第四十四話 希望
『リーダー! 子供たちの保護に無事成功しました。いまから箱舟に乗せるところです』
空に浮かぶ青年の頭に朗報が飛びんできた。自然と顔が綻ぶのが自分でもわかった。
『そうかよくやったぞ! ご苦労さま』
僕は労いの言葉を送った。
「それで? 私はあれに突っ込めばいい?」
隣から声が掛かる。
「いやいや駄目だろ。目的はあくまで州都の子供の保護だ。あいつらはいま互角の戦いをしている。ちょうど二つの脅威が数を減らしてくれてこちらとしては好都合だ」
「残念。でも、彼、来るかな」
「ああ必ず現れるだろうな。ただ、これは俺個人の我儘だ」
「私も同じだよ。彼を救いたい。でも翔は、これ以上は駄目。本当に死んじゃう」
「自分の夢を……いや、今となってはみんなの夢だな。それを叶えるためにここまでやってきたんだ。俺はやらなければならない」
「そうやって、私、一人にするの? 置いてくの?」
僕の隣に浮かぶ若い女性。もし羽が生えて居たら誰もが天使と見間違うだろう。そんな彼女が頬を膨らませて上目遣いで僕を見やる。
「い、いや、エリカ。そういうわけじゃ……」
彼女は女性として成長していた。体だけじゃなく心もだ。最近は僕の方が振り回され気味だ。言葉足らずは相変わらずだが。
「私だけじゃない。隊の皆が翔を心配してる。あの預言者。お爺ちゃんの言葉、覚えてる?」
「ああ、凛花の爺さんな。まさか高名な預言者だったとは思いもしなかったな。」
「見た目は怪しさ、満点」
「この痣が全身を覆うと身を引き裂くような痛みに襲われて死に至るか……。でも、あの爺さんには感謝してるよ。お蔭でここまで永い間、闘い続けることができた」
僕は無意識に自分の顔に触れる。赤紫の痣はすでに顔の半分にまで達していた。
翔は赤ん坊の頃に体内に特殊な物質を取り込んでいた。その中には、大いなる意思の媒体とも成り得る元素も含まれていた。洗脳されるようなことはなかった。意思の欠片は砕け、すでに大いなる意思が霧散した後だったからだ。
その物質が体内で活性化されると、シェイドの構成元素が共鳴するのだ。それはシェイドを破裂するほどの力を持っていた。
ただそれは諸刃の剣でもあった。過剰なエネルギーに体がついてこない。組織細胞が損傷するのだ。
シェイドと多くの激闘を繰り広げてきた代償は小さくなかった。彼の地肌の色はもうほとんど残されていない。体内の臓器はぼろぼろだった。そのどれかがいつ機能停止してもおかしくない状態だった。
「島の人たちも、翔の帰り、待ち侘びてる」
「いつのまにか人が増えたよなぁ」
僕は視線の遥か先に広がる海を見つめる。ここまで長かったのか短かったのか正直わからない。
訓練学校の最終学年にシェイドの討伐研修がある。不幸にも僕らはシェイドとの交戦中に死亡した。公式の記録ではそういうことになっている。秀人の考えた作戦だった。
セイジの脳を焼くという法案が秘密裏に検討されている。その情報を秀人は一早く掴んでいた。僕らはオリジナル人類の傀儡になる気はなかった。それは当前だ。ただ積極的にオリジナル人類を殺そうとも思わなかった。獣堕ちが主体の反乱軍とはこの点で一線を画していた。
一方でセイジの脳を焼くという暴挙を黙って見過ごせるはずもなかった。焼かれる前に子供たちを助けることにした。その趣旨に賛同する同志も集めた。世界中を巡り、セイジの子供たちを次々と保護していった。戦闘は可能な限り避けた。このためオリジナルからは謎の失踪事件に映ったことだろう。
時にはオリジナル人類を保護することすらあった。戦災孤児だ。子供に罪はないと僕が強く主張したのだ。皆、仕方ないなと笑って受け入れてくれた。
僕らは太平洋に浮かぶ小さな島々に小さな集落を作った。シェイドの襲来以降、オリジナル人類は海には決して出ようとはしなかった。海上も上空もシェイドの支配権だった。
このため海に囲まれたそこは安全な住処だった。一か所に集まるのではなく複数の島に分かれて住むことにした。これも秀人の指示だった。
「この世界を穢す文明。シェイドはそこに襲来する。そこにはオリジナルもセイジの区別もないよ。人類はそのむかし自然との共生を口にした。けど、それはパフォーマンスだった。だから自然との共存すら許されなかったんだよ」
彼はこうも言った。
「人類は自然に溶け込まなければならない。我々も自然の構成員なのだから。摂理から外れて勝手放題すると自然から蹴りだされる。だから自然と一緒に歩む新たな世界をここに作ろう。僕たちにはその力があるのだから」
その頃から、彼は薄々ながらも自らの異変に気づいていたのかもしれない。
いま、村では子供達の教育に力を入れている。言語も統一した。学校では皆が統一言語を使用している。子供達は実に多様性に富んでいた。
白、黄、黒の肌、そして瞳の色も様々だ。それらはただの個性の一つだ。見た目だけでない。身体能力や成長速度も違う。それも含めて個性として尊重するように教育しているのだ。小さい頃からそれが自然なことなのだと教えている。
それぞれが得意な分野で助け合っていけば良い。そもそも我々は自然の構成員の一つなのだ。他の構成種と比較すればこの程度は差とすら呼べないのがわかるだろう。 我々は同一種で争うよりも前に果たさなければならない事がある。自然の一員として自らに与えられた役割を担うしなければならない。一人一人それが何かを考えてみよう。日々そうやって子供達に教えているのだ。将来これがどうなるのかはわからない。が、今のところはうまくいっている。僕はそう自負していた。
村の人口が一定数を超えたら別の島に移ることも考えている。ただ爆発的に増えることはないだろう。セイジの女性から産まれる子供は必ずセイジ。それは伴侶がオリジナルであっても変わらない。一方でセイジの女性の出産適齢期はたったの数年しかない。最大限出産したとしても二人か三人が限度だ。このため人口は非常に増え難いのだ。これも人類の新たな進化の形なのかもしれない。秀人はそう言っていた。
「全てはあいつのお蔭なんだ。だから俺はあいつに恩を返したい。あいつとの最後の約束なんだ」
「うん」
エリカは黙って俺を見つめていた。
「それだけは俺の命と引き換えにしてでも、やらなければならないんだ」
そう力強く宣言して前を見据える。僕の瞳は幼馴染の姿を捉えていた。
州都の遥か上空から真っ直ぐ下に墜ちてくる。州都を覆うほどの大きさの物体。これまで見たこともないほどの巨大な鯨だった。それはもはや漆黒の島といっても過言ではない。その背に小さな人影。そう、彼が、秀人がそこに立っていた。そしてその瞳は燃えるように紅く煌めいていた。
「ヒデ……」
僕の頭に彼と最後に別れた日の記憶が甦る――。
『翔くん。お願いだから僕を殺して。これ以上、僕は人を傷つけたくないんだ』
赤い涙を頬に垂らしながら僕に懇願する秀人。その右手には幼子の首がぶら下がっていた。あの光景をこれまで一度たりとも忘れたことはなかった。
◇◇◇
大いなる意思は病原生物に欠片を埋め込むことに成功した。しかし、意識を完全に同化し自由に操るのに想像以上に難航していた。
最大の病巣を目指してはいたが、その途中に小さな病巣もいくつか目についた。大いなる意思はそれすら放置する気はなかった。いつそれが再び大きくなるかわからないからだ。
短時間であれば病原生物を制御することができた。なので小さな病巣であれば自らの手で破壊した。その後で抗生剤を呼び寄せて整肌治療にあたらせた。
中規模の大きさの病巣は完全に自由の利かない己だけではどうしようもなかった。このため、破壊に適した抗生剤を病巣にまで導いた。
これは別の意味でも有効に働いた。同化した病原生物を窮地に追い込いんだことで目的地であった大病巣へと速やかに誘導する事ができたのだ。
しかしある日、問題が生じた。順調に同化率が上昇していたはずの病原生物が急に強い拒絶反応を示したのだ。このままでは同化が失敗する恐れがあった。それだけではない。最悪の場合、周囲の病原生物に敵として認識されて殺される危険性があった。
やむを得ず同化中の個体を他の病原生物から一時的に隔離した。病原生物の拒絶反応は思いのほか激しかった。原因を探るとあることがわかった。意思の欠片自体はほぼ完全に対象の体に同化できていた。が、それを介して大いなる意思から指示を送ると強い拒絶反応を示すのだ。
大いなる意思は思案を重ね、ある決心をした。それは意思の欠片に独立思考を持たせ自らと完全に分離することだった。
病原生物の病巣破壊を最優先とする。意思の欠片にそう使命を与えた。それを実現するための抗生剤を制御する権限も委譲した。あとは自らの分身に全てを委ね、同化中の個体との接続を完全にシャットダウンした。
この試みは見事に成功した。意思の欠片は速やかに病原生物の制御を完全に掌握。大小様々な病巣に次々と抗生剤を送り込み破壊していった。
そして今、意思の欠片は病原生物最大の病巣に迫っていた。最も病巣破壊に適した抗生剤を連れて――。
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