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 見得みえは完全に決まった。


 彼は大きく息を吐き、そのまま後ろに倒れる――ところを、寄り添うように突き立った煌黒けいこくの帆柱に支えられる。


《理解しかねる》


「……HA。海賊ってのは、メンツが二番目くらいに大切なのさ。どう、カッコ良かったでしょ、オレ」


 応える“声”はない。


 おそらく、地上の誰もがあざむかれた。そして現在は、その海賊船の威容に圧倒されている。



 潜伏先を突きとめ、単独で海賊のアジトを制圧。脅迫に似た交渉の末、人魚を救い出すことに成功した男は今、


「――、は、あ……ッ!」


 こぽり、とそこの抜けた瓶のように、腹に空いた穴からこぼしていた。


 真夜中の海。黒く美しい光の甲板に、その赤色はあまりにも目立たない。



《役者には向いているかもしれない》


「イイね、ギャラリーを沸かすのは楽しそう、ごほっ、ごほっ」



 彼は確かに、単独でのミッションを成功させたが。その制圧に、どうして何の損害もない――と言い切れたろう。


 眉ひとつ動かさずに交渉を行ったあの瞬間、相手に向けたピストルにというのに。


 驚嘆に値するのはその強さではなく――ひとえに、それを誰にも悟らせずに事を成しきった度胸と胆力だろう。


 フラメシアが不快感を覚えなかったのも当然だ。抱き上げられた時、彼の身体は既に血を失い過ぎていた。動転した気と、全滅させた人間の血で、ただ惑わされただけ。


 それを明かすつもりもない。


 彼女が嫌がらずに腕に収まった。その感動の方が、流れ落ちる赤よりも、ずっとずっと力になった。



 だから、海上でそれを知るのは彼と、彼の愛船ブラックダイヤ、そして彼のたったひとりのきょうだいだけ。


 加えて状況は最悪に近い。


《それで、どうするの?》


 海賊船ブラックダイヤに搭載された火砲一式。


 大砲。両舷・各八門。船首・三連カノン砲。“鉤燕”の所以ゆえんたるワイヤーフック射出装置三十六其。


 それだけあれば、大立ち回りが充分に出来る。


 ただ。


《火薬と砲弾は≪私≫には


 そう。その辺は自前で用意しなければならない。


「HAHAHA。最初にオプションも追加で発注すべきだったぜハニー」


 軽口は変わらず。状況も変わらず、ただ。


「――だけど、


 その在り方と。


 真実を知る、幾つもの『瞳』が海の下に。


「オーダーだ、キミはオレのモノ。そうだろ?」




 ←


 ――海底。



 人魚の都では、海の民がその瞬間を目撃していた。海中に落ちる滝をスクリーンに、水晶玉の光が海上の光景を映し出している。


 煌黒の海賊船。海の奇跡。その輝きに目を奪われ――次いで知る、瀕死のリチャード=ジノリ。


 にわかにどよめき、動きが発生する寸前――あまりにも酷な声が、それを留めた。




「莫迦な気を起こすでないよ、皆の者」


 コォン、と波紋を生んで床に突かれる杖の先。――人魚のおさは、両手で杖を握りながら言い放つ。


「あれは、海の上、さね。アタシらが出す口も手もありゃしないよ」



『だが、長!』『あのままではジノが!』『見捨てるおつもりか!』『ヒトなれど共に育ったのです!』 『フラメシアを助けたじゃないか!』『ジノを助けちゃ駄目っておかしいよ!』『ねえ、長!』


「お黙り」


 集中する視線。鋭い一喝。そしてまた沈黙。


。もう、アタシらの仲間じゃないんだよ」


 二番目の約束。

 もし、彼が生きながらえたとしても、海の者の名を呼んではならない。


「あの子が自分で呼んだんだ。掟は守らなければならない。アタシら海の民は、あの上での面倒ごとに関わらない。いいね?」


『長――!』


「妙な気を起こすでないよ! これ以上、アンタたちは」




 リチャード=ジノリはフラメシアの名前を、自分から口にした。それは、、彼等との決別を選んだことに他ならない。





「……あの子の気持ちも汲んでやりな。でなきゃ、どこの誰が自分のを見捨てるような事を言うんだい」


 確かに。今、彼のピンチに海の民が加勢すれば状況は一瞬で終了する。


 海賊と粋がったところで、所詮は陸に生きる動物だ。船に穴でも空けた途端、彼等はこの海の残酷さを知る羽目になる。





 ――それは同時に、。今、この瞬間の彼の動機は。


「お気に入りの人魚を傷つけられた」という、あくまで人間一人の、あくまで他の人間に対するの範疇に納まるべきものなのだ。


 だから彼は、覚悟して彼女の名前を呼び――


 ――嫌々ながらも、過ぎる日々の中、彼を孫のように思うようになった老人は、


「いいから見てなさい。あの子は、



 →


「オーダーだ、キミはオレのモノ。そうだろ?」



 ――その後、幾つもの伝説をうたわれるリチャード=ジノリ。


 その一節は、こうだ。


“海の全てを手に入れたって話さ。だが知ってるか?そんなジノリの、あの海賊船に唯一無かった物があるんだ。何だかわかるか?”



「旗を掲げてくれ」



だよ。何でも持ってたあいつの船には、それだけが無かった!”



 ――。海賊団のシンボルマークにして、自分の意思を何よりも雄弁に語る物。

 その布キレ一枚に抱かせた想いは、海の男達にとって軽視できない重みを持つ。


 相手に死か降伏かを迫る髑髏。


“奪う者”としての矜持そのもの。



 夜風にはためく、彼の海賊としてのシンボルマークには、その髑髏も、交差した骨も、



 掲げる矜持はただ一つ。白旗が『降伏』を意味するものならば――


 その『黒一色』の旗が叫ぶ、彼の海賊としての在り方、それは。



 せり上がる血を飲み下し、いよいよキャプテン・ジノリは興が乗ったと笑って叫ぶ。






「――いざや見よ。そしてまなこに胸に刻み込め。我が≪旗≫は『』!! どっからでもかかって来い! 阻むと言うなら阻んでみせろ! その全てを叩っ壊して、オレは海をさきがけるッッ!!」




 自らが“生まれた”日を思い出す。満天の星。輝く三日月の夜。ずっと傍に居てくれた、姿も解らない誰か。

 心配そうに自分の顔を覗きこむ、知らない女の顔。


 言っちゃないけどさ、人魚ちゃん。キミの顔の方があの星空よりずっと綺麗だったぜ。


 誓いはこの胸に。たとえもう、あの場所に戻れないとしても。海の誰よりも『自由』である、という自分だけは奪わせない。




 十隻の海賊船の砲がブラックダイヤに向いている。


 恐れを踏破した者の一歩。遠い夜のように、自らの全てを『いま』に賭す。命を投げ打ちながら、瀕死のリチャード=ジノリは船首に立った。


 天高く掲げられた三日月刀が、天空の月と重なる。


 ――まったく酔っぱらった話だが。この瞬間、彼は確かに『月』を



「秘太刀・“鉤燕”。……オレの前を遮ってンじゃねえぞ、三下ァァァ!!!」


“嘘だと思うなら一度見てみろって!そのまんまの意味なんだよ!”


 そして、裂帛れっぱくの気合と共に正面――海賊船の一隻に、月を振り下ろす。






!”



 瞬間。与太話は現実となった。



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