第29話 孤独の音は脇道に逸れる

 この世にもう誰も居ないのじゃないか? と、いう感覚に溺れる時がある。それは気がどうにかなってしまいそうな孤独。


 静まり返った部屋。まるで水分だけを欲するように絡み合い、騙し合いを続けた。生業(なりわい)……都合のいい言葉だね。興味など本当はないというのに、相手が別れを告げるまで待つのが楽だと俺は思うんだよ。歪んでるって? そんな事は自分がいちばん感じている事だ。笑いたければ笑うがいいよ。俺は歪んでるって、自らおかしいと理解している。だけど、そんなルールにもそろそろ飽きてきたのかな。


 愛など知らない。愛する事など知らない。よく俺はそんな事を思うのだ。愛など人のエゴだと。愛なんていらないと……俺は思うんだよ。



 *****


 仕事の為、一度マンションに戻る。部屋に入り冷たく温もり等を全て感じない遮断された雰囲気に包まれた。いつもの時間が今までの事を何も無かったように流してしまう。熱いシャワーを浴室で頭から浴びたままで鏡に映る姿を見ていた。

「偽善者なんかじゃないよ? 自分でも驚いているんだ」

 誰にいうわけでもなく鏡の中の自分を再度見て作り笑いをする。優しさも怒りも滲み流れていく。空っぽの自分で前に出る事が正解なのか? どこまで変われるのか、演じる事の延長線上の悪ノリ? いや、きっと見透かされてしまうだろう。何をここまで思い悩む事があるだろうか……こうして自問自答を繰り返すのはいつぶりかな?



 *****


「アダム! 聞いてるの!」

「……あ、うん! 聞いてるよ? イライザ……」

「顔色が良くないわ、メイクでどうにか出来るかしら?」

「イライザはさ……」

「なに? アダムから話しかけてくるのは久しぶりね? どうかしたの?」

「大事な人って居る?」

「あら、唐突な質問ね……そうね〜居ないこともないわよ! でも、今は目の前のことで手一杯かしらね?」

 普段は見せない少女のような笑みを浮かべる彼女に少しだけ温かさを感じた。


「……イライザ?」

「さあ! 次のシーンは大事な見せ場よ! 行ってきなさい!」

「ああ! 行ってくるよ!」

 背中を押すイライザの手は心做しかいつもよりも温かく優しく感じた。振り向きもせずに走っていくアダムの後ろ姿を腕を組んでイライザは黙って見送る。


「アダムくん……何か悩みが吹っ切れたのかしら?」

「あら、ユアンどうして?」

「これ……さっきもらっちゃったんです! 先日アタシの手が荒れやすいって何気なく言っていたのを覚えてくれていたみたいで……とっても嬉しいわ!」

「アダムが……明日は槍が降るわね?」

 ヘアメイク担当のユアンが嬉しそうにハンドクリームをイライザに見せた。それを見たイライザは含み笑いをして唇をゆっくりと舐める。


「ユアン? 今日のネイル可愛いわね?」

「あら! 分かる? 新しく出来たサロンでやってもらったのよ~!」

「ユアン? 何かに気がついたらどんな事でもいいからまた教えてちょうだい!」

「心配性ね! これはアタシの感覚だけど……同じ男としての感だけど、アダムくんは恋でもしたのかしらね〜」

「恋ね〜マスコミだけは気にしなきゃね……ってユアンは女の子なのでしょ?」

「やだあ~! アタシったら忘れてたわよ!」

 トランスジェンダーのユアンは目利きが、ずば抜けており、イライザはアダムが売れるきっかけを作った張本人と一目を置き、信頼もしていた。



 *****


「……ティノ、ねえ?」

「……うん? なあに?」

「……なんかさあ。今日って、すっごく天気良くない?」

「うん…… ずっと窓の外を見てたからアタシでも分かるわよ」

「……そう? なんだかさっきから、お腹空かない?」

「そうねえ〜 ……って……どうしてみんな居ないのよおおおおおお!」

 朝から留守番を頼まれたニアとティノは、窓際のぎりぎりまでソファーを移動させ、子猫の日向ぼっこのようにくつろぎの空間を作っていたが、数時間で暇を持て余してしまっていた。冬の陽射しはふたりを包み込む。ソファーに寝そべりクッションを抱き締め、そのままの姿でニアは消え入りそうな声でティノに声を掛けた。ニアのやる気のない声にティノがやる気のない声で返す。実にダラけきった空気が漂う。徐ろに何かに気がつくようにティノがソファーに立ち上がり、大声を上げた。


「ガブリエルさんまで居ないなんて…… あの人執事なんでしょ! どうして今ここに居ないのよ! どういう事なのよ? つまんないわ!」

「それはそれはどうも…… ボクだけで悪かったね?」

「悪いなんて言ってないわよ! ……ただ、今回置いていかれた理由が理由だけにイヤなのよね……」

「ボクだってイヤだよ…… でも、きっとボクらには出来ない事もあるんだよ…… 行ったとしても邪魔になっちゃうだけでしょ」

「……ねえ? こっそり出掛けちゃわない?」

「へ? あ〜 ……それいいね!」

 飲み終えたカップの底に紅茶の輪が出来、それをじっと見つめたティノが徐ろに空を仰ぎ見て目を細める。そんなティノを見ることもしないで、ニアはソファーの上で爪の甘皮を気にして耳に声だけを入れていつものような嫌味を言う。ティノは気にせずに話を続け、ニヤニヤと悪い顔でニアを見下ろすと、酷く企みを孕んだ声で提案を出した。ティノの提案に耳を傾けニアは眉を片方だけ上げ、さっきまでの眠そうな目はキラキラと見開き口元を歪め笑った。


 急いで着替えをしたふたりは、タンブラーに飲み物を入れると、事務所の扉に鍵をかけて冒険者気取りで階段を駆け下りて行った。


 そのふたりの後ろ姿を見つめる影が長く、ビルの谷間に消えてなくなる。街を不穏な空気が掠めていく。午後の陽射しを隠すように薄い雲が風に流れる。

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