第21話 Who are you?

 結局はさ。みんな最後は一人ぼっちなんだって。

 だってさ、アタシはひとりで産まれてきたんだから……

 

 ねえ? パパ

 ねえ? ママ

 

 ねえ、そうでしょう?

 そう、なんでしょう?


 *****


 あの封筒を開封し、中身を目にしたニアは事務所に帰るまで、結局ひとことも喋らず、僕たちの誰とも目も合わそうとすらしなかった。


「ニア! いい加減何か喋れよ! いきなり部屋に閉じこもったって意味わかんねえだろうが! おい! ニア、何が書いてあったか知らないが、とにかく出てこいよ! おい!」

 ニアの部屋のドアを何度か叩き、ニールが大声でニアに声をかけるが、部屋には初めから誰も居なかったように沈黙する。


「……ニール、何があったかは分からないけれど、今はそっとしてあげようよ? 何か気持ちの変化があれば、きっとニアから話してくれるよ。 ね?」

「ああ…… だと、いいけどな」

 僕の言葉に静かに頷いたニールは、冷蔵庫からビールを取り出すと一気に飲み、無造作に袖で口を拭うとウィリアムの椅子を見た。机はきちんと整理されコートも鞄も無く、帰った形跡はなかった。


「オッサン、まだ帰ってねえのかよ……」

「ウィリアム様は今夜遅くなられます。メッセージがあれば私からウィリアム様にお伝えしておきます」

 いつもの黒スーツに身を包むガブリエルが懐中時計をちらりと見て、ニールに丁寧にお辞儀をする。事務所に戻った途端に通常業務に当たり前の事のように溶け込むのはプロ意識が強いのか、よくもまあ、これだけ慣れたものだと心底感心をするよ。


「オマエはあの時、なにか見たのか?」

「いえ、申し訳ありません。ワタクシは何も……」

 ガブリエルはニアの居る部屋を気にするとウィリアムの机のある背後を意識し、目を伏せ首を横に振る。


「そうか…… ったく。やっぱり原因はコイツか? この封筒の中身を見てからニアが喋らなくなった……」

 ニールはジャケットのポケットから封筒を取り出す。僕はその封筒を受け取り、便箋を開けて見る。普通の綺麗な便箋に、聞いたことのない知らないナマエ。


「……なんてことない招待状だよ? あと、このコルトレーンって誰なんだろう?」

「……知らねえよ! その手の胡散臭いのは苦手だ…… 本当に気に入らねえな! 人形だのピエロだの…… 何が「いざなう」だ! 気味悪いんだよ!」

「……シモン様? 今、コルトレーンと言いましたか?」

「え? ああ、うん。これ……」

 そう言ってから、僕は便箋をガブリエルに手渡した。


「道化のコルトレーン……」

「ガブリエルさん? まさか何か知ってるの?」

「おい…… オマエ何か知ってる風だな?」

「ワタクシも噂で聞いただけですが…… 上流階級者しか利用出来ない闇取引の、それも希少価値のあるレッド・データブックのSランクとSSランクだけを扱う売人 ブルー・コルトレーン……」


「アタリ! ガブりん、本当にとっても物知りだね。 そうだよ…… ソイツは世間一般で言う、人攫いってヤツだよ。希少価値のあるレッド・データブックの子供を攫ってはコレクターに高額で売りつけるんだ! 泣き叫ぼうが、お構いなしだよ? 小さなガラスケースに閉じ込めて、逃げられないように足枷までを付けるんだ。それから、御丁寧に番号をつけて呼ぶんだ……」

 そっと扉が開き、ニアが手を叩きながら部屋からゆっくりと出て神妙な面持ちで語りだした。


「オマエ……」

「ボクはソイツから逃げてきたんだ。シモンちゃん…… もう知ってるんでしょ? [富豪と貧民の街ワイアット] 彼処はボクが居た街だよ。正確には…… 収容されてたって言ったほうがいいのかな?」

 頭を掻き、壁に身体を預けたままで眉間をよせると口元を歪めた。その顔は今まで僕らに見せた事のない表情で、今にも泣きそうなぐちゃぐちゃの顔で不器用に笑う。


「……そんな言葉吐いて、そんな顔で笑うなよ。オマエ生きてるんだろう? 今此処で生きてるんだろう?」

「ニール様……」

「助けてくれたヤツに恩があるなら…… そんな顔してんじゃねえよ! ウィリアムのオッサンが今のそんなオマエ見たら、どんな気持ちで、どう思うか考えろ! 此処で今、俺に、みんなに誓えよ! そんな言葉は二度と言わねえって誓えよ!」

 奥歯をグッと噛むニアの全身が震えているようだった。大粒の涙は頬をつたい、床には赤黒い石が小さな音を立て落ちていく。


「ウィリアムさ……ん……ごめ……んなさ……い……ごめんな……さい……」

「ニール様…… ニア様はもう理解しておられます。しっかりとそれはもう……」

 ニアの肩を抱き支えて、ガブリエルが悲しげに眉をひそめてニールを見上げる。


「ニア! オマエは今夜はとっとと風呂入って寝ろよ? あと、明日の朝はそうだな…… 得意なパイ焼いて、特別なお茶を用意しとけよ! シモン! ガブリエル! 後は任せたぞ!」

「ニール! こんな時間から何処に行く気?」

「ちょっと思い当たる節があってな…… 入り用ってやつだ!」

 そうひとことを残すと車の鍵を握り、ニールは出掛けて行ってしまった。


「ニール……」

 ニールの背を見送ると、ニアは今にも溢れだしそうな言葉を一度押し殺して拳に力を込め踏ん張った。そして、ゆっくりと僕らに振り向き言葉を吐き出した。


「 シモンちゃん、ガブリエル…… ボクの事を嫌いになんないでくれてありがとう。目の前のこんな情けなくて、ちっぽけなボクを支えてくれてありがとう。ボクはね…… 生き残りの町。マーヴェリックの生存者なんだ。価値のあるモノを奪い合う人間はすごくすごく怖いんだよ…… それが同族であっても。……目は血走り、鬼の形相とは正にそれ。容赦なく人は殺し合って、我先へと勝者は祝杯の美酒を味わいたがるんだ。同情も何もあったもんじゃないよ……」

「ニア様、シモン様…… いま、温かい飲み物をご用意致します……」

「いいの! それよりも今はガブリエルにも聞いてほしい。だからここに居て……」

「はい……」

「ボクはね――」


 胸の奥に狂った思い出を隠して、いつも笑顔だったニアの想い。語り疲れてソファーでウトウトするニアをガブリエルは優しく抱きかかえて部屋へと運ぶ。僕はニアから聞いた話に身震いがした。連れて行かれた先の待ち受ける地獄。取り引きが始まる前の恐怖心に迸る緊張感。きっと今の僕には計り知れないと思う。人は弄ばれる為に生きている訳じゃない。だからって皆平等なんて綺麗事は言わない。ううん、言いたくない。

 僕も「レッド・データブック」のSランク。人間と天使のハーフ。

「ネフィリム」

 俗に言うバケモノだ。

 覚醒の兆しは無く、今は人間と何一つ変わらない。今の僕に何が出来るだろうか? そんな想いを抱えたまま、身体と心は眠りにつく。


 窓からの溢れる光に目を奪われる夢を見て、目が覚めた。なんだか、とても頭が痛い。僕はうつ伏せのままで、ベッドから起き上がれずに、もがき苦しむ。冷たい空気に包まれたように、部屋がとても寒い。身体は凍えそうになっているというのに喉が熱く張り裂けそうになる。シーツを掴み、大声を出そうにも声が出ない。そんな時に突然、背に何かがドスンと跨ぎ乗るのが分かった。全身に緊張が迸り、身体が動かなくなる。指先さえ動かずに、嫌な汗が首元に垂れていくのが分かる。シーツの上から身体をまさぐる無数の手の感覚に自然と筋肉だけが反応し、緊張したように身体に力が入る。

 徐々に感覚が麻痺しているのだろうか?

吊り橋の上でゆらゆらと揺れている、そんな雰囲気に似ている。駄目だ、吐きそうだ。


「助けて!」そう声を出そうにも、うまく声にならない。指先を動かそうにも動かない。金縛りというやつだと気がつくが、気がついた時にはどうしようもなかった。


「……カッコ悪い寝相。シモンちゃん? もう起きたらどうなの? 朝だよ」

 ニアの声が聞こえ、僕は我に返った、夢だ。これは全て夢だ。タチが悪い。今までで断トツに夢見が悪い。

 事務所のリビングに出ると、ニールはいつの間にか帰ってきていた。ウィリアムさんも依頼の書類を手に、何か電話で話をしている。僕に気がつき、ニールがおもむろに苦笑いをする。


「凄い寝癖だな? ……身なりもお前らしくないぞ? 酷いもんだぞ」

「シモンくん、顔でも洗ってきては如何でしょう? 気持ちもスッキリする筈ですよ……」

 ウィリアムさんの冷静な声で背中を押され洗面所に僕は向かった。鏡に映る僕の顔は酷いものだった。青白い人形のような顔、目は正気を失ったガラス玉みたいだった。蛇口から溢れ出る水を手のひらで受け止めると、その冷たさに驚くほどに目が覚める。さっきの感覚は夢にしては鮮明に身体が覚えていて気味が悪かった。リビングに戻るとガブリエルがタオルと着替えを差し出す。ウィリアムさんはいつもの如く、珈琲を飲み書類に目を通しペンで何かを書き込む。何も変わらない朝だった。ニアとニールが居ないということを差し置いては――


「二人はどこに行ったんですか?」

「どうやらパイの材料が足りないということで、シナモンと果物を買いに行かれました」

「二人で…… ですか?」

「ええ、見ての通りです」

 僕は昨日の出来事が何も無かったのかと錯覚する。


 *****

 

 市場を抜けた大通りをゆったりと歩く人に混じって、ニールとニアはカップに入った珈琲とフレッシュジュースを飲み、荷物を抱え歩いていた。


「おい…… こんなに買い揃える必要性ってなんだ? 俺はただの荷物係か?」

「そ! ただの荷物係! って冗談! ……ニール? 聞いてほしい事があるんだけど……」

「ん?」

「ボクの事、気味悪いって思う? 涙が宝石って…… 変だよね?」

「変だな……」

「そ、そうだよね…… やっぱり変だよね、おかしいよね」

「そうじゃねえよ! おまえのことじゃなくて」

「え? ……へ?」

「アレ…… なんだ? この寒空の下で、あの橋の袂に転がってるの…… アレいったいなんだよ?」

「うん? どれ? んん~ ……女の子? かな」

「雪が降りそうに寒いのに、アレじゃ、死んじまうぞ……」

 ふたりは帰り道を反れ、橋を渡り川沿いに降りて行く。そこには、ボロボロの薄汚れた毛布にくるまった少女が放置された粗大ゴミの隙間で隠れるようにし、静かな寝息をたてて眠っていた。

 薄汚れた顔に長い睫毛、脂にまみれたブロンドの髪。毛布からのぞく細く長い脚には、青黒い痣。酷い箇所は血が滲んで切り傷も数カ所見受けられた。そして左足首には鎖が付いた足枷が付けられていた。


「ねえ? ……大丈夫?」

 ニアは駆け寄って行き、彼女をフード越しに見下ろす。彼女は眩しそうな目をしてニアを見上げた。ただ黙ってニアを見つめる瞳は光が差し込み、宝石の輝きを持つ、美しいヘイゼルグリーンの色だった。少女は可憐で、この世のモノではないのでは? と息を呑む程だった。


「こんな所で寝てると風邪引くぞ!」

 ニールは彼女の髪を優しく撫でると、自分の着ていたジャケットと飲み物を差し出した。


「……はあ? オッサン、アンタ誰? 気安く触んなよ! なんか…… すげえ気持ち悪いんですけど?」


 ふたりを見る彼女の目は敵意を剥き出しで、その可憐な顔からは想像もつかない言葉を吐き出した。






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