第14話 虎口を逃れて竜穴に入る

 今は、扉だけは閉めちゃならない。

 僕はそれだけを考え、無言だった。


(……つまらないねえ奴だ。怖いなら、悲鳴ぐらい上げれば、少しは可愛いのにねえ)


 ニールから、あれほど言われていたのに、とても注意をされていたのに。僕の脚はガタガタと震えるばかりで、後で叱られるのだろうと無駄な覚悟だけを決めていた。


「用意は出来ましたよ。さあ、このケースに鏡を入れて帰りましょう」

 ウィリアムの声に、僕は大きな目で瞬きをした。


「あ、はい…… そうですね、急ぎましょう」

 返答に間があったことを、ウィリアムはおかしく思っただろうか?

 

 僕の顔を見て、困ったように眉尻を下げたウィリアムは首を横に振った。


「シモンくん……」

 ウィリアムが困り果てた声を出した時、扉の閉まる音がギギギと床を通じて聞こえてきた。僕は急いで腕を伸ばして扉を止め、冷や汗をかいた。「セーフ……」そう言って僕は額の汗を拭い、ため息を吐く。


「貴方でも、やはり若者らしいセリフを言ったりするのですね。安心しました」


 ウィリアムの問いかけに僕は呆気に取られた。

「そうですね、僕にもそういうのしっかりあるみたいです……」

 奇妙な答えだと、自分でも思ったよ。

 鏡を入れた黒い大きなケースのファスナーをきっちりと締めたことを確認した僕らは、車にそれを運び込む。


 その瞬間。

 物凄い音と土煙をあげて、部屋が僕らの背後で崩れ落ちた。あと数分遅ければ、ペシャンコになってましたね? と、笑いを誘うつもりが、ウィリアムはとても怖い顔をした。


「姿見が、やはり全ての原因のようですね……」

 ウィリアムは足音を殺すように、その場から後ずさりをした。


 *****



 シモンとウィリアムに、何があったかなんて知らないニールとニアは、呑気にオセロをしながら、どうでもいい会話をしていた。


「で? オマエはいったい何が出来るの?」

「はあ? あれだけ食べておいて? ニールはボクが天才的に料理が得意とか思わないの? その目はフシアナなの? ナニ見てるの? バカなの?」


 皮肉った言葉をたっぷり並べたニアに、ニールの眉間に一気にシワが集まる。ニールは、その勢いのままプロレスの技をかけた。


 すると、事務所の電話が叫ぶように鳴り出した。ニアは寝転がったままの姿で急いで腕を伸ばし、受話器を取った。


「ハイハーイ! ウィリアム・ロック探偵事務所ですよ~! ご要件は~?」 と、ニアは陽気な声を上げた。しばらくして、スッとニアからその笑顔が消えた。


「はい…… 分かりました。はい、ニールに変わります」

 神妙な面持ちで、ニールに受話器を渡すとニアは自室に慌てたように走っていく。それをニールは見ながら電話に出た。受話器の向こうで、ウィリアムの声が聞こえた。


 *****



 ウィリアムとシモンが大きなケースを抱えて、数時間後に事務所に帰ってきた。ケースは事務所の中央に運び、床にゆっくりと置かれる。ニールとニアは飛びつくように、それを覗き込んだ。


「これが依頼品? 開けていい?」

「こんなケースのままじゃな〜 俺はなんとも言えねえな〜 早く中を見せてくれよ」


 身を乗り出したニールとニアは呑気に喋り、欲求が身体全身からオーラのように滲み出ていた。


「今は、まだ開けることはしませんよ。そうですね、真夜中に開けましょう。それまでは、何があっても開けては駄目ですよ? その時間が来るまでのお楽しみですよ」

 そう言うと、ウィリアムはふたりを見て微笑んだ。


「誰かさん…… 言われてますよ?」


 ニアが口に手を当ててニールを見て、いやらしく笑う。そのニアの後頭部を掴むようにし「オマエにウィリアムは言ってんだよ……俺に言ったんじゃねえよ」まるで仕返しを成功したような顔でニールは、ニヤニヤ笑った。


「ウィリアムさんはふたりに言ったんだと僕は思うよ」

 僕のその言葉にウィリアムは、くすりと笑い窓際で煙草をふかした。


 *****



 深夜二時をまわった頃。

 ソファーで並んでうとうとするニールに、同じくうとうとしてニールに寄り掛かり涎を気にして口元を拭うニア。書類整理をするウィリアム。シモンは、ゆっくりと本を読んでいた。緊迫する筈が何故かリラックスした。


 嵐の前の静けさ?

 僕は、ふと、そう思った。


「そろそろ、いい時刻ですね……」

 時計を見てウィリアムが動き出す。そして、ソファーでうたた寝ている二人に声をかけ、姿見の入っているケースをゆっくりと開けた。


 何十年も経っている鏡。手垢で黒くなった箇所もあちこちにみられた。綺麗な花の彫り物が施された立派な造りに、ウィリアムはゆっくりと頷く。


「アンティーク調で美しいモノ。此処に……事務所に置きたいとか思ってないだろうな」

 ニールの言葉に、ウィリアムが鳩が豆鉄砲をくらった顔をした。


「まさか! いくらアンティークが好きなウィリアムさんでも、いわく付き物件に手は出さないよ? ね? ウィリアムさん」

 ニアのその言葉にウィリアムは黙ったままだった。


 部屋に微妙な空気になり、ウィリアムは「さあ、遊んでいる時間はそんなにありませんよ」と、姿見を壁に立て掛けた。その後に、ニールとニアが準備していた、もう一枚大きな姿見を隣の部屋から運んできた。そして、それを合わせ鏡にするように立て掛ける。ニアはソファーに座り、じっと鏡を見つめた。その姿見を挟み込むようにウィリアムとニールが両側に立つ。ニールは手に聖書を、ウィリアムはそれを黙って見守り、水の入った銀製の盃を片手で持ち、ゆっくりと十字架を浸していく。


「準備は出来ました。あとは何が起きても冷静に……」

 ウィリアムは冷静に一人がけソファーに浅く座ると、肘をつき目を閉じた。

 目を伏し目がちに、ニアが黙ってままでエメラルドの埋め込まれた銀製の小型のナイフの手入れをする。シモンは父親の荷物を再び物色してみたが、結局、何を使えばいいのか悩み首を傾げた。


「シモンちゃん…… それってそんなに悩む必要ってある? 直感でコレってモノなんかないの?」

 気がつくと、ニアが僕を見下げる様に真横に立っていた。


「そうなんだけどね…… どれが僕には合っているのか、どういうタイミングで何を使えばいいのか分からないんだ」

 手にたくさんのメモとトカレフを持ってみたが、やはりしっくりとこない。シモンが困りきった顔をしていると。


「まあ、メモはないとしても、そのトカレフさんはいいんじゃないの? あとはさ…… そうだねえ…… ねえ? シモンちゃん。その赤い紐の巻いてある日本刀…… カッコイイじゃない! これはどうかな」と、ニアが指をさして真剣な目でシモンを見た。


「……日本刀、僕は初めて見るよ」

 その日本刀を手に取り、鞘から滑らすように引く、すると刃縁が姿を見せる。鎬筋の美しさは息を呑むほどで、綺麗だ…… そうシモンは声に出してしまった。


「そういう、とっておきのセリフは女に言えよ!」とニールがニヤニヤ嫌な顔を向け笑っていた。きっと場の空気を変えたかったのだとシモンは思う。いや、そう思いたいのだ。


「ニール! うるさいよ、自分だって彼女いないでしょ? だって……」

 そう言いかけている途中に、水槽のある、あの部屋から大きな物音が鳴る。ニアが拳に力を入れたと思った瞬間、部屋に飛んで駆け入っていく。次に窓から生温い風が部屋を通り過ぎた。シモンは日本刀を元の場所へ片そうと、あたふたと慌てた。


「ほお…… そろそろ、姿見のヌシ様はお出ましか?」

 一瞬にして空気が張り詰める。意識を高めたニールに、シモンはゾクリとした。自分の兄貴だっていうのに、見たことのない顔だった。隙は愚か、声もかけられなかった。その後方のソファーに腰をかけたウィリアムも普段の何倍もの威圧感を醸し、シモンは疎外感を感じずにはいられなかった。



 僕は凡人だ。相応しくない。


 そう思った時に、ニールの怒鳴る声が聞こえた。



「シモン! ここからは本当の仕事ってヤツを見せてやるよ! 目を逸らすな! お前はお前でいい! それ以上でなくていいんだ! 自らを信じろ!」

 シモンを見てニヤッと笑い、聖書を片手で開き「まじない」を呟く。


 空気が重く、喉が熱く息苦しい。そう感じた時だ。合わせ鏡にした中央に捻じ曲がった白い煙が人型になり現れた。




「おやおや、みなさんごきげんよう」


 そいつは片脚の踵を軸につま先を上げ、丁寧なお辞儀をする。あの赤い頭のクラウン。ゆっくりと顔を上げる途中に、不敵な笑みをこぼした。と、同時に水槽の部屋に入っていった、ニアの悲痛な叫び声が部屋に響き渡り、皆の空気に緊張が迸った。

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