第二十二話 帰還

 脱衣所で脱いだ服をクリーニングケースに投げ込む。上がって来る頃にはちょうど服も綺麗になっていることだろう。俺はそう思いながら体を反転させた。

 二十個の白いドアが等間隔で並んでいる。ドアの上のランプはどれも青色だ。


「まあ、当然か」


 脱衣所でそう一人呟いたのはセイビーの徹だ。時間は午前十時。他の部隊は当然任務中だ。白いドアに触れると音も立てずに消え去った。

 中に足を踏み入れる。そこは人一人が立つのが限界の広さの部屋だった。それでも圧迫感はない。四方を囲む壁だけでなく、天井も床も鏡張りだった。


 部屋の中央に立つと目線の位置、正面の鏡の一部が音も無く開く。真っ黒なマスクが掛けられていた。俺はそれを手に取り慣れた手つきで顔に装着していく。マスクから垂れ下がる色違いの二本の細いチューブは壁に接続されている。

 マスクと顔の間の僅かな隙間が自動で塞がれる。窒息する心配はない。チューブを通して新鮮な空気が常時入れ替わっているのだ。マスクが完全にフィットしたところでブザーが鳴った。天井から一本の金属製の棒が床に平行に降りて来た。そして肩辺りの高さで止まり固定される。

 俺はその棒を両手で掴む。直ぐにいつもの自動音声が狭い室内に反響した。


『オートクリーニングプロセスを開始します。プロセスを途中でキャンセルしたい場合は停止と発声するか、お掴まりの棒を放してください。作業が完了するまで絶対に着用したマスクを外さないでください』


 周囲の鏡張りの壁から多数のノズルが突き出した。


『水洗を開始します』


 その音声とともに勢い良く温水が放出された。俺の体を三百六十度方向から洗っていく。髪や体に付着した砂や埃などの汚れを落とすためだ。三十秒ほどで放水が止まる。


『続いて、混合光触媒を噴霧します』


 ノズルから、温水の代わりにミストが放出される。キラキラと光る成分を含んだ霧だ。それが全身へ吹き付けられる。光触媒の特徴である超親水効果。濡れた体に満遍なく光触媒がいきわたる。

 それが終わるとノズルが壁の中に埋没していく。入れ替わりに多数の電球が顔を出す。


『フラッシュクリーニングを開始します』


 室内が眩い光りで包まれる。赤、黄、緑、青、紫など様々な光。まるで体が虹に包まれているようだ。鏡張りの壁を埋め尽くす電球には十種類のタイプに分かれている。

 

 毎度のことながら、光で体を綺麗にするってのは俺には理解できないな。漠然とそんなことを考える。 


 光触媒とは光によって金属内の電子が励起し、それが戻る際に酸化作用を示すのだ。その酸化作用を利用して体の汚れ、つまりは有機物を分解している。

 そして、金属化合物の形態が変われば励起する光の波長も異なる。つまり、物質に合わせた波長の光を当てる必要がある。波長が異なると光の色が異なる。例えば短波長だと青、長波長だと赤だ。


 ボディクリーニング用の光触媒は、これら特定可視光応答型の光ナノ触媒を数種類組み合わせたものだ。これは汚れといっても様々な物質が対象だからである。光の色に応じて洗浄する汚れのタイプを分けているのだ。

 要するに、虹色の光を浴びるだけで体に付着した有機汚れを一瞬にして分解できるという仕組みだ。なお、無機物の汚れはほとんど分解できない。ただ、それは始めの水洗過程で落とされるため問題ない。


 そして顔を覆う黒いマスク。これは強い光から目を守るのと、呼吸器へのナノ触媒の吸い込みを防止するためである。


『最後に、ゆすぎを行います』


 電球が壁に埋没し再びノズルが顔を出す。そして、始めと同じように温水で体を洗い流していく。ただし、これはただの温水ではない。還元水を使用している。体に付着した光触媒を洗い落とすとともに、触媒の酸化作用を中和するためだった。


『これで、オートクリーニングは完了です。マスクを外して元の位置にお掛けください。お疲れ様でした』


 入室してからここまで約五分の工程だった。



「ふう。やっぱ、いつまでたってもこれには慣れないな」


 マスクを外して入室したのと逆側のガラスの壁に触れる。入室時と同様に壁が消え去る。

 部屋から出た先は真っ白な世界。一度に数十人は入れそうな広さの風呂から湯けむりが立ち昇っていた。


「ふはー。やっぱ疲れた時はこれだよな」


 湯船で体を伸ばす。凝り固まった筋肉がほぐされていくのを感じる。過酷な徹夜任務で肉体的にも精神的にも摩耗していた。疲れが湯へと溶けていくようだ。


 どんなに文明が発展しても昔ながらの風呂は無くならなかった。日本人の精神性を支えているといっても過言ではない。それはセイジであっても変わらなかった。


 凍てつく風が吹き付け頭を冷やす。下半身は四十度を超える熱湯。のぼせなくてちょうどいい塩梅だ。俺は湯加減に満足する。



 ここは北都防衛軍兵舎の二十一階。都会の喧騒から隔離された屋上の大露天風呂だ。湯からうっすらと立ち昇る硫黄の香り。それがここが都心であることを忘れさせた。


 未曾有の大災害では活火山だけでなく休火山までもが噴火した。いまも世界中で活発な火山活動が続いている。

 このため北都周辺の数か所からも温泉が噴き出していた。その湯量は無尽蔵。この温泉水をパイプラインで街内に引込んでいる。

 ただし、温泉利用はどちらかというと副次的なものだ。主な用途は熱源や冬場の融雪である。


 いつのまにか湯に浸かる徹の目はきつく閉ざされていた。頭に一昨日からの任務が思い起こされる。ここ数年、あれほど大規模なシェイドの同時襲来は記憶にない。

 旭日前線基地のパトロール中に発生したシェイドの襲来。あの小さな街の惨状も、これまでになく奇妙だった。そして翌日には隣町が襲われた。

 

 極めつけは旭日前線基地への夜間の襲来だ。これまでにないほど夥しい数だった。報告によると、あれは基地北部から押し寄せてきたとのことだった。なんとか食い止めることができたが、代償も大きかった。前線基地の多くの兵士に死傷者がでた。


「糞っ!」


 つい口をついてしまった。俺の中隊も今回の任務中に戦死者一名、重軽傷者四名の甚大な被害を被った。部隊を急ぎ再編制しなければならないほどの被害だ。何より若くて尊い命を犠牲にしてしまった。それが悔やまれる。


 しかも、アレの発症が一人。すぐに軍事病院に運ばれたが、おそらく駄目だろう。狂喜に墜ちたくないと俺に縋りつく部下。あの瞳が頭から離れない。


「中隊長殿、あまり自分を責めないでください」


 隣から声がした。いつの間にか同じ隊の部下が湯に浸かっていた。


「なんだ、お前か」

「なんだはないでしょう」


「まだ、寝ていなかったのか。まだまだ体力に余裕がありそうだな」

「冗談よしてくださいよ! もう動けません。風呂に入るにも体が軋んで大変だったんですから。この後すぐに仮眠します」


「仮眠じゃねーか。その後、どっか行くのか」

「ええ、まあ」


 言葉を濁す部下に俺はピンときた。


「ったく。相変わらず好きもんだな」

「だって昼はお得なんですよ。ただでさえ我々は休暇が少ないんですから。チャンスは生かさないと。しかも、今日は民間人の休日です。久々に街の賑わいも味わいたいんですよ」


 いつの時代になっても歓楽街は男を魅了する。


「まともな彼女は作らないのか」

「それ言ったら中隊長もそうじゃないですか。さすがにそんな気にはなりませんよ」


「そうだな……。作れんわな」

「我々兵隊はいつどうなるかわかりませんからね。残される女を悲しませるだけです」

「ああ」

「皆そうですよ。この街を守るための覚悟は常にできていますから」


 俺は部下の背中を叩いた。いい音が鳴った。


「ぎゃっ!」

「なんだよ大げさだな」


 部下は悲鳴をあげて背中をのけ反らせる。そして痺れたように固まっていた。


「中隊長にとっては軽いつもりでも、他の人にとってはそうではないんですよ!」

「そうなのか」


「そうです。いい加減自覚してください!」

「しかし、まさかお前に慰められるとは思いもしなかった。まあ、明日も任務だからな。ほどほどに羽目を外してこい」


 そう言って風呂から上がる。俺の背後からは軽いノリの返事が返ってきた。TPOを弁えている奴だ。


 脱衣所に戻ると服は綺麗にクリーニングされて折り畳まれていた。柔らかな肌触りで着心地も良い。服を着ている途中である事に思い至った。

 そういえば自分が目標としているあの人は結婚していたな。


『お前らは何のために戦うんだ! 復讐心では戦うな。愛する家族や友人、大事な人を守るために戦え。過去を振り返えって悔むな。未来を向け! そして未来の平和を大事な人と満喫するためにも、死なずに生き延びろ!』


 それが彼の口癖だったと上司から聞いた事がある。俺は頭を振る。やはり自分はまだまだ半人前だ。


 自室に戻り、ソファーに腰かけた。


 兵舎は恵まれていた。隊員全てに個室があてがわれている。それでも平の隊員の部屋はベッドがぎりぎり収まるほどの広さだ。この部屋は昇進とともにランクアップする。徹のような中隊長クラスの部屋は、部下が数人集まっても寛げるゆとりがあった。


 俺はテーブルの上に直径数センチの透明な球体を置く。そして市販のビニックを被る。頭の中で指示を送ると透明な球が浮かび上がった。

 超軽量小型ファイバー製レンズ。レンズの四方には透明な小型ファンが付いている。これで上下左右自在に動くのだ。ワイヤレス電源で飛ぶのためバッテリーも必要ない。非常に軽量で駆動音も一切しない。巷ではバブルの愛称で呼ばれている。


 俺は頭の中で相手を思い浮かべ通話と念じた。待機音が脳内に響く。


「あ、お兄ちゃん!」

「よう、樹稀いつき。おわっ!」


 接続した途端、妹が嬉しそうに俺に飛びついてきた。


「こら! びっくりするからいきなり飛びつくのは止めろ!」

「昨日メッセも入ってなかったから、何かあったんじゃないかって心配したんだよ!」


「あー、悪い悪い。それよりもお前、髪ぼさぼさじゃないか。もしかしてこんな時間まで寝てたのか?」

「もう、女の子にそんなこと言ったらだめなんだよ。昨日、友達と遅くまで女子会してたの。今のお兄ちゃんのコールで起きたとこだよ」

「そうか」


「そういうお兄ちゃんは何かちょっと疲れ気味だね。なんかあったの?」

「ん? 別に何もないさ。単に夜勤だったから、ちょっと寝不足なだけだ。樹稀との話が終わったらゆっくり寝るさ」


 心配性の妹にシェイドとの戦闘だったとは口が裂けても言えない。死傷者が出たことを知られるのは、もっての他だ。


 樹稀は両親の記憶さえない。彼女が母親のお腹にいる時に父親が亡くなった。それも徹の目前でシェイドに襲われて。徹も同じ道を辿るところであったが、間一髪でセイビーに救出された。

 救ったのは北の撃墜王。彼はちょうど北都から州都までの護衛任務の途中だった。シェイド襲来の一報を受けてその場に駆けつけたのだ。


 母親は父親を失った精神的ショックで体を壊した。それでも何とか樹稀を出産した。が、衰弱した母体に余力は残されていなかった。

 両親を亡くして失意に暮れる。徹にはその余裕すらなかった。残された妹を育てるので精一杯だった。だから樹稀にとっての肉親は生まれた時から兄の徹ただ一人なのだ。


「それより訓練の方は順調か?」

「もちろん! 私を誰だと思っているの」

「妹の樹稀」


「そう! 第九期主席卒業生の斎藤徹の妹だよ。スカイムーブもブラッドも実技試験はA評価だよ!」

「俺は関係ないだろ。しかしほんとに特殊飛行隊を志望する気なのか」

「勿論」

「お前は俺と違って頭も良いんだから別の隊でも十分やっていけるだろ」


 主席卒業とは言え、俺はあくまでPクラスとしてだ。樹稀は珍しいダブル属性。どちらも優秀な成績を修めていた。


「他の隊なんて絶対に嫌っ! 私はお兄ちゃんと同じ隊で隣を飛ぶのが夢なんだから」

「軍はそんなに甘くないぞ」


 妹に甘々の俺もさすがに渋い顔になる。


「そんなのわかってるよ。でも、どこにいたって安全じゃない。この州都だって百パーセント安全とは言えないでしょ」

「まあ、それはそうだが」


「奴らがこのまま指を咥えているとは思えないわ。なら、特殊飛行隊となって自分の身は自分で守らないと」

「俺は樹稀が戦場に出て、何かあったらと思うと気が気じゃないんだが」


「だから私が隣を飛ぶの。お兄ちゃんの口癖じゃないけど一緒に悪を討つのよ。私が危ないときは、ヒーローのお兄ちゃんが守ってくれるでしょ?」

「十分、甘えてるじゃないか……」


 相変わらずの妹の調子に呆れる。が、無事に家族の元に帰って来たという温かい実感に包まれた。

 北都と州都の現実距離は確かにかなり離れている。しかし、ビニックによる脳間通信はそれを感じさせない。今も目の前の妹に手を伸ばせば触れることができそうだ。


「ああ、そういえば朗報だ。近々、任務で州都に行くことになった」

「え! それほんと!」


 興奮した樹稀が飛びついてきた。無論、それは空振りに終わりベッドにうつ伏せに倒れこんだ。驚いた俺まで反射的に動いてしまった。抱き留めようとした体勢で一人固まっていた。端から見ると間抜けな姿だ。


「おい! びっくりさせるな!」

 

 むーと唸りながら体を起こす、樹稀。


「ごめん。嬉しさのあまり舞い上がっちゃった」

「まったく落ち着きないな」

「だって、お兄ちゃんに直接会えるのなんて久々だよ。それで、何日かこっちに居られるの?」

「あぁ、休暇申請しておいたからな。多分、二、三日くらいか」


「じゃ、色々と連れていってね! ケーキ屋さんでしょ。服屋さんでしょ――」


  樹稀が自分の世界に入り込んでぶつぶつ呟いていた。


「わかった、わかった。行きたい所は考えておいてくれ。じゃ、俺はそろそろ寝るからな」

「はーい。楽しみに待っているね! おやすみー」


 満面の笑みの妹に見送られ通信が切断された。


 風呂と妹の会話で精神的に完全に癒された。次は体が癒しを求めているようだ。急激な眠気に襲われる。州都の骨董品屋で今度は何を物色しようか。やはり煙草は外せないよな。そう思案しているうちに俺は深い眠りに落ちていた。

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