七瀬乱舞

相川由真

0七瀬胎動


 十五歳の少女の叛逆は、獣のように血生臭かった――


 ▼


 七瀬ななせは倒れ伏す従者たちの隙間を縫うように駆る。


 紺色だったセーラー服は血に濡れて、黒く染まっている。

纏うそれすら重く感じ、汗は血が干上がるほど噴き出て、足の感覚はほとんど無かった。


 それでも七瀬は、得物えものの長刀の柄を強く握り締め、対峙する男を睨みつける。


「あんたまで死ぬことないわよ」


 脱兎のごとく突き進む七瀬の道を阻むのは黒服の男。

七瀬の目付け役であり、彼女が幼い頃から、彼女の世話をしていた親同然の従者だ。


「七瀬お嬢。止まってください」


 男はあくまで敵対姿勢を崩さなかった。

飛びかかる七瀬の一太刀を、二本の指で挟むようにして受け止める。


 七瀬は咄嗟に長刀から手を離し、懐に潜り込む。

掌底を鳩尾にねじ込み、短い悲鳴が零れるよりも速く、続けざまに回し蹴りを打ち込んだ。

二本の指から長刀が零れ落ちる。

宙で柄を握り、逆袈裟に振るう、が、大きく後ろに飛んだ爺はそれを紙一重で躱した。


「やれやれ。この私にまで躊躇無く剣を向けますか」


 爺は白髪を掻き、深く溜息をつく。

かっちりと締めていたネクタイを緩め、ジャケットの袖を掴み、ぴんと伸ばした。

深く皺が刻まれたその顔つきは険しく、歴戦の戦士の風格すらある。


「私にとってはみんな敵よ。博徒ばくとなんて、一人残らずいなくなっちゃえばいいんだわ」


 濡れたセーラー服から滴る血は、七瀬の呪いの軌跡。

背後に積み上げられた従者達。でたらめに斬り裂いた跡。

それは、彼女なりのみそぎだった。


 中学を卒業したら、家を出ると決めていた。

このセーラー服を着るのは今日で最後。

今日は、七瀬が通う中学校の卒業式だった。


「貴女とて、博徒の娘でしょうに」


 再び嘆息。

そして、地を蹴る。

爺の動きは、老いを微塵も感じさせないほど俊敏だ。

咄嗟に長刀を盾する七瀬だが、爺はそれでも構うものかと、革靴の底を長刀の刃に打ち込んできた。


 身を引き、受け流そうと努めるが、七瀬の体勢が揺らぐ。

間髪入れずに、鳩尾を殴打。殴打。殴打。

七瀬は膝から崩れ落ちそうになるが、長刀を地面に突き刺し、杖代わりにして立ち尽くす。


「今なら旦那様の折檻もひと月程度で済むでしょう。これ以上、私らの手を煩わせるのはやめてくれませんか?」


「くどい、わ。私はここを……出て行くの。あんた達に……私の人生を縛る権利、なんて、無いはずだわ」


 肩を震わせ、犬のように短く息を漏らし続けながらも、七瀬の目は光を失っていなかった。

それは煌々と燃え盛る炎のような、憎しみの根源。


 爺は既に聞く耳を持っていなかった。

汗で濡れた七瀬の黒髪を乱暴に引っ掴み、ずい、と顔を近付ける。


「帰るんです。七瀬お嬢」


 歯を食いしばり、鳩尾の痛みに堪え、爺を睨み返す。

視界の中で大きく映る爺の顔の後ろに、一ノ瀬の家の門扉が見えた。


 あと一歩なのに。

 あそこを、潜れば、自由になれるのに。


 吐き気と共に胸の底から込み上げてくるのは、衝動だった。

この力・・・を使えば、自由になれるだろうか。

それは一縷の望み。すでに七瀬は考えることすらままならなくなっていた。


「私は自由になるのよ」


 吐瀉物のように零れる衝動に身を委ね、七瀬は再び、長刀を握る手に力を込めた。

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