二章

第6話 武士語の俺っ娘

 ひたひたと水の滴る音が響く。


 取り出した小さな筒から発される光を、器に抄った水に宛てた。


「ほ~ら左近、お水だよ」

ワン!みず!


 ぺろぺろと水を飲む左近を、三成は膝を折ってかがみながら見つめていた。

 気づくと、肘を膝の上にのせ、両手で顎をささえるようにしている。その上、間違いなく満面の笑みであったろう。


(……くっ、恐ろしい呪術だ。抗う事もままならぬ)


 油断すると現れる、自分の中にある少女の言動。何処から湧いてくるのか、心の中まで少女らしくなってる自分を恥じた。


 ここまでどれ程歩いたのか見当も付かないが、暗い通路をひたすら進むというのはあまり気の良い事ではない。


「左近、これからどうするかな」


 先ほどから何度か魔物の襲撃を受けている。

 強敵とは言い難い程度の魔物であるが、三成には酷く強烈な体験であった。


「水の塊のような生き物はなんだったのか。それに大きな蝙蝠と言い、この洞窟はいささか解せぬ事が多い。閻魔大王の一門衆が根城としているが故かの」

ワン!飲んだ! ワン!にく!


「そうか、腹が減ったか? ほれ、干し肉じゃ。この先まだ長いやもしれぬ故にな、小さく切ってやったぞ。僅かだがこれを食せ」

ワン!にく!


 干し肉にかぶり付く左近を満足そうに見つめると、三成はゆっくりと立ち上がった。


「休む場所を確保せねばならんな」


 左近が見張りをしてくれるのであれば、心置きなく休めるような気もする。そうではあるが、不安は大きい。


「むしゃむしゃ、ごくん。ワン!にく!


 あっという間に干し肉を完食した左近を小脇に抱え、再び歩き始める三成。


「俺も腹が減った」


 そうではあるが、腹が満ちては動きも鈍る。

 なるべく安全な場所を確保できるまで、三成は食事をとるつもりがない。



 幾つかの分岐を勘だけで進み、疲れる足を気にも留めずに突き進む。


 すると、遠く通路の先に明りが見えた。


「左近、人がおるやもしれん」


 返事がない。

 ただの仔犬のようだ。


 不思議に思って目をやると、左近は三成の腕の中で寝息をたてていた。


(なんと愛らしい……ああ、食べてしまいたい程に愛おしい)


 両の瞳はハート型になっている。


(ぐぬぬ、これは呪術の所為だ。俺ではない、俺ではない誰かなのだ)


 寝入っている左近の頭を撫でながら、三成はゆっくりと明かりに接近していく。



 どうやら通路に面した部屋から漏れる光であると気付き、警戒しながらその部屋の入り口横まで歩を進めた。


 壁に背を預け、横目で室内の様子を伺う。

 会話が聞こえてくる。

 人数は二人、どちらも男のようである。



「ガッハッハ。それなら明日は四天王とやらと勝負なのか」


「そうさ、僕のこの邪眼がある限り勝率は百パーセント、絶対に負けはしない。まずは左眼の百八重層式超傀儡乃術で動きを封じ、そこを右眼の真炎獄武闘竜タイプ零で焼き尽くす。トドメは両眼を使い時空圧縮型の神武烈斬仁王雷電で決める。これを発動すると邪眼への負担が大きいから本来なら使いたくないんだが、相手が魔王軍四天王の一人となれば躊躇しないさ。例え失明したとしても、ね」


 長い台詞を終えたほうは、聞く限りでは声がまだ若い。


「ガッハッハ、そりゃ凄そうだ」


 もう一人は決して若くなさそうである。

 そしてその声が、隠れていたはずの三成を呼んだ。


「入り口に突っ立ってるお嬢さん、そんな所にいないで入って来な。取って食ったりしないさ、一緒に飯でも食おう」


 よもや発見されるとは思っていなかった三成であるが、どう考えても自分を呼ぶ声に腹をくくる。


「いや、立ち聞きをするつもりは無かったのだ。すまぬ」


 部屋の入り口に姿を見せた三成に、声をかけた男が口を鳴らした。


「こりゃ……たまげたな」


 あまりの可憐さに言葉を失っている。


 方や覚悟を決めた三成は、臆す事無く二人の男が座して語らっている場所へ向かう。


(いざとなれば斬る)


 ただその事を乳に、もとい、胸に秘め。


「その方ら、この洞窟に入って長いのか? 俺は来たばかりで勝手が分からぬ、すまぬが幾つか教えてもらいたい事があるのだが」


 三成のその言葉に、若いほうの男が反応した。


「なっ!? 俺っ娘!? しかも完璧なまでの美少女、しかも俺っ娘! これは凄いよパーフェクトだろ」


 勢いよく立ち上がり口走ったかと思えば、今度は急に下を向く。


「あ、いや、すまない取り乱した。さあお嬢さん、ここで一緒にくつろぎましょう」


 三成は言われるがままに腰を下ろす。

 左の腰に下げていた剣を外し、己の左側へ置いた。


 少しの団欒の後、何かを思いついたように大柄な年上の男が口を開いた。


「お嬢ちゃん、さっきは驚かせて悪かったな。俺の能力は空気の流れを感じ取る事なんだ。こっちに来る前は空気を読むのが苦手でなぁ、それが原因で何度も失敗したさ」


 男は言いながら、目の前のたき火にかざしていた肉を取り分けてくれた。


「食いな。そんでな、死ぬ間際に『空気の読める人間になりたかった!』なんて願ったもんだからよ、こっちに連れてこられてからは見事なもんさ。お嬢さんがそこに立つだいぶ前からな、その抱えているワンコの寝息までしっかり聞こえてたさ」


 男の言葉に三成は戦慄を覚える。


(老婆の申していた事は誠であったか。俺にもそのような能力があればな)


 今更歯噛みしても始まらない。

 三成の想いなど知る由もない男は、自分勝手に言葉を並べていく。


「いや、すまん。俺はタカムラ=ケンゴだ、宜しくな」


 名前などどうでもよく、三成には気に入らない事がある。

 それは、どうみても山賊に毛が生えた程度にしかみえないこの男が、豊臣家五奉行の筆頭であり、佐和山十九万石の大名であり、従五位下治部少輔を冠する己に対してあまりに横柄な態度である事だ。


(だが、郷に入らば郷に従えとも言う。ここは耐えるとするか)


「そうか。俺は……」


 名を言いかけて言葉を濁す。


(妙な名だなんだ、乳が無いだなんだと言われるのは面白うないな)


 出来るだけ一般人であろうとした。


「佐吉。俺はサキチだ」

「さきち? サキっちか、可愛いな。うん」


 一人何かに納得したように頷くと、タカムラは頬を赤らめながら「食べな」と促し、自分も焼いた肉にかぶり付いた。


 その様子を眺めていた若い方の男も、待ってましたとばかりに口を開く。


「サキ君、俺はサキョウ……イシヌマ=サキョウだ。仲良くしてくれとは言わない。ああ、その理由は後で話すよ……気が向いたら、な」


「そ、そうか」


 三成は左近を撫でながら引き攣った笑みを返す。


(妙な連中だ。左京と言わば高位であるが、どうせ下らぬ自称。イシヌマなど聞いた事もない)


 思いながら、手渡された串に刺さった焼かれた肉の魅力には勝てず、ついにその小さな口をめいっぱい広げて噛り付いた。


ワン!にく!


 いつの間にか目覚めた左近がよだれを垂らしているので、仕方なく肉を分け与える。


 その様子を見ながら、イシヌマが口を開いた。


「サキ君はどんな能力があるんだい?」


 三成にしてみれば、ここで天変地異でも起こせるような能力を誇りたいのだが、流石にすぐにバレるような嘘を吐くのも気が引ける。


「己の能力をひけらかすような真似は出来ぬ。俺に尋ねる前に、その方の能力を申せ。さすれば明かす事も考えようというもの」


「おお、俺っ娘な上にネイティブぽい武士語じゃん! これはレアだよ凄い! ……いや、すまない。取り乱した」


 興奮気味にテンションを上げたかと思えば、唐突に俯いて無理矢理にそれを収め、改めて語りだす。


「俺の能力は、決して自慢するような物ではないんだが、眼が特殊なのさ。其々に強力な技が仕込まれていて、両方の眼を使えば更に爆神レベルの技を繰り出す事が出来る。俺は神に与えらたと思っているこの両の眼を『邪眼』と呼んでいるのさ。ああすまない、自慢というわけじゃないんだが、だけどこの眼は嫉妬される事が多くてね。ついつい能力を隠したくなってしまうんだ。特に君のような可愛い人にはね、別の意味で嫉妬してもらいたいから、ね」


 三成はイシヌマが笑顔で締めくくった長い台詞の、その半分以上を理解出来ていない。ただ単純に話すのが下手な輩だという印象だけが残る。


「そうか。俺の能力は」


 言いかけて、改めて思う。


(能力が頼りなかった事で左近を連れていく事になったのだ。俺の能力は左近で間違いない)


 こじ付けではあるが、三成は理屈を重んじる。理屈が通りさえすれば大抵の事は正しいと本気で思っているのだ。


「この犬だ、名を左近という。俺の能力はまさに左近と共にあるこの状況だ。如何なる敵とて左近と共に討払うつもりでいる」


 タカムラにしてもイシヌマにしても、それは特別不思議な事ではない。

 別の世界からこの世界に連れてこられた人間は、時に姿を変えてしまう事も珍しくないと知っており、その能力が奇想天外なものとて驚くような事ではない。


 現に、かつて争った探索者の中には、意味不明な能力を持った相手も少なくなかったのだ。


「そうか、そのワンコがねえ。そいつあ楽しみだな」

「ああ、そうだな。サキ君、俺達二人はそれぞれ別の魔女の使いなのだが、この中では協力して生き延びているんだ。よければ仲間にならないか?」


 その申し出を、三成は躊躇することなく快諾した。


 何より、少女のか細い精神が安心を強く求めてやまなかったのである。その心に抗いきれず、三成は二人と共に行動する事となった。

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