第31話 VERTIGO ~眩暈~

 ボクは、貴方にとってどんな存在だった?

 

 疎ましく思うことはなかった?

 邪魔じゃなかった?

 

 ねえ? ウィリアムさん。

 あの日のことを覚えてる?

 

 ボクと貴方が出会った日のことを。

 神様が会わせてくれた、奇跡のような出来事をボクはきっと忘れないよ。



 *****


 


 冷たい雨が降る冬の午後。灰色の空の隙間から太陽の光が降り注ぐ。それを雨粒たちが上手に取り込み、幻想的に瞬く。淡い光を利用したかのように虹が出る。ドーム型のアーチは、ある一定の場所を取り囲むように耀く。それは、ビルの最上階から鮮やかに見えた。

 この世界はこんなにも美しいのに、荒んだ心は晴れなかった。


 スタジオには大勢の人の群れ。所狭しと積まれた機材にハンガーラックに衣装が並べられ、様々な音が飛び交い、とても慌ただしい。照明が当たり、目がうまく色を取り込めずに俺は眩暈を起こしてしまう。

 理由はわかっていた。睡眠があからさまに足りないことを。ロクに何も口にしていなかった事を。バランスよく食事を取る事が大事なことだって理解はしている、それでも無理に口に入れると吐き戻してしまう始末。このままではいけないと身体が悲鳴を上げたとしても、言うことを聞かないことなんて稀にあるだろう?


 数人の悲鳴が遠くで聞こえ、スローモーションのように真っ白な天井を仰ぎ見ると、全身に衝撃を受け、次の瞬間には真っ暗な何も無い場所に俺は座っていた。



「なあ…… このままなかった事にして逃げちゃえば?」

 

 ……なんだよコイツ? 馴れ馴れしいな。


「馴れ馴れしくなんてないでしょ? せっかく良いこと教えてあげてるのに!」

 

 ああ、こういうタイプか…… 面倒くさい。無視、無視! あ〜 しつこいな!


「無視したって無理だよ? ……人の事なんてどうでもいいクセに!」

 

 なんのことを言ってるんだよ…… いい加減どこかに行ってくれよ!


「自分の事ですら、どうでもいいって思ってるクセに! 偉そうなもんだね? 馬鹿ほど怖いものは無いねえ……」

 

 ……何を分かったようなこと言ってるんだよ! うるさい! うるさい! うるさい!


「そりゃ~分かるさ…… お前のことなら、なんだって知ってるよ? アダム! ……だって俺は……俺なんだからね!」

 歪んだ顔の俺が厳しく咎める。今にも触れそうな距離で俺の目を捉え、声色が低く、スロウに耳から入り頭に響く。脳を覗かれているような痺れが首筋から走る。絡みつく嫌な声は、壊れかけの人形の音声に似ていた。ぎこちなくて、そこに居たくないと、逃げ出したいと、身体中が騒ぎ出す。



「うああああああ!」


「アダム!」

 ベッドの上で目が覚め、身体を跳ね上げた俺は飛び起きる。汗を全身に感じて不快に思う。その時、誰かの気配を感じ視線を下に移す。

 俺の手を握ったイライザが泣き出し、俺を強く抱き締めて嗚咽を漏らす。


「イライ……ザ? ……姉さん……ごめん……」

「貴方に無茶ばっかさせたわね。アダム……少しの間、仕事は全部キャンセルして休んでもいいのよ?」

「……ああ、大丈夫だよ! みんな待ってるんだよ? ね?」

 まだ大人になりきれてないのは俺だ。裕福になろうと姉弟で、あの町を出て頑張ってきたんだ。ここで全てを壊すわけにはいかないんだよ。そう、あの時誓ったんだから。


「もお~! イライザ! アタシの出る幕ないわよ~! 目が覚めたアダムを抱き締めるのはアタシがやりたかったのに!」

 買い物袋を両手に持ち、ユアンが眉間にシワを寄せ眉を下げ笑う。腰を左右に揺らしながらリズムをとりゆっくりとこちらに歩いてくる。派手好きなユアンの上着が目に眩しい。


「ユアン……居たのね!」

 泣き顔が見られたことで照れ笑いをして、いつも通りの顔でイライザが慌てて俺の手を離した。


「ずっと居たわよ! 本当に強がるわね〜 アンタは……違うわね? アンタ達は、かしらね! でも、アタシそういうの嫌いじゃなあ~い!」

 ユアンは駆け込むようにベッドの上にダイブして大笑いした。その姿と笑い声につられて、ふたりは吹き出し笑う。


「ねえ…… 最近アンタの様子がおかしいってみんな噂してるわよ? 」

「……俺の?」

「もう! アンタ以外の話を今誰にすればいいのよ? ナニをどう聞いたらそうなるのよ! 馬鹿ね!」

「……んふふふ」

「あら、ヤダ……アタシ変なこと言った?」

 優しさに包まれながら、俺は一筋の光を見たよ。

 

 俺は、もう迷わない。

 グラン…… キミを俺は助けたい。



 *****


 浴室にティノが入り、ドアを閉める音が部屋に響く。事務所はそれ以降の音を立てずに静まり返る。ウィリアムは窓の外の降り頻る雨を眺め、指先で小さな銀細工の十字架を廻す。時折、光を反射させ壁に小さな光を揺らした。

 ニールはソファーに浅く腰を掛け、あれから何も言わず、床を睨みつけていた。その姿を見るシモンは、形が変わり果てたニアのお気に入りだったタンブラーを両手で握り締めていた。ユニコーンの絵柄は引き摺られたような深い傷が付き痛々しさを表す。


「お茶を……」

 ガブリエルは温かい飲み物をテーブルに用意し、キッチンにすぐに姿を消す。


 誰も言葉にはしないが、想いは同じだと僕は思った。ニアが連れ去られた先は、あの『道化のコルトレーン』の所だと。


 時の流れは残酷で、余計な事を想像させるばかりだ。よくないと思うよ。でも、誰にだってそんな時はあるんだよ。今は焦っても仕方がないんだと、雨が激しく窓を叩きつけ濡らした。



「……ねえ、ティノのお風呂長くないかな?」

 沈黙を破るように、シモンがバスルームにそっと目を向ける。その言葉を耳にしてニールは顔を上げ、声を荒げて立ち上がった。


「……ティノ!」

 

 あの時の映像がニールの頭をよぎる。

 赤い水が溢れ流れるバスタブ。バラの香りと、それに交わろうと強引に血の匂いが邪魔をする、あの噎せ返る匂い。青白い肌。眠るような母の顔を……


 急いでバスルームの扉を開けると、ティノが項垂れるように片腕をバスタブから出し、シャワーの湯が無意味な程に流れていた。バスタブの溢れる湯が床に広がって、部屋を開けたことにより、外の気温との差で大量の湯気がティノの姿を滲ませる。


「ティノ!」

 目を大きく見開き、ニールがバスタブの中で動かないティノを支え、強く抱き締める。暖かな温もりが指先を伝わって、ニールは抱き締める手をさらに強めた。肩に顎を乗せ、真っ白なティノの肌を目に映すと、ニールは瞼を強く閉じた。


「……アタシのせいなの……ぜんぶアタシが悪いの……アタシがあの時、出掛けようなんて誘わなければ……ニアは……ニアは……」

 弱々しいティノの声が聞こえ、ニールの首筋に息がかかる。


「オマエのせいなんかじゃない!」

「アタシが居たから……ニアが連れて行かれちゃったのよ……アタシが居るから……アタシなんかが居るから……みんなに迷惑かけちゃった……」

「ティノ! 誰もそんな事を思ってねえよ! 大丈夫だ! 大丈夫だ……俺が必ず、ニアを連れて帰ってくる! だから、もう泣くな……」

 ワイシャツがティノの身体からの湯で濡れ、肌を透けさせていく。ニールの腕を掴むティノの細く白い指先の力が少し強くなる。ティノの濡れた肌が吸いつくように、ニールに身体を預ける。嗚咽を漏らし、力無く泣くティノはニールに抱きかかえられたまま、とうとう大きな声で泣き叫ぶ。本当に泣き叫ぶとは、こういう事を言うのだろうと、バスルームの外の扉にもたれかかるシモンが視線を足元に落とす。

 

 ガブリエルは何も言わずに、テーブルの上の小さなリボンの付けられた箱を指で弾く。片付けられる事を拒んだ、クリスマスのツリーの小さなオーナメントが淡く光る。

 

 ウィリアムの張り詰める空気は、あの時を思い出させた。あの車内での、ニアの話を切なく語った、あの日の瞳を。みんな同じ気持ちだった。ただ今は、あの笑顔に会いたいと、そう思うのだ。


 神様が、もしもいるならば……貴方はとても残酷で、そして冷静に、この状況を見ているのでしょうね。


 

 泣き疲れたティノがベッドで眠りに落ちるまで、ニールは繋がれた手を離さずに座る。黙ったまま、ただ、ティノを見つめ続けた。


「ニール…… 一度身体を休めて。僕がティノを見ているから、大丈夫……僕を信じて……」

 シモンの目はニールの背中を真剣に見て、それ以上は何も言わない。そっとティノの手を離し、ニールは静かに頷く。そんなニールの背を見届け、シモンは涙で赤くなったティノの頬を撫でた。

 

 今は部屋の温度が生温く感じる。今までが、どれほど緩い空気を纏い幸せだったのだろうか。不安を抱え僕はティノの手に、おでこを軽くあてがい目を閉じた。



 *****


「今更ボクを収容したって買取先なんてないと思うけどな~? 賢い選択じゃないな~? ねえ! どこかで見てるんでしょ〜!」

 鷹揚に構えるニアは大声で騒ぐ。真っ白な壁と真っ白な床にニアは嗤笑する。箱に収容する前にニアの身体は隅々まで見られるのだろう。あの時と同じだ。膝までが隠れた白衣、腕に番号札が、左足首には足枷を付けられている。


「ホントに相変わらず趣味悪いなあ〜」

 診察台に金魚の入った水槽を見つけニアは覗き込む。尾鰭を揺らめかせ、まるで濃艷な女のようだ。水の中で優雅に軟質な煌びやかな鰭を漂わす。金魚はニアの目には妖美な悪女に見え、憎悪の目を向けた。

 

 部屋中を観察し、物色していくうちに電気のついたガラスケースが見える。


「まさか…… ボクのほかに、誰かいるの?」

 急ぎ足で近づくと、ガラスケースの中で仔猫が小さく丸くなって眠るように、少年の姿がニアの目に映る。ガラスに両手を付き中を覗く、寝息を立て眠っている少年の姿に何故かニアは安堵の溜息を吐く。


「こんな状況で呑気なことで…… おーい、聞こえる? おーい……」

 ニアは番号札を確認してガラスケースをつつきながら声をかけた。

 微かにまぶたが動く。ゆっくりと瞳を開けると、彼は眩しそうにニアを見上げた。それを確認してニアは首を傾げ口元だけを歪ませ笑った。




 *****



「ユーリー…… 教えてほしい事がある……」

 パーテーションを取り除いた、あの大きな水槽を前に、ニールがマーメイドのユーリーに問う。淡く揺蕩う髪は美しさを増すばかりで目を伏せたくなる程だ。マーメイドは孤を描き、ニールの目を純粋にまっすぐ見つめ続ける。


「ニアが…… 居なくなった…… どうすればいい……俺は無力だよ。何も出来ねえんだ、教えてくれないか……」

 ニールは床に膝をつき項垂れる。自分の無力さと、言葉だけのちっぽけな存在だと打ちひしがれてた。


 水面が跳ねる音がする。水しぶきが上がり水の玉が落ちて、床に水滴となり染みていく。その音にニールが水槽を見上げると、水槽の淵に腕を乗せ、濡れた髪をかきあげる妖艶な微笑のユーリーがニールを見下げていた。






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