごく嫌な感じがする。気をつけた方がいいわ」


 レイナは小声でエクスに囁いた。


 とても大事されている時計だということは見ただけでわかった。時計の扉の中になにやら綺麗ななにかが光っている。


「なんだ。これ」


「ああ、それは時計のネジを巻くためものよ。こういう古い時計はネジを定期的に巻いてやらないと動かなくなってしまうの。……貸して。ほらここに、こうして。これでよしっと」


「ほうほう。物知りだね」





 宿の周囲を歩き回るが家一軒さえ見つからない。日も傾き、夕食時になった。エクス、レイナは誰もいない宿に戻る。二人だけの大きな食堂。乾いたパンをかじる。


「昼間のあれはなんだったんだろう」


「ひっ、日が沈むってのにそんな話しないでよね!」


 ろうそくの明かりだけが二人を照らしていた。


−−チックッ、タックッ、チックッ、タックッ−−


「もう月があんな所まで。今日は時間が過ぎるのが早いわ。沈黙の霧が少し晴れているのね」


 気がつけば夜の十一時を回ろうとしていた。


「レイナ。まだ嫌な気配はする?」


「ええ。あの時計……おそらく」


 その時だった。


−−ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン−−


「この音っ!」


 エクスとレイナは立ち上がり、音のするその方向へ向かった。


「やっぱり、この時計だったのね」


−−ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン−−


 地に響きわたる程の音。窓のガラスが音を立てて揺れている。


「十一時五分。なんでこんな時間に鐘が」


「鐘の音が増えてる?」


「なにが起きるんだ」


「わからない。だけどもし、あのつり橋でヴィランたちが襲ってこなかった理由がこの鐘の音に反応して引き寄せられたからだとすると……ここは危ないわ! 逃げるわよ!」


 レイナはエクスの手を引き、逃げようとするがエクスは動こうとしない。


「なにしてるの! ヴィランの群れがここに向かってくるのよ!」


「見て! あれ!」


 玄関から見える庭に大勢の人の姿が見える。


「人? どうして!」


 暗闇の中に突如として現れた人たちは場に合わない会話をしている。


「いいところねえ。このお酒もおいしいわ。あんた、また来年もつれてきてよね」


「にーちゃん! こっちに変な虫がいるよ! 籠にいれてよ!」


 エクスは困惑していた。


「なんなんだこれは」


「見て! 時計の形が!」


 時計の形が徐々に変化していく。


「まっ、まさか時計がカオステラーになったとでもいうの!?」


 人々が現れた奥。茂みのほうから大量のヴィランたちが集まってきているのが窓から確認出来る。


「グォルルァアアアアアアア!!」


 人々はヴィランに気がついていないのか平然と会話を続けている。


「レイナ! 僕たちが食い止めるしかない。 二人しかいないけどきっとなんとかなるさ!」


 何かを納得するとふっと笑みを浮かべるレイナ。


「全く、本当にお気楽なんだから。行くわよ!」


 二人は迫り来る大量のヴィランを迎え撃つ。

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